蔵相時代の宮澤喜一氏(C)共同通信社

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 輝いていた日本は、もう遠い昔だ。世界2位だった経済大国から転落し、人口も急激に減少──と、衰退の一途をたどっている。

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 どうして日本は力を失ってしまったのか。どうすれば、あの時代を取り戻せるのか。

 ヒントになるのが、戦後の全盛期を築いた男たちの生きざまだ。セゾングループの総帥・堤清二が語った、男たちの素顔をお届けしよう。

 どんなに才能があっても、周囲が推してくれなければトップには立てない。宮澤喜一は才能に恵まれていたが、その性格があだとなって、なかなか総理になれなかった。

 なかでも自民党の実力者、竹下登は強い反感を抱いていた。

「あれほど政治家に向かない人はいなかったと思います。白洲次郎さんやロックフェラーさんから『なぜ宮澤のような優秀な男が日本では総理大臣になれないのか』と言われましたが、これはなかなか説明しにくい点でした。そんな時、竹下さんに『財界では次期総理には宮澤喜一がいいという意見が強いです。宮澤さんをお願いします』とお願いに行ったことがありました」

「だから素人には任せられない」と竹下を批判

 竹下が大蔵大臣だった1985年(昭和60年)、ドル高を是正する「プラザ合意」が行われた。安い円を背景に輸出を伸ばしてきた日本にとって、これは大打撃となった。

 このとき、自民党の総務会長だった宮澤は、竹下のことを「だから素人には任せられない」と批判し、竹下の耳にも入っていた。

 その他にも気質の違いのようなものがあった。

「僕が宮澤さんのことをお願いに行くと、竹下さんは笑い出しながら、『清二君、君が宮澤君を推すのは分かるがね、俺だって、元は中学校の英語の教師だよ。その俺に会いに来るのに、彼はいつも英語の雑誌を小脇に抱えてやってくる。それはないだろう』と話し始めた。そのとき『宮澤さんはまたやったな』と正直思いましたよ。だってそれじゃ、宮澤さんが無意識でも、受け取る方の竹下さんは、心穏やかではない。でも、それじゃ話が始まりませんから、『そんなことはないですよ。たまたまじゃないですか。宮澤さんは竹下さんのことを尊敬しています』と頑張りました。竹下さんは苦笑しながら『ま、それはいいけどね。プラザ合意の一件だって聞いているんだからね』と言っていましたね」

 この話を聞いた清二は、すぐに宮澤の事務所に行った。

「僕は宮澤さんに、『竹下さんに会うときには英文の雑誌は持っていかない方がいい』と意見したのです。すると彼は、『英文雑誌しか読みませんから』と顔色ひとつ変えることなく言い放った。そのとき、『この人は総理にはなれないな』と思った。だから、いまから思うと、よく総理大臣になれたなと思います」

(松崎隆司/ジャーナリスト)

 ※2012年10月11日に掲載した記事を再編集しています。