多くの民間人が巻き込まれた太平洋戦争。

日本が植民地支配していた朝鮮半島や中国大陸、東南アジアの島々から戦後引き揚げた民間人の数はおよそ319万人に上ります。金沢に住む89歳の女性は幼いころを過ごした朝鮮半島からの引き上げの記憶を終戦から81年が経った今も鮮明に覚えていました。

朝鮮半島から引き揚げた 野村浩子さん

「私はよく覚えている方、小学校の低学年のころって、いろんなことを覚えていて結構忘れないものでしょ」

金沢市に住む野村 浩子さん89歳。植物学者だった父の転勤に伴い両親と2歳下の妹・明子さん、末の妹とともに1943年の夏、当時住んでいた東京から朝鮮半島に渡りました。

朝鮮半島での生活を「あまりにも環境は違った」と振り返ります。野村さん一家が移り住んだのは、ソウルから南におよそ30キロの場所にある水原市。

妹 明子さん

「湖から流れる川の橋を渡ってちょっと行ったら日本人の集落、家は一番端っこだった。オンドルといって、朝鮮では冬の寒さをしのぐため下から燃やして温める部屋が1部屋あった」

浩子さんは小学1年の2学期から1945年の終戦までの2年あまりを水原市で過ごし、現地の日本人学校に通っていました。

野村浩子さん

「日本の小学校並みの施設はあった。クラスは日本人だけだったけど、1人か2人ほど朝鮮の人が混じっていたこともあった」

妹 明子さん

「『欲しがりません、勝つまでは、太郎さんも花子さんも同じこと』っていう歌詞だったかしら?欲しがりません、勝つまではとそれを幼稚園で友達と向かい合ってお遊戯をした」

当時、軍国主義の教育の中でも友達と遊んだり、朝鮮の人たちの集落に買い物に

行ったりと穏やかな日々を過ごしていた野村さん姉妹のもとに飛び込んできた日本の敗戦。

野村浩子さん

「私何してたんだろう終戦の日、覚えてない」

妹 明子さん

「私のかすかな記憶では、お姉さんのところに近くに住む同級生の女の子が訪ねて来て、その子が『うちのお父さんが包丁で手首をサッと切ろうとした』と二人で立ち話ししていた」

夏休みが明けても小学校が再開されることはなく、野村さん姉妹の日常も終戦とともに一変しました。

日本への引き揚げは持ち物も制限され、引き揚げ者は身に着けるものしか持って帰られなかったと話します。

野村浩子さん

「お父さんは本をもって帰りたいと言うし、お母さんはそんなものよりももっと食べるもの、子どもたちが食べられるものを持って帰りたいし。それでケンカしてたのは覚えている」

妹 明子さん

「子ども用の服地を3重か4重に折りたたんで手提げ袋を作って、引き上げの時にリュックサックと両手に食料とかを入れた手提げを持って『帰ったらほどいて、あなたのワンピースに作ってあげるから』と母に言われて頑張って持って帰って来た」

一家が帰国に向けて水原市を出発したのは10月下旬。

到着した釜山港でようやく乗れた引き揚げ船は、まともなトイレもない小型の船でした。

野村浩子さん

「韓国へ行くときは、日本人は意気揚々と行くわけだから船は一等船客ですごいお金かけて乗ったんだけど、帰りはすごい、、、みじめ」

野村さんのように朝鮮半島や中国大陸、東南アジアの島々から引き揚げた日本人は、軍人を含めおよそ630万人に上ると言われています。船から見た風景を姉妹は今も、覚えていました。

妹 明子さん

「朝鮮の山は白い山だったけど、日本の陸地が近づいてきたら濃い緑が見えてきた時に、大人の人達は歓声と言ったらおかしいけど『はぁ』という声があったのは覚えている」

野村浩子さん

「朝鮮の集落を出てから日本に帰りつくまでに何日かかったか。自分でもよく分からないけど、これがやっぱり戦争に負けた国のあり様やなとしみじみ思った」

帰国後、父親が金沢大学で働くこととなり、家族で金沢に移り住みました。

高校教諭となった浩子さんが、退職した後に力を入れてきたのが中国残留邦人の支援です。自身の引き揚げの体験が活動を始めたきっかけでした。

野村浩子さん

「戦後、日本人が中国からたくさん帰ってきた。帰ってきたということと、しゃべれるってことは別でしょ」

野村さんは県が行っている日本語教室の講師を今年3月まで30年近く続けてきました。8月上旬、久しぶりに教室を訪れました。

生徒の一人 周玉環さん。父親が中国残留孤児で20年以上前に来日後、野村さんに日本語を学んできました。

生徒 周玉環さん

「最初は優しいけど、だんだん厳しくなった。日記とか毎日書いてってちょっと厳しい」

野村浩子さん

「そうだね、日記を毎日書いておいでねって言ったね」

周さんは、野村さんを「日本のお母さん」と慕っています。

野村浩子さん

「日本語を勉強して、日本語で自分たちの生活ができるようになるための努力を

彼や彼女たちは一生懸命やってたからね」

終戦から81年。戦争に翻弄された姉妹はこれからの日本の将来に不安を感じていました。

妹 明子さん

「ほかの国でも戦争があるし日本でも法律が右寄りになっていく時代で非常に怖い。このままいったらどうにかなってしまうんじゃないかという恐ろしさはある」

次の世代を担う若者に伝えたいことは…

野村浩子さん

「いろいろあると思うけど、やっぱり戦争はもう、絶対にやるべきでないというそれが一番でないかね…」