朝ドラ「ブラッサム」のモデル・宇野千代の生涯を貫く「昭和モダニズム」の美意識とは【宇野千代】

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2026年度後期・連続テレビ小説「ブラッサム」のモデルである宇野千代。雑誌の編集や着物のデザイン、数々の作品によって千代が表現した「昭和モダニズム」の美意識とは何か。和から洋へと移り変わる日本人の価値観に、いかに影響を与えたのか。

『宇野千代 昭和モダニズムの伝道者』では、時代・風俗考証の第一人者が、膨大な史料を精査し、昭和史を彩った宇野千代の生涯に迫ります。

今回は、本書より「はじめに」を特別公開します。

刑部芳則『宇野千代 昭和モダニズムの伝道者』

 日本近現代史を振り返ったとき、昭和戦前期と戦後期とでは、生活文化に対する価値観に大きな差を感じる。昭和初年には、昭和モダニズムと呼ばれる、和の生活文化と、洋のそれとが融合された新しい生活スタイルが生まれた。モダンな洋式を取り入れた男性はモダンボーイ、女性はモダンガールと呼ばれた。一方、従前の和式の生活文化を好む人たちもいた。

 明治から昭和まで長い時間を生きた人物は数多くいるが、作家とデザイナーの二足の草鞋(わらじ)を履いた宇野千代(うのちよ。一八九七─一九九六。以下、本書では千代と略称)は、昭和モダニズムを考える上でも重要な一人といえる。千代は着物に袴(はかま)姿で高等女学校に通学し、セーラー服に袖を通すことはなかった。世代的には昭和モダニズムを受け入れる世代よりも少し年長にあたる。それにもかかわらず、昭和モダニズムの和と洋のバランスを絶妙な感覚で持ち続けた。

 馬込(まごめ)文士村と呼ばれる、作家たちが集まって住んでいた馬込村で、率先して断髪を行ったのは千代であった。洋式の化粧、洋髪、洋服といった出(い)で立ちから、千代はモダンガールの一人に数えられる。一方、昭和が終わりを迎えるまで和服のデザインおよび販売をし、平成を迎えてからも、桜と和服を愛し続けた。こうした好みからは、モダンガールとは対照的な日本の古風な女性の姿が浮かびあがる。

 そうした感覚は持って生まれたものだけではなく、千代が歩んだ明治から昭和という時代の変化と、作家の尾崎士郎(おざきしろう)、画家の東郷青児(とうごうせいじ) 、作家の北原武夫(きたはらたけお) など、彼女を取り巻く男性たちとの関係によって、磨かれていったものだと考えられる。千代は自分の人生について「泥棒と人殺しのほかは何でもした」と書いている(宇野千代『生きて行く私』上)。

 男性遍歴をはじめ、小説を書いたり、事件で警察に呼び出されたり、出版社を創設したり、三味線の名取(なとり)になったり、脱税事件で検挙されたり、火事を起こしたり、会社が倒産したり、和服と洋服のデザインをしたり、名誉ある数々の賞を受けたり、昭和天皇に拝謁したり、平凡な人生ではあり得ない体験をした。

 オーラル・ヒストリーを重要視した、元東京大学文学部教授伊藤隆(いとうたかし)は、千代からも聞き取りを行った。話を聞いた伊藤は「昭和の歴史よりも、宇野さんご自身の歴史の方が、ずっと面白いですね」と感想を述べている(宇野千代『しあはせな話』)。テレビのトーク番組『徹子の部屋』に出演したときには、司会の黒柳徹子(くろやなぎてつこ)が「お話してくださるひと言ひと言に、もう笑ったり、びっくりしたり、ドキドキしたり、ハラハラいたしました」と驚きを隠せなかった(黒柳徹子『新編 黒柳徹子の一生懸命対談』)。

 千代は晩年まで私小説や自分のことを書くのが上手く、それが読者にも人気であった。なぜ受けるのかといえば、千代の体験や生き方が面白いからである。ところが、千代に対する印象は、百歳近く長生きした、眼鏡をかけて桜の模様の和服を着たお婆さん、という程度しかないのではないだろうか。代表作を聞かれて、『おはん』や『色ざんげ』といった作品名が出る人は少ないだろう。

 そこで本書では、千代の波乱万丈でありながら、常に前向きに生きる生涯を描く。日中戦争から太平洋戦争中の戦時生活を、これほど愉(たの)しく生きた人は珍しい。どのような過酷な環境や、暗いどん底に投げ込まれても、決して悲しいとか、嫌だとか思わず、何か愉しいところを見つけて生きる。千代のポジティブな人生観は、未来の幸福を導くための参考ともなるだろう。

 本書では、私小説に描かれた虚像を取り除き、歴史的事実である実像としての千代の姿に迫っている。例えば、他書では千代が出版した『スタイル』を日本初のファッション誌またはモード誌として紹介しているが、これは誤りである。このように本書では、他書では触れていない千代の逸話や、歴史的事実について沢山(たくさん)取り上げている。そして、千代の約一世紀にわたる長い人生を通し、彼女が昭和モダニズムの伝道者であったことを考察する。

 明治から平成までの間に、生活様式や価値観は、和式から洋式へと変化していった。千代は雑誌『スタイル』で洋式の生活文化を紹介する一方、和服など日本独自の生活文化の魅力を伝え続けた。新しい感覚を受け入れつつ、昭和三十年代に高度経済成長を迎えてからは、和服に力を注ぐようになる。変わりゆく時代のなかで、千代の価値観を変えたものと、生涯を通して変わらなかったものから、私たちの生活スタイルの原点となった昭和モダニズムの時代が見えてくる。

刑部芳則(おさかべ・よしのり)

東京都生まれ。中央大学大学院博士後期課程修了、博士(史学)。現在、日本大学商学部教授。専攻は日本近代史。NHK大河ドラマ「西郷どん」で軍装・洋装考証、NHK連続テレビ小説「エール」「ブギウギ」「あんぱん」「ばけばけ」等で風俗考証を務める。著書に『洋服・散髪・脱刀』(講談社選書メチエ、のち吉川弘文館)、『セーラー服の誕生』(法政大学出版局)、『洋装の日本史』(インターナショナル新書)など。