東京・下町で精密板金加工を営むトネ製作所は、今から18年前に売上の8割を占める取引先からの仕事を失い、経営は窮地に立たされました。会社のピンチを救ったのは、今年で専業主婦歴42年目を迎える妻・涼子さんのひとことがきっかけだったそう。現在も数か月待ちが続く大ヒット商品を生み出した町工場の物語です。

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卵溶き器具で「7年間で6万本、2億5000万の売上」

東京都荒川区で、精密板金加工の受注生産を行っているトネ製作所。創業63年を迎える工場が、7年間で6万本、2億5000万円を売り上げた大ヒット商品「ときここち」は、卵を溶くことに特化した調理器具で、現在も入荷待ちの状態が続いているそうです。

1本ずつ手作業で商品を仕上げるトネ製作所の利根通社長

「私が手作業で最後の仕上げを担当しているので、作れるのは1日50本が限界です。ありがたいことに全国の問屋さんや小売店さんからオーダーをいただけて、日々作っては出荷を繰り返していますが、また新しい注文をいただきまして…。オンラインショップで購入いただいた方も1か月半~2か月はお待ちいただいています。そこは申し訳ないと常に思っています」

会社の窮地を救った妻のひとこと

トネ製作所は、社長の通さんの父が立ち上げ、駅のホームドアや新幹線の部品などの製造を手掛けています。企業向けの取引をしていた会社が一般の消費者向けの商品を手がけるようになった理由は、経営の危機が影響していました。今から18年前に、パチスロ台の部品を納品していた取引先から突然、「製造拠点を海外に移す」と言われ、会社が窮地に陥ったといいます。

「売上の8割を占めていた主力の取引先から、『中国の工場に製造拠点を移転する』と言われて。『海外の価格に合わせられられるなら取引を続ける』とのことでしたが、人件費や材料費を考えると到底太刀打ちできず…。取引は中止となり、苦渋の決断でしたが、当時働いていた社員の半分、プレス部門の15人のリストラに踏み切りました。父の代から続く工場で、長年働いてくれていた方もいましたし、言い渡す際は数日眠れませんでした」

会社を守るため、経営に関する勉強や技術の改善など、できることは何でもやってきたと話す通さん。少しずつ仕事は増えていったといいますが、売上は多いときの3分の1に減少。この状況を脱却しようと、新たな分野の挑戦を決意したといいます。

「これまでは部品の製造がメインで、一般の方の目に触れる商品は作ってきませんでした。でも、うちはひと通り機械が揃っているし、材料も仕入れられるので何か自社製品を作れないかなと思ったんです。人の役に立つものを作ってみたいと、いろんなものを試しました。ステンレス製のコースターを作ったら、水滴を吸う役割をまったく果たさないので、グラスを置いたらびちゃびちゃ。売れたのはたったの2つでしたね」

試行錯誤すること数年。妻・涼子さんの何気ないひとことが、新たな商品開発のアイデアに繋がりました。

「奥さんがある日、キッチンで『これ、なんとかならないのかな』と。うちの妻は卵の白身のドロッとしたのが苦手で、カラザは絶対取って捨てていましたし、白身と黄身をしっかり混ぜて卵焼きを作っていたのです。そのため、腕が疲れてしまうようでした。でも、『なんとか』と言われても困りましたね。身近な人の悩みを解決するのもいいかもしれないと、手元にあったステンレスの板切れで、試しに卵を混ぜる棒を作ってみたんです」

妻のゴーサインが出るまで試行錯誤

こうして生まれた試作品1号を使って涼子さんに卵を混ぜてもらったところ、反応は良かったといいます。

「意外にも、ステンレスの板で卵がよく混ざったんですよ。『でも、ちょっと見た目が売り物向きではないよね』と言われ。だったら奥さんが納得いくまで突き詰めてみようと思いました。かわいい猫ちゃんをかたどった試作品2号は、「持ったときに痛い」と言われ、秒で却下(笑)。その後、長さや形を調節し、直線だった部分を曲線に変えて持ちやすくして。

最終的に、使いやすさを重視した形になりました。完成品の5号ができるまで1年半くらいかかりましたが、白身を切って混ぜやすくするため、0.1ミリ単位で厚みを調整し、最終的に0.7ミリに。先端部分はまるでゆで卵の断面のようなデザインで、手にフィットするよう曲線を帯びた仕上がりに。試作のたびに使ってもらっていたんですけど、ついに納得いくものができたときは、奥さん、喜んで踊っていましたね(笑)。」

