会見で涙を拭う武石知華さんの母親。隣は父親

写真拡大

 政治記者・解説者として鋭い言論を展開する元朝日新聞・今野忍氏による連載「これ、誰も言わないんですけどね」。第8回は、辺野古転覆事故について──。

【写真】元朝日新聞記者・今野忍氏

辺野古転覆事故 校長の発言は神経を疑う

「まずは抱きしめたい」

 7月30日、霞が関の司法記者クラブにて、辺野古沖の転覆事故で亡くなった同志社国際高校2年、武石知華さん(17)の両親が初会見に臨んだ。知華さんの母親は、娘に何を伝えたいかと問われ、そう言葉を絞り出した。

 そして、「いまでもおにぎりを握って夜食を作って、お墓に花を替えに行っている」「巡り合ったことが奇跡と思えるくらい、良い子だった」と続けた。

 事故から4か月。両親は校長ら学校関係者と「ヘリ基地反対協議会」の関係者計11人を業務上過失致死傷容疑で告訴した。告訴に踏み切った理由について、知華さんの父親は「このまま時間が過ぎれば、最悪の場合、誰も法廷で刑事責任を問われることなく終わってしまう。私たちには、それは耐えられません」と語った。

 海の事故は死亡の直近の原因から遡って捜査される。現場の海にいなかった学校関係者に手は届かない。これに父親は異を唱え、「学校も、生徒の『船長』ではないでしょうか」と述べていた。

 下見をする。安全の打ち合わせをする。計画を立てる。当日は教員が同乗する。事故を未然に防ぐ機会は「少なくとも4層」にわたってあった。1つでも実行されていれば知華さんが命を落とすことはなかったのでは。

 代理人弁護士を務める唐澤英城氏も「危険は、あの日突然現われたのではありません。前から、見えていた」とした上で、当たり前のことがなされていれば、この事故は防げていたと断じた。

 翌31日には第三者委員会が報告書を公表。「安全管理体制などの不備こそが最大の原因」とした。

 さらに新事実。知華さんはボートコースの変更を希望しながら抽選に外れ、転覆した調査船に乗ることになったのだ。両親は「気持ちを整理できない」と語る。

 もう一つ判明したことがある。同志社国際高校の西田喜久夫・校長は事故のわずか2日後、自ら沖縄県庁に足を運び、玉城デニー・知事と面会していたのだ。その際の議事録には西田校長の発言としてこう記されている。

「今後も同様に訪問させていただき、研修を継続していきたい」

 開示された原本を私も読んだ。3月18日──これは知華さんの司法解剖が行なわれた日である。その日に知事に会い、口にしたのが研修旅行の継続とは、神経を疑う。

 知華さんは学校が大好きだった。だから母親は告訴に迷ったという。7月に急いだのも「学期中ではなく夏休み期間に」と考えたからだ。娘を奪われてなお在校生を気遣う。果たして校長にその配慮はあったか。

 7月30日から3日間、私も再度辺野古に入った。地元の目撃者に話を聞き、転覆した「平和丸」とほぼ同じ船で当時の航路をたどった。リーフエッジの海が何を語ったか。次回に続く。

【プロフィール】
今野忍(こんの・しのぶ)/1975年、神奈川県出身。外資系コンサルを経て、2003年に朝日新聞社に入社。約20年間にわたり政治部に所属し、菅義偉元首相、岸田文雄元首相の番記者などを務めた。2026年1月に独立。現在は、フリーの政治記者・解説者として活動している。

※週刊ポスト2026年8月28日・9月4日号