《なぜ高校野球だけが「特別」なのか》応援制度を支えるのは学校現場が実感する“教育的効果”と“最近の変化”「応援のお返しに野球部が吹奏楽部定期演奏会へ」
高校野球応援は、なぜ学校を挙げて行われる「特別な存在」となったのか。学校行事として野球応援に参加した高校生の声や、応援制度を支える背景を聞いた。【前後編の後編。前編から読む】
【写真を見る】昨年設けられた「応援団臨時休憩所」。塩タブレットなどがある
連続で点を取ると本当につらい。席を走り回って踊る
2026年7月、学校行事として行われた野球応援に参加した、ある私立高校の生徒がこう話す。同校では、学校公式サイトの年間行事に「野球応援」が記載されている。
「午前10時に現地集合と連絡がありましたが、解散時間は知らされませんでした。友人と『3時間くらいかな』と話して、持ち物にお弁当の記載もなかったので持って行かなかった。結局、午後2時ごろまで何も食べられず、すごくおなかが空きました。
でも、暑いのが一番しんどい。点が入るとメガホンを持って席を走り回る踊りがあるので、連続で点を取ると本当につらい。楽しいとかないです。試合もあまりわからないので、みんなが立ち上がったら立ってました」
生徒への連絡は、学習支援サービス「Classi(クラッシー)」を通じて行われ、応援Tシャツや帽子が配布された。当日は学校行事として実施され、教科と同様に出欠がとられた。
「全校応援のほかに希望者だけの自主応援もありますが、参加人数は全体の10分の1くらい。参加して成績が上がるわけじゃないし、メリットないです」
なぜ高校野球は「特別な存在」になったのか
数ある部活動の中で、なぜ野球部だけが学校を上げて応援される存在になったのか。『文化系のための野球入門』(光文社新書)の著者・中野慧氏は、「メディアの影響が大きい」と話す。
「1915年、朝日新聞が現在の『全国高校野球選手権大会』の前身となる全国大会を創設すると、新聞報道を通じて全国へ広まり、1927年からはラジオ中継も始まりました。以降100年も中高生の部活をコンテンツ化し続けているのは、ほかに例がありません。
対象が高校生になったのは単純で、全国大会を開催できるほど競技人口があった学生スポーツは当時、中等学校野球だけだったからです。中等学校とは、戦前の学校制度の呼び名で、現在の中学生、高校生にあたる年代を対象にした教育機関です。高校野球の応援を学校全体で行い始めた時期は明確にはわかりませんが、大学野球では1890年代から行われていたという記録があります」
「教育効果」が応援制度を支えてきた
野球応援を学校行事として位置付けるには、「教育の目的を設定し、その目的に沿った活動として位置付ける必要がある」と、名古屋大学大学院教授で『ブラック部活動』(東洋館出版社)等の著作を持つ内田良氏は話す。
「例えば、生徒同士の協働や一体感、主体性などを育むことが教育目標として設定されます」
実際、中野氏は、その教育効果を現場で実感してきた学校現場が、応援制度を支えてきたと分析する。
「先生方は、学校生活に前向きになれない生徒のことを気にかけています。全校応援はその点で非常に"効果"が高いとされています。あいさつをするようになった、教科に意欲的に取り組むようになった、という実感を現場は持っている。また保護者も、同じように感じているといいます。そういった教育的効果を、『愛校心が高まった』といいます」
一方で、野球部だけが応援の対象となる制度に不満を持つ生徒もいる。SNSでは、かつて応援に参加した生徒たちが、当時の本音を語る投稿も目立つ。
「批判的にとらえ、声を上げることは重要です。そうした声を受けて、現場レベルで変わっている部分もある。たとえば、『吹奏楽部は野球部の応援で重要な役割を担っているのに、野球部は吹奏楽部の応援になかなか来ない』ということが、2000年代後半からSNSで指摘されるようになりました。現在は、野球部が吹奏楽部の定期演奏会へ行くケースもあるといいます。批判の声が可視化されたからこそ、学校側や生徒の間での意識もアップデートされています」
転換点にある高校野球応援
高校野球をめぐる応援制度は、今後どうなっていくのか。
「転換点に来ていますが、今後も続いていくでしょう。マスコミ側は、『チアリーダーもがんばってる』『吹奏楽部もがんばってる』『応援席の子たちもがんばってる』といわんばかりにフォーカスを当てていますが、根本となる価値観自体があまり問われていない。
ただ、地域ぐるみで高校野球を支える文化が根付いている地域もあります。鹿児島県・奄美大島にある大島高校野球部は、島をあげて応援されています。応援が島のアイデンティティーとなり、地域の活力にもなっている。
そういった価値も認めつつ、この応援文化について、野球部以外の生徒や市民が気軽に意見できることが大切なんです。それが、高野連やマスコミ、学校や指導者の意識を変えるきっかけになります」
価値観や気候の変化により、行事としての高校野球応援には弊害も生まれている。一方で、昔から変わらぬ"良い側面"があることも確かなようだ。
