【ロッキード事件から50年】秘密代理人にして超大物右翼「児玉誉士夫」を知る“愛人”が告白していた「別にたいした話もないけれど、それでもいい?」
いまからちょうど50年前の1976(昭和51)年7月27日、すでに辞任していたが、隠然たる権力をもっていた田中角栄元首相(1918〜1993)が逮捕された。アメリカの航空機メーカー、ロッキード社から5億円の賄賂を受け取っていたとの、戦後最大の政治疑獄「ロッキード事件」である。
【写真を見る】戦後史の「闇」を知る男「児玉誉士夫」の数奇な人生
この事件では、政治家や財界人など多くの逮捕者が続出した。そのなかに、一般にはあまり知られない、“怪人物”がいた。暴力団や右翼陣営と深い関係をもつ、児玉誉士夫(1911〜1984)である。彼こそは、事件の「闇」をすべて知る、“ロッキード社の秘密代理人”といわれた。いままで表に出なかった“政財界の陰のフィクサー”が、ついに国会で証人喚問の席に立つ……日本中が注目した。

ところが児玉は、証人喚問の直前、「病」に倒れ、在宅起訴となった。その後、公判に一度だけ、杖をつきながら出廷した。だが今度は、脳梗塞を起こし、自宅での臨床尋問。それすら「体調不良」でまともに進まないまま、1984年1月17日、72歳で逝去。裁判は中止となった。
これで戦後史の「闇」は、すべて謎のまま葬られるのか……。実は児玉は、若き日は“性豪”として知られており、「かかわった女性は正直いって1000人以下はない」と公言していた。週刊新潮の担当役員だった斎藤十一(1914〜2000)は、そんな児玉の過去を記憶していた。「深い仲だった女性がいたはずだ。その告白手記を読みたい」――おそるべき“指令”が、現場に下りて来た……。(前後編の前編)
大先輩記者のメモにあった「住所」とは……
さっそく取材班が組まれた。デスクは、岩本準さん。当時、名物連載《CLUB》欄の担当だったが、毎週後半は、「外折」と呼ばれる最終締切の特集記事のまとめも担当していた。さらに、のちに第4代編集長となる松田宏デスクが監修役で補佐についた。記者は若手3人。そのひとり、Aさん(現在68歳)の回想。
「手記をとってこいといわれたのが、外折の最終会議、つまり、1月23日(月)の昼ですよ。その日のうちに取材して翌朝までには原稿を書き上げて印刷所に入れ、24日(火)夕方には校了しなくてはならない。さすがに松田・岩本両デスクも、いくらなんでもと、困惑顔でした」
児玉誉士夫は、それまでに3回結婚していた。最初の2人はすでに故人。当時の夫人は49歳の元女優である。
「可能な限り、現夫人や、関係していた女性や周囲の証言を集めて記事にするしかない、ということになりました。そこで、かなり以前に児玉誉士夫を取材したことがある大先輩で、当時フリーだったN記者が急きょ、呼び出されました」
そのN記者が、むかしの取材メモを持ってきてくれた。そのなかに赤坂芸者と、児玉の子を産んだお妾(めかけ)さんの2人の住所が残っていた。さっそく取材先が振り分けられる。A記者は、お妾さん担当になった。
「ところが、N記者のメモを見せてもらって呆然となりました。住所が、栃木県小山市なんですよ。いまだったら、湘南新宿ラインや新幹線で、都心から2時間弱で着きますが、当時はそんな便利な路線、ありません。行ったものの、不在とか取材拒否だった場合、“討ち死に”です」
そこでA記者は、いまでも小山市に在住かどうか、104番で確認してみた。104とは、NTT(当時は日本電信電話公社)の電話番号案内サービスである。住所と名前を告げると、(電話帳登録があれば)電話番号を教えてくれるのだ。わかったら電話して在宅か不在かを確認する――。
「ところが、104によると、登録がないというんです。ということは、住んでいるが電話帳に載せていないか、転居しているかの、どちらかでしょう」
どうするべきか……迷っているA記者に、松田デスクの容赦ないことばが飛ぶ。「キミ〜、とりあえず突っ込むのが記者なんだねー。もし出かけてるようだったら、帰宅まで徹夜の張り込みだ。クルマ(タクシー)を引っ張っていってくれ」
当時はまだ景気のよい時代で、こういう張り込み取材では、貸し切りタクシーの使用が認められていた。A記者は、なじみの個人タクシーに来てもらい、半ば泣き顔で小山市を目指して出発した。
すでに転居していた、その引っ越し先は……
「現地に着いたのが、夕方4時すぎくらいでした。ところが、メモの地番はたしかに実在するんですが、ご本人の表札はないんですよ。このあたりは、建物の様子がすっかり変わっているようでした。一軒だけ、むかしから住んでいる家が見つかったので聞いてみたら、その女性はとっくに転居しているとのことでした」
幸い、その家は以前に女性から来た年賀状を保存していた。事情を話すと見せてくれたのだが……。
「引っ越し先は、東京・八王子でした。ふたたび104で確認してみましたが、電話帳登録は、ないようでした」
A記者は松田デスクに電話し、指示をあおぐと「じゃ、すぐ八王子へまわって、話を聞いてきてくれ」と、またも軽くいわれた。A記者を乗せたタクシーは、栃木県小山市から八王子へ、大回りで向かう。A記者は「もう、どうにでもなれという気分でした」。
八王子に着いたころは、もう暗くなっていた。市内でもかなりはずれのようだ。いまのGoogle Mapのような便利なツールがある時代ではない。薄暗い住宅街で、目当ての家をたずねあてたのは、夜8時近かった。たしかに目指す相手の名が表札にあった。
「古い、小さな一軒家でした。裏手の勝手口のほうに灯りがついていたので、そちらから入っていきました」
戸を開けると台所で、短めの髪を茶色く染めた、スラリと背の高い年輩女性が立っていた。Sさん、65歳。元宝塚歌劇団といっても通じるような、しゃれた女性だった。
「ひと目で、彼女こそ児玉誉士夫のお妾さんにちがいないとわかりました。いわゆる“堅気の女性”とはちがう、強烈なオーラが全身から漂っていたのです」
A記者は夜に押しかけた非礼を詫び、身分を名乗って、取材意図を告げた。
「え〜、小山からまわってきたの? よくここがわかったわねえ。児玉? ああ、そういえば亡くなったのよね。別にたいした話もないけれど、それでもいい?」
A記者は台所の小さな食卓で、Sさんと向かい合った。それから3時間近く、Sさんは驚くべき過去を“告白”してくれた。
【後編は「『大きなトランクを開けたら軍票がギッシリですよ』 政財界のフィクサー『児玉誉士夫』が愛した『女性』が語っていた秘話〈ロッキード事件から50年〉」】
森重良太(もりしげ・りょうた)
1958年生まれ。週刊新潮記者を皮切りに、新潮社で42年間、編集者をつとめ、現在はフリー。音楽ライター・富樫鉄火としても活躍中。
デイリー新潮編集部
