「語り手なき時代」に「あの戦争」のリアルを継承していくには【戦争をいかに語り継ぐか】

写真拡大 (全3枚)

「あの戦争」を非体験者がリアルに捉える方法とは?戦争体験者たちの「証言」が聞けなくなる時代が近づく中で、記録映像から「戦争のリアル」を継承していく方法を探る『戦争をいかに語り継ぐか 「映像」と「証言」から考える戦後史』

悲惨な体験をした語り手を前に、理性で戦争を捉えることを避けてきた戦後。「語り手なき時代」に戦争を語るための必要なコミュニケーションとは何か。本書より「第二章 「戦争を知らない子供たち」について考える」の一部を公開します。

『戦争をいかに語り継ぐか』

一九七〇年代とコミュニケーションの「断絶」

「なぜ」と「だから」の間

 戦後七十五年。かつてそれを体験した人々は「あの戦争の実相」を様々な言葉で、そしてメディアを通じて「伝えよう」とし続けてきた。しかし、その多く場面で人々は、「だから戦争はいけない」という結論に飛びついた。今日のネット社会を見回すと、こうした紋切り型のメッセージに息苦しさを訴える新しい時代の人々が、少なからず目に入ってくる。しかし彼らが反射的に示す拒否の姿勢も、基本的にはマスメディア時代に浸透した受け身の態度と変わらない。

 一九四五年以降に生まれた世代にとって「戦争」のイメージは、方法はさておき学ぶべき対象として出会うものである。そしてそれが圧倒的な情報量で迫ってくる季節が「八月」だ。その中でも特別なトピックが「原爆」だろう。数多の「戦争の記憶」の中でも、唯一無二の理不尽な出来事であり、それが「八月十五日」と時間的に重なり、「戦争終結」のシナリオを支えている以上、ある程度やむを得ない。事実、今もなお八月前半のテレビにおいて「原爆」は、戦争番組のラインナップの四番バッターである。

 しかも「原爆」は、一般市民が「戦争がもたらす夥(おびただ)しい死」を、激しい衝撃をもって知る機会となる。それは、当時を生き延びた人々が口にする「罪のない人々が、一瞬にして」という言葉とともに、現代の日常生活に強く訴えかける力を持つ──しかしここに落とし穴がある。「罪のない人」とは誰なのか。本当に悲劇は「一瞬にして」やって来たのか──我々はその問いに本当に答えられるのか。しかも凄惨さに触れ、恐怖に揺さぶられた感性の次元から、理性で対象を捉えるステージに認識を切り替えるのは容易ではない。

 「なぜこんな悲惨なことが……」は、「夥しい死」に向ける問いの一歩目にある──と同時に、極めて厄介な言葉でもある。何しろ体験者たる語り手自身が、誰よりもその「答え」を求めているからだ。そこに体験も知識もない聞き手、すなわち戦後世代がすぐに言葉を返せるわけがない。期待にそぐわぬ答えを返せば、𠮟責されるならまだしも、「平和な時代に生まれてよかったね」(あるいは「感謝しなさい」)と突き放されるのがオチだ。「だから戦争はいけない」という結論は、そうした言葉のキャッチボールでのエラーを回避させてくれる「正しい答え」なのである。

 「なぜ」から「だから」への、このショートカットのおかげで、我々は様々な場面で、語り手と聞き手の関係に予め仕込まれた非対称性に目を瞑(つむ)って、互いに頷きあい、「わかり合うポーズ」を演じることができた。「戦争」についてもその姿勢をとることで、なんとか「とりあえずの平和」というゴールを共有することができたのだ。言い換えれば「だから戦争はいけない」への短絡は、戦火が収まっただけのボロボロの環境の中で、前を向くための知恵だったのだ。但しこの約束ごとは、まだ体験者と戦後世代の距離が近かった時代だけに有効な、符牒のようなものだったのかもしれない。

コミュニケーション成立の条件

 まもなく到来する「語り手なき時代」には、間違いなくこの符牒は無効になるだろう。そしてこの環境変化は、その符牒が実際は「戦争」から目を背けることを許し、「戦争を考える」ことを棚上げにしてきた「戦後」という歴史をもきっと忘れさせてしまう。

