出産といえばおまじない?――【連載】奈倉有里「猫が導く妖しい世界」#17
この連載では、スラヴの昔話からやって来た物知り猫“バユーン”が、ロシア文学研究者・奈倉有里さんとともに皆さんを民間伝承の世界へとご案内します。
今回はどんな不思議に出会えるでしょうか?
※2026年度『まいにちロシア語』テキスト8月号より抜粋
(スラヴ:ロシアやウクライナ、ポーランド、ブルガリアなど、ヨーロッパ東部から北アジアに広く分布する、スラヴ系諸語を話す人々の暮らす文化圏)
第十七回 赤ちゃんとおまじない
赤ちゃん到来 ここ数年、不思議な現象が起きている。私の本を担当してくれる編集者さんに、次々に赤ちゃんができるのだ。しかもタイミングが絶妙で、本の完成とほぼ同時に赤ちゃんが生まれる。まだそんなにたくさんの本を世に出したわけではないのに、すでに二冊の本の校了と同時にそれぞれの編集者が産休に入った。お知らせを受けるたびにこちらまでおめでたい気持ちになると同時に直近の数ヶ月を思い返し、(体調とか諸々たいへんだっただろうに、産休の直前までがんばってくれたのか……)とありがたい気持ちになる。先日はついに三人目から産休のお知らせをもらった。
なんだかラッキーというか、おこがましいようだが、ちょっとコウノトリにでもなった心持ちだ。ひょっとして私はこの先、子宝の機運を運んでくる縁起のいい著者として、女性編集者からお守り的な人気を博したりしないだろうか、と調子のいいことを考えてみる……しないか。
そんなことを考えながら庭先で洗濯物を干していると、家の前の狭い路地をバユーンが通りかかった……が、なんと口には茶トラの子猫を咥えている。私は目を疑い、とっさにずれた眼鏡に手をやって、その光景をまじまじと見つめた。見間違いじゃない。バユーンだ。思わず大声で「どこいくの!」と話しかけると、バユーンは一瞬だけこちらを振り返り、そのままとことこと海のほうへ歩いていってしまった。
頭のなかに一気に疑問が湧きあがる。妖怪のバユーンもふつうの猫との子供をつくるんだろうか。それともこのあたりの妖怪猫との子かな。でもバユーンは雄猫だ。ネコ科の動物って、子猫を咥えて歩いたり子育てをしたりするのは基本的に雌だけなんじゃなかったっけ。あ、でもバユーンには知能があるから、そういう古い風習とは関係なくちゃんと育児をするのかな……。
私はなんだかバユーンが知らない猫になってしまったみたいな不安を感じつつそわそわと待っていたが、その日から三日三晩、バユーンは帰ってこなかった。四日目の朝、目が覚めるとバユーンはいつものように私のふとんの上にいた。やけに疲れて、汚れた姿で。そっと首元をなでると、ふつうの猫みたいにごろごろ喉を鳴らす。恐る恐る「なにしてたの?」と聞くと、バユーンは眠そうに目をあけて、「たいへんだったんだよー」とうなった。よかった。ちゃんといつものバユーンだ。
バユーンはそれから二度寝をし三度寝をして、昼過ぎになってようやく起きてくると、私が翻訳原稿を書いているノートパソコンのキーボードの上にどっかりと寝そべった。
「ちょっと、仕事ができないんですけど」とおでこをつつくと、バユーンは「ごはん」と言って寝返りを打つ。仕方がないので一階に降りて炊飯器からごはんを出し、好物の海苔をちぎって混ぜて器によそうと、バユーンはものも言わずにがつがつと食べ終えてから、ぽつりぽつりとこの数日のことを話しはじめた。
その話によると、あの子猫はバユーンの子ではなく、母猫とはぐれた迷い猫だったらしい。子猫はおなかがすいて弱っていたので、ともかくあちこちを探して(私が見かけたのはこのときのバユーンだ)海の近くの木陰でほかの子猫たちを抱いていた母猫を探しあてたものの、初めての出産をしたばかりの母猫のほうもなにやら困難な運命に翻弄されたらしく憔悴しており、母乳も出ず、子猫を育てる気力さえない様子でぐったりとしていた。それで、バユーンは母猫の元気を取り戻そうと、知恵を絞ってあれこれとおまじないを試していた……というのである。
「おまじない……?」
そんなせっぱつまった状況でおまじないなのか、と思っていると、バユーンは「出産といえばおまじないだからね」と語りはじめた。
