金日成「生誕100周年」の超豪華祝賀行事に潜入…!訪朝43回のジャーナリストが、北朝鮮で27年撮り続けた「10万枚の秘蔵写真」

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北朝鮮(朝鮮民主主義人民共和国)は、2020年1月から新型コロナウイルスへの防疫措置として海外からの入国を停止。しかしそれが収束してからも、入国できた外国人は極めて限られており鎖国状態が続く。

フォトジャーナリストの伊藤孝司は1992年8月から2019年10月まで43回の現地取材を敢行し、約10万枚の写真を撮影。その中からベストショットを、さまざまな切り口でお届けする。

中編記事『《秘蔵写真を公開》大迫力の軍事パレードに、若い男女が集う出会いの場「夜会」まで…写真家が北朝鮮で27年撮り続けた「未知の国」の日常』より続く。

「衛星管制総合指揮所」へ突入!

北朝鮮では、朝鮮労働党創建記念日や建国記念日といった国家の重要記念日に、5年や10年の周期で盛大な祝賀行事を行う。2012年は「建国の父」の金日成主席が、1912年4月15日の生誕から100年という最大級の祝賀年だった。

中国・北京から平壌へ向かう「高麗(コリョ)航空」では、エコノミークラスはいつもハンバーガー1個なのだが、この時ばかりはビジネスクラス並みの機内食が出た。これを見ただけで、北朝鮮が生誕100年を盛大に祝賀しようとする意気込みが伝わってきた。だがこの後、超ハードな日々が待ち構えているとは夢にも思わなかった。

最初の祝賀イベントは、何と人工衛星の打ち上げロケットに関するものだった。世界各国からやって来たメディア約170人に対し、4月11日にロケット発射の準備作業を公開するとの連絡があった。その場所は、平壌空港近くの農村地帯の中にある「衛星管制総合指揮所」。

指揮所にバスで到着した海外メディアに対し、前庭で説明があった。長い話が終わるや否や、施設内へ170人がわれ先にと突入した。入ってすぐのエントランスに、2人の兵士が立っていた。金日成主席と金正日総書記を描いた大きな肖像画を、なだれ込む外国人から守っているのだ。

その前を通り過ぎて、狭い階段を上る。カメラが何かに思い切りぶつかったが、チェックしている余裕はない。2階へ上がると、体育館のように広い1階の管制指揮所を見下ろすことができるようになっていた。良い位置はすでにカメラマンでいっぱいなので、一瞬ためらったもののソファーの上に靴のままで立つ。

続けてやって来たたくさんのカメラマンと記者が、前に出ようと後ろからグイグイ押してくる。またたく間に、まったく身動きできなくなる。1階へ転落しないように気をつけながら、吹き出す汗を拭う余裕もないまま写真とビデオの撮影を始めた。

最初に目に入ったのは、正面の巨大モニターに映る発射台に据えつけられたロケットの映像。それは、人工衛星「光明星(クァンミョンソン)3号」を搭載した「銀河(ウンハ)3号」ロケットである。発射場のある東倉里(トンチャンリ)から送られてきたライブ映像なのだ。室内にはたくさんの管制卓が整然と並び、白衣を着た人たちがその前に座っていた。

この「銀河3号」ロケットは4月13日に打ち上げられたが、失敗して黄海に墜落。その日のうちに北朝鮮は、打ち上げ失敗を発表した。こうした結果を認めるという異例な対応は、海外メディアに発射準備を公開していたからだった。

白頭山で「苦難の行軍」

翌4月12日の朝、「革命の聖地」とされている白頭山(ペクトゥサン)へ、海外からの祝賀行事参加者と向かう。平壌空港からの臨時便は、三池淵(サムジヨン)空港へ。4月中旬だというのに、滑走路には雪が残る。ここからは、パワーがありそうなバスで山頂へ向かう。白頭山は標高が2744メートルあるが、なだらかな山なので山頂まで車で上がることができる。

ところが、原生林の中をまっすぐに延びる道路の路面は凍結しており、そこに雪が降り積もっていた。バスはスリップを繰り返していたが、ついに動けなくなる。ここからは、本格的に降り始めた雪の中を歩いて行くという。

北朝鮮には「苦難の行軍」という言葉がある。1990年代半ばに、水害と干ばつに繰り返し襲われて多くの死者を出した時のことをいう。本来の意味は、1930年代後半に活動した抗日パルチザン部隊が、満洲(中国東北部)と朝鮮との国境地帯で、飢えと寒さに苦しみながら行軍したことを指す。まさしくそれが行われたのが、この場所なのだ。その行軍を、厳しい天候の中で追体験することになってしまった。

寒さに震えながら、抗日パルチザン部隊が本拠地にしていた「白頭山密営」へとたどり着く。そして、降りしきる雪の中で祝賀行事が行われた。雪が降り続き、うっそうとした原生林の中での集会は神秘的にさえ思えた。