奥さんから秒で却下されたこともあったという試作品から完成品まで

夫婦の努力が実って誕生した、卵を溶くことに特化した調理器具「ときここち」。知人の紹介で、2019年に池袋の東武百貨店で開催されたイベント「日本の職人展」に出展することからテスト販売をスタートさせました。

「チラシを握りしめてきてくれたお客さんがいたんです。まだ世に出ていない商品なのに、『私は今日、これを買いに来たのよ』って。想定していなかった反響に驚きました。奥さんは、うちが職人展に出るなんて最初で最後だからと言ってカメラを持ってきたんですけど、撮影できないほどブースに人だかりができちゃって。

自分たちは、物を作るのは得意でしたが売ることは初めてだったので、商品のことを聞かれても、しどろもどろ。ところが、その場にいた奥さんは今まで何度も自分が使ってきたものだったので、主婦目線の素晴らしい営業トークを展開していました。結果、6日間で315本も売れたんです。奥さんが8割くらい売ってたんじゃないかな(笑)。営業トークで奥さんから期待以上の話が返ってきたようで、奥さんに握手を求めていたお客さんもいたくらいです。イベントではMVP賞もいただきました。これが手応えを感じた瞬間です。ちなみに専業主婦歴42年目の奥さんは今、特別販売員という名刺を作って会社に貢献してくれています」

高価格帯の商品も「卵好きな人にヒット」目指すは世界の舞台

「ときここち」の価格は1本4290円(税込)。調理器具としては決して安くはない商品ですが、多くの人が買い求める理由はなんでしょうか。

「材料代や加工費を踏まえて、利益も出していかねばならないのでこの価格に設定させてもらっていますが、商品誕生の6年前に比べてすべての価格は上がっているものの、商品の値上げはしていません。プレゼントに最適という方もいらっしゃいますし、父の日や母の日の贈り物としても人気です。何より日本は卵が好きな方が多く、毎日必ず卵料理を食べる人が多いのがよかったのだと思います。商品の販売を始めて『しまった』と思ったことは、うちの商品は壊れないので、1回買ったら贈り物以外のリピートがないことです。今まで、使っていて壊れたというクレームもありません」

「ときここち」はその後、業務用も開発され、レストランや寿司店などで使われているといいます。

「業務用は卵10個を30秒ほどでキレイに溶くことができます。南青山の寿司店、きどぐちの大将から聞いたのですが、卵焼きを食べた常連のお客さんから、『卵変えた?』と聞かれたことがあったそうです。溶く道具を変えるだけで卵の味をより濃く感じるようになったという評判をいただいています。コロナ禍で、家でちょっとした贅沢が主流になり、卵かけご飯が流行ったのも、商品が売れる追い風となりました。家庭用の商品は、卵1個を溶くことに適しているのですが、オムライスなどを作る時用に卵5個をいっぺんに溶ける、家庭用の商品も現在、開発中です。

忙しい毎日ですが、お客様の声があるからがんばれています。みなさんからいただくお手紙は宝物です。便箋3枚、びっちり感想を書いてくださった方がいて感動しました。金属の部品を作っていると、なかなか直接反響をいただくことはなかったもんですから、直接声が届くのは嬉しいですね」

東京の下町で育った通さんが、目指すのは世界に通用する商品です。

「下町から世界に技術を届けたいという思いで取り組んでいます。僕は大学に行きたいと思っていたんですけど、高度成長期が終わって、親父が家一軒買えるような値段の機械を入れて、『この機械を動かすのはお前しかいないだろう』と。高校卒業後から父と仕事を始めました。僕は父の背中を見て育ったのですが、今はふたりの息子が一緒に仕事をしてくれています。

昔はにぎやかでしたが、この地域の工場はどんどん潰れてしまって。生まれ育った場所を盛り上げていきたいと思っています。日本の技術を世界に伝えるために、まずは国内。調べたら、日本全国5500万世帯あるそうです。1世帯に1本の商品普及を目指しているのですが、今のペースだとあと7000年かかります(笑)。まだまだがんばらなくてはですね」

取材・文:内橋明日香 写真:トネ製作所