富山大空襲の米軍B29が秋田で墜落していた 発見者の男性がたどる戦争の記憶 富山県
あすで終戦から81年です。アメリカ軍の爆撃機「B29」の墜落した機体の一部が秋田県で見つかり、その後富山大空襲に出撃した機体であることが分かりました。機体の捜索を通して戦争の記憶をたどる男性を取材しました。
秋田県の男鹿半島にある標高715メートルの本山。
発見した 髙橋大輔さん
「ここまで来て上を見たら、ふっとあれが見えたんですよ。『ついにやった!』って」
発見した 髙橋大輔さん
「184センチ。大人サイズと思っていましたけど、大人サイズの中でも大きいですね」
「この辺がこうさびて亀裂が走っているので、この辺から折れちゃうと思うんですよ、いずれ」
戦争中、日本の多くの都市で空襲を行い、恐れられたB29。 見つかった機体が本山に墜落したのは、終戦直後の1945年8月28日。物資を運ぶ途中に山へ衝突し大破しました。乗組員12人のうち11人が死亡。奇跡的に生き残った1人は、地元の人によって助け出されました。
髙橋さんは知人から「機体の一部が山に残されているので探してほしい」と頼まれ、2019年から探し続けていました。そして去年6月、ついに機体の一部を発見しました。
髙橋大輔さん
「戦争の遺産というのがまだ80年を超えても埋もれているという現実を皆さんに知ってもらうことで、戦争は遠い過去の話だけど、山にはこうやって“モノ”が存在して語りかけてくるんだなと、そういうことを感じましたね」
そして先月、この機体をめぐる新たな事実が判明しました。髙橋さんがアメリカ軍の行方不明機などが記録された報告書を確認したところ、本山で墜落したB29の機体番号を特定。さらにアメリカの公文書館で出撃履歴を確認した結果、この機体が1945年8月2日未明の富山大空襲に出撃していたことが分かったのです。
それに先立つ去年6月。髙橋さんは調査のため、アメリカ・ルイジアナ州の軍事博物館を訪問。秋田での墜落から唯一生還した乗組員の搭乗服を確認しました。
髙橋大輔さん
「サカイ、オオイタ、オオサカ、ヤワタ、トヤマ」
そこには「TOYAMA」の文字が刻まれていました。
米軍事博物館 館長
「爆撃された主要な場所でしょうか。爆弾を落とした場所だと思います」
髙橋大輔さん
「私たちはB29の攻撃を受けました。日本が降伏するわずか数時間前です」
「多くの人がそのことを覚えています。多くの人がB29を…」
米軍事博物館 館長
「敵」
髙橋大輔さん
「ただの敵というより、それ以上です」
髙橋さんはワシントン州にある博物館も訪問。ここには戦争中の1944年後半に製造されたB29の機体が、当時のままの姿で残されています。髙橋さんは特別な許可を得て機体を見て回り、墜落したB29の痕跡と比較しました。髙橋さんが秋田県の本山で発見した着陸装置は…。
整備担当
「これがその部分だと思います」
髙橋大輔さん
「これですね、なるほど」
髙橋さんは、B29を案内してくれた人たちに話を聞きました。
博物館の人
「残念ながら第二次世界大戦を全く知らない子どもがたくさんいます。あっという間に忘れ去られるんです」
博物館の人
「80年の長い間、多くの世代が過ぎ去り多くのことが伝わっていません。平和な今の時代には戦争をどう伝え残すかが課題」
2700人余りが犠牲となった富山大空襲をはじめ、日本全国への空襲で多くの命を奪ったB29。髙橋さんはその全ての人々に思いを寄せます。
髙橋大輔さん
「各地域の人々にとってこの機体は、秋田県民が考えている位置づけと全く違うのではないかと。自分たちの町を灰燼に帰した悲劇をもたらした1機が(終戦)81年目になったいまだに日本にあるのは、もっともっと大きい意味合いがあるのでは」
髙橋さんは、見つかった機体が平和の尊さを次の世代へ伝える教材となることを願っています。また富山を訪れて、空襲について調べたいとも考えています。

