経済効果の大きさから「100億円ギャル」の異名を誇った益若つばさ(写真・福田ヨシツグ)

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 17歳でモデルとしてブレイクし、2000年代半ば、経済効果の大きさから「100億円ギャル」の異名を誇った益若つばさ。

「小学生のころから『egg』や『Popteen』を熟読してお洋服をまねしていました。すごい人見知りで内気だったんですけど、見た目が明るくなったら、マインドも明るくなれるのかなと思って」

 ギャルは、街の視線を一身に集める存在だった。

「当時のギャルって、黒肌に派手髪、ギラギラネイル、お腹を出したミニスカファッション! みたいに定義が決まっていました。だから、下北沢の古着とかも好きだったけど、ギャルを極めるためにあえて着ないようにしてましたね。中途半端だと、“パギャル” と呼ばれちゃう時代でした」

 彼女の着た服が次々と爆売れし、「つばさ売れ」と呼ばれる社会現象を巻き起こす。

「何年かたって渋谷を歩いていると、自分と同じアイテムをつけたコたちが街中にあふれていました。『みんなめっちゃ派手じゃない!?』と友達に言ったら、『いやいや、つばさの影響だよ』と言われるように。本当にびっくりしました」

 そんな渋谷は、モデル時代からの思い出がつまった街だ。

「高校生で読者モデルを始めてからは、とにかく忙しくて。日サロでバイトしながら、夜中まで撮影して、帰ったら家でコーディネートを組んで、地元の埼玉から始発で東京に行ってまた撮影という生活。

 だけど、その合間を縫っては渋谷で遊んでいましたよ。やっぱり渋谷で遊ばないとギャルじゃないので(笑)。マルキュー(『渋谷109』)に行って、センター街でプリクラを撮る。朝までカラオケオールして、次の撮影に行くこともありました。全部の方向に本気でしたね」

 当時のギャルカルチャーがうかがえるエピソードも。

「地方のクラブイベントに出演するお仕事がよくあって、地元の20代くらいの若いコたちがオーガナイザーを務めているんです。イベント前には、なぜか必ず一緒にカラオケに行って、今の価値観じゃありえないんですが、お酒を飲んで舞台に上がることも」

 ギャル特有のフットワークの軽さが思わぬ人脈につながることもあった。

「あのころは、知らないおじさんたちにご飯をおごってもらうこともありました。みんな『この人誰だろう?』って思いながらご馳走になるのですが、今でいうちゃんとした会食だったんですよね。後から『マルキューの社長だよ』とわかったり。

 私は事務所に入っていませんでしたが、人との縁が、どんどんCMや広告の仕事につながったりしていました」

 23歳で “ギャルモデル×プロデュース業” という新境地を切り開いた益若。今は新たにライフスタイルブランドを立ち上げるなど、さらに活動の幅を広げている。

「もとからいろいろ分析するタイプで、ギャルモデルになってからも研究の日々でした。まわりの人について考えるのも好きで、武藤静香ちゃんや鈴木奈々さんとか後輩のコに客観的なアドバイスすることも。似合いそうなメイクとかベストな髪形とか見つけると、今でもDM送っちゃいます(笑)」

ますわかつばさ
17歳で「Popteen」モデルとしてデビュー。2025年は新たにライフスタイルブランド「MEND」を立ち上げ、活動の幅を広げている

取材/文・蜜ツ冶、逢ヶ瀬十吾(A4studio)