新しい生命の誕生は人間にとって大事件であり、ゆえに世界各地に膨大な迷信や験担ぎやおまじないが存在している。実は動物も、出産に際してはおまじない的な行動をすることがあるらしい。
スラヴにもおまじないはたくさんあるが、有名なのが、手を洗う儀式だ。洗うだけなら簡単なのだが、用意する水がちょっとややこしい。まずは夜明け前に三ヶ所以上の場所(泉や小川など)で汲んで無言で持ってきた水(こうすることで、水に特別な力が宿ると信じられてきた)を桶に入れ、そこに燕麦の粒、ホップ、ガマズミの赤い実、卵、一片の炭を入れて、その水で産婦の手を洗う。そして、母乳がたくさん出るように念じながら、胸や背中にも水を振りかける。
話を聞きながら、まだ暗いうちにあちこちの水や穀物や植物を集めてきておまじないの水を作り、母猫にかけてやっているバユーンを思い浮かべる。なかなか甲斐甲斐しいところがあるじゃないか。「きっと、周りがいろいろ手を尽くして元気にさせようとする気持ちが、母親にも伝わるのかもしれないね」と言うと、バユーンは「そのはずなんだけど、それだけじゃあんまり元気にならなくてさ」とひげをしょぼしょぼさせて答える。
バユーンは「で、これはだいぶ重症だぞ、と思ったから、赤ちゃんを焼くおまじないをすることにしたんだ」と続けた。あ、赤ちゃんを焼く!?
ぎょっとして「まさかほんとうに焼くわけじゃないでしょうね」と訊く私に、バユーンは声を低くして「昔は焼いてたんだ、しかもほぼ、ほんとに」と答える。
なんでもそれは、生まれたばかりの新生児がいまひとつふにゃふにゃで元気がないように見えるとき、その様子が焼き足りないパンに似ていたことから生まれた風習で、元気のない赤ちゃんをパン生地で包んで、ふだんパンを焼いているペチカのかまどのなかに数秒入れては出す、また入れては出す、という動作を三回繰り返すことによって、赤ちゃんを「ちゃんと焼きあげて」元気にするおまじないなんだとか。もちろんかまどの火は消して、かろうじて熱が残っている程度の状態でやるし、万が一にも燃えかすに火種が残っていても、赤ちゃんの肌はパン生地に包まれているから安全、ということらしいのだけれど……。
「で、バユーンはどうやって子猫を焼いたの?」
気になるのはそこである。猫の住処には、もちろんペチカもかまどもない。バユーンはとりあえず小麦粉を水でゆるめに練ったものを子猫に塗りたくり、かんかん照りの浜辺に連れて行って、一匹ずつ首元を咥えては、砂浜に雑然と積まれているテトラポッドの隙間に入れては出し、入れては出し、を繰り返した。すると子猫たちは空腹も忘れて大はしゃぎで喜び、もっとやって、もっとやって、とねだる。バユーンが言われるがままにくたくたになるまで子猫を運んでいると、夕方になって、ずっと木陰から見ていた母猫がふいに起きあがり、「まあまあ、そんなに砂まみれになって……」と小言を言いながら、子猫の毛づくろいをはじめた。遊び疲れた子猫たちが母猫に飛びつき、おっぱいに吸いつくと、あらふしぎ、三日前までほとんど出なかった母乳が、ぱーんと張って出はじめたそうだ。
「あの母猫になにがあったのか、詳しくは聞かなかったけどさ。たぶん、なにかに囚われて目の前の子猫に目が向かなくなっていて、しかも自分でもわけがわからなくなっているみたいだった。わけがわからない困った状況のときは、猫も人間も、おまじないが意外と効くんだよ」と、バユーンは肩の荷がおりたような顔で言って、また目を閉じた。
人間の赤ちゃんにかんするおまじないや験担ぎはまだまだたくさんありそうで聞きたいけれど、今日はとりあえずバユーンを、ゆっくり休ませるとするか。
奈倉 有里 1982年生。ロシア文学研究者。著書に『夕暮れに夜明けの歌を』『アレクサンドル・ブローク 詩学と生涯』『ことばの白地図を歩く』『ロシア文学の教室』『文化の脱走兵』『背表紙の学校』、訳書にミハイル・シーシキン『手紙』、サーシャ・フィリペンコ『赤い十字』など。
イラスト 山田 緑
公式HP:http://midoriyamada.net/