来た道を歩いて戻り、「ペゲ峰ホテル」で遅い昼食をとって午後4時の便で平壌へ戻った。とんでもない強行軍である。この白頭山行が、一連の行事の中で一番きつかった。

風に揺らぐ巨大な布

そして4月13日は万寿台(マンスデ)の丘で、金日成主席と金正日総書記の銅像の除幕式があった。それまでは金日成主席の像だけだったが、2人が並んだものになった。約20メートルの銅像に掛けられた巨大な布が、近くの大同江(テドンガン)から吹く風に揺らぐのが印象的だった。

14日は平壌での定番コースで、午前は「東明(トンミョン)王陵」。ここは、高句麗(コグリョ)の初代国王とされる東明聖王(トンミョンソンワン)の陵墓だ。「ユネスコ」によって2004年に、「高句麗(コグリョ)古墳群」の一つとして世界文化遺産に登録されている。

そして午後は「金日成花・金正日花展示館」へ行く。金日成花はインドネシアのスカルノ大統領から贈られたランの花で、金正日花は日本の園芸家が品種改良したベゴニアの花。この2種類が、大きな展示館の2フロアにさまざまな趣向を凝らして展示されている。これらの花は、さまざまな事業所内の温室で大変な努力をして栽培されているという。

15日は、午前7時にホテルを出発して軍事パレードへ。この時、金日成広場の東西の建物に掲げられていたマルクスとレーニンの肖像画がなくなっていることに気づいた。独自の社会主義路線を進めるという表明なのだろう。

最高指導者3人の肖像画

その日の午後は、「人民文化宮殿」での「100周年記念国際交歓大会」へ。撮影はできないと聞いていたが、カメラとレンズを小さなショルダーバッグに無理やり詰め込んで持っていく。やはり、会場入り口で荷物検査が行われていた。だがそれは全員に対してではなかったため、運よくそのまま通り過ぎたのだ。

舞台上には、金日成主席と金正日総書記の巨大な肖像画が置かれていた。これは重要な集会では、普通にあることだ。集会が始まると、なぜカメラの持ち込みが禁止なのかが分かった。この国のナンバー2である金永南(キム・ヨンナム)最高人民会議常任委員会委員長が出席したからだ。

そのイベントの中心は、友好国からの贈り物の披露だった。ステージの下手からさまざまな品物が運ばれ、紹介が終わるとすぐに上手へ消える。するとどの国からの贈り物なのか、金正恩氏の肖像画が運ばれてきたのだ。正恩氏は、3日前の11日に党第一書記に就任したばかりだった。

私はあわてて望遠レンズを付けたカメラをバッグから取り出し、連続してシャッターを切った。正恩氏の肖像画が舞台中央にあったのは2〜3秒。客席の人たちは立ち上がって拍手をしているので、幸いなことに私が写真を撮っているのが目立たなかった。

現在では、金正恩氏の肖像画や銅像は珍しくないという。だが2012年の時点で、最高指導者3人の肖像画を1枚の写真に収めることができたのだ。実に貴重な写真となった。

今はなき南北統一の記念行事

平壌市中心部から板門店(パンムンジョム)へ向かう「平壌−開城(ケソン)高速道路」の始点に建つ、「祖国統一3大憲章記念塔」。北朝鮮と韓国を象徴するチマチョゴリ姿の2人の女性が、朝鮮半島の地図を掲げているという高さ30メートルの巨大な像だ。

「3大憲章」とは、北朝鮮の南北統一政策に関する「祖国統一3大原則」、「高麗民主連邦共和国創立方案」、「全民族大団結10大綱領」のこと。

2001年に建設されたこの記念塔の下では、韓国や外国からの招待客とともに南北統一のためのさまざまなイベントが開催されてきた。ここは、北朝鮮の祖国統一への熱い思いが感じられる場所だった。

ところが突然、この立派なモニュメントが撤去されたのだ。朝鮮半島が米国とソ連という大国によって分断されてから、北朝鮮と韓国は統一国家を目指してさまざまな模索を続けてきた。それが2024年1月15日の最高人民会議第14期第10回会議で、金正恩総書記が韓国を「第1の敵対国で不変の主敵」と規定。もはや統一国家を目指さないとしたのだ。歴史的な政策転換である。

そのため、統一政策の象徴的モニュメントである「祖国統一3大憲章記念塔」は、その発表直後の20日頃に撤去された。韓国と結ぶ道路も破壊され、非武装地帯の中では壁や道路の建設が行われて「軍事境界線」の「国境線」への転換が進む。

米国のトランプ大統領は8月16日、韓国との大規模合同軍事演習を大幅に縮小するようヘグセス国防長官に指示したことを明らかにした。これが実行されたならば米朝の軍事的緊張が大きく緩和され、南北関係の改善につながる可能性も高い。

独自の社会主義の道を頑なに守り続けながらも、北朝鮮は大きな変化を模索しているようだ。

(写真はすべて筆者撮影)

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