光海軍工廠への空襲 光市で市内の高校生も参加して追悼式 空襲開始時刻の再検証も
1945年8月14日の光の空襲で狙われたのは、海軍の軍需工場=光海軍工廠、ここでは動員学徒を含む748人の命が失われました。
戦後81年…光では、空襲開始時刻の再検証も行われています。
14日は慰霊碑の前で戦没者を偲ぶ追悼式が執り行われました。
午後1時17分、遺族や関係者が黙とうを捧げました。
光市では、去年までは空襲開始時刻を午後0時20分とし追悼サイレンを鳴らしていましたが、戦後80年を節目にアメリカ軍などの資料をもとに検証し、ことしから午後1時17分に変更しました。
「様々な諸説であったり意見であったり 語り継がれたものであったりと、 そういった気持ちの部分は大切にしていきたいと思いながらも 公的な機関が発表している時間も大切にしていきたい」
太平洋戦争中、爆弾や魚雷の製造拠点となった光海軍工廠は終戦前日の8月14日空襲を受けました。
この空襲で、およそ130人の動員学徒を含む748人が犠牲となりました。
毎年、広島から訪れ家族で追悼式に参加している粟田和枝さん78歳。義理の父が海軍工廠の水雷部で働いていた際空襲によって命を落としました。
義父が空襲によって亡くなった粟田和枝さん
「お父さんに来ましたって。胸がいっぱいで本当に早くこの地球上に恒久平和を願ってきたけどなかなか実現しない。平和と命の尊さをみんなに語り継いでいけばきっとその日がいつか来る」
式には、平和の大切さを次の世代へつないでいこうと市内の高校生も参加しました