 二十世紀の言語学の発展に決定的な影響を与えたロマン・ヤコブソンは、コミュニケーションが成り立つには六つの構成要素が必要であると言う。まずそこに「送り手(語り手)」と「受け手(聞き手)」が存在し、その間に「メッセージ」が、何らかの記号のかたまりとして発せられる。しかしこの三つだけではそれが意味するものは「伝わらない」──その記号が指し示す対象(ヤコブソンは「コンテクスト」と呼んだ)と、それを共に同じ次元で理解しあうための「コード」がなくてはならない。そしてそもそも、語る人と聞く人が出会う「コンタクト(接触)」の場がなければ、「メッセージ」を運ぶことはできない。

 この「ヤコブソンの六機能式」を参考に考えると、「なぜ、こんな悲惨なことが……」という問いが、「だから戦争はいけない」の結論にショートカットしていった理由がわかる。それぐらい「コンテクスト」「コード」「コンタクト」を揃えるのが、困難なのだ。そもそも体験に基づく語りは、まずはそこに指示すべき対象(コンテクスト)がない苦しみに直面する。それをなんとか示せたとして、「聞き手」に「メッセージ」を受けとる姿勢を作らせる(ヤコブソンは「働きかけ機能」と言った)のが難しい。そこまで整えても「聞き手」がそれを解釈し、「語り手」と共有できるかはわからない。そこで「メッセージ」の中に直接「コード」を入れ込んだ──それが「だから戦争はいけない」なのである。

 メディアは── とりわけ「語り手」の存在を映し出すテレビは、この六つの構成要素をバーチャルに構成する装置としての役割を担ってきた。それが成功していたか、あるいは意図して成功を演じてきたかは別にして、それによって我々の「戦後」生活の時空間が支えられてきたことは確かだろう。そう思って振り返るならば、戦後六十年以降の戦争番組の大量生産と、そこから十五年の紆余曲折は、そうした社会環境の変質の反映であったとも言える。

 故に、テレビというメディアの誕生と「戦後」の因果関係については、押さえておく必要があろう。日本でテレビ放送が始まった一九五三年の前年に、講和条約が発効しているという事実。そしてその使命が記された放送法(一九五〇年制定)の目的(「表現の自由」「健全な民主主義の発達に資するようにすること」)を読めば、テレビがなぜ「戦争」を特別視し続けてきたかがわかるからだ。子どもならば「学ぶべき対象」との出会いは、学校によって保障される。しかし「大人」はどうか。それをどこかで必ず学ばねばならないとしたら──「テレビ」はその要件を備えたシステムとして、うってつけの存在だったのである。

続きは、『戦争をいかに語り継ぐか──「映像」と「証言」から考える戦後史』でお楽しみください。本書は、下記の構成で、迫る「語り部なき時代」に、戦争という歴史を継承していく方法を検証していきます。


目次
序章 「戦後」が終わる前に
第一章 戦争を「語る言葉」のもどかしさ――戦後六十年以降のテレビ番組から
第二章 「戦争を知らない子供たち」について考える
第三章 「空白」を埋める――映像で出会いなおす「あの戦争」
第四章 語り継ぐ条件――対話への階梯
終章 「戦後」の、その先を生きる

著者

水島久光 (みずしま・ひさみつ)
1961年生まれ。東海大学文化社会学部広報メディア学科教授。慶應義塾大学卒業後、広告会社、インターネット情報サービス会社を経て、東京大学大学院学際情報学府修士課程修了。専門は現代の映像メディア研究。著書に『閉じつつ開かれる世界──メディア研究の方法序説』(勁草書房)、『テレビジョン・クライシス──視聴率・デジタル化・公共圏』(せりか書房)、『メディア分光器──ポスト・テレビからメディアの生態系へ』(東海教育研究所)など。
※刊行時の情報です。

■『戦争をいかに語り継ぐか──「映像」と「証言」から考える戦後史』より抜粋
■注、図版、写真、ルビなどは、記事から割愛している場合があります。

関連記事