取材中の森本潔(C)日刊ゲンダイ

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【元阪急ブレーブス森本潔 異端児と勇者たちの残響】#31

【前回を読む】中日で過ごした3年間 権藤博さんは俺みたいな“外様”にも陰日向なく接してくれた。いい人だったなあ

 前身となる阪急軍から数え、今年で球団創設90周年を迎えた阪急ブレーブス(現オリックス・バファローズ)。当時のパを代表する名手を幾人も輩出する中、ひときわ異彩を放っていたのが森本潔だ。球界から突如消えた反骨の打者の足跡と今を、ノンフィクションライターの中村素至氏が追った。(毎週木曜掲載)

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「ちょうどバブルの時期だったので、ゴルフ場の会員権を買ったり、ハワイに土地も買ったりしてね。その頃は銀行が金を貸してくれたからね。ところがバブルがポーンと弾けちゃった。借金は自分のマンションを売り払って返済した。スナックも赤字になって、すぐ辞めた」

 順風満帆だった生活がバブル崩壊によって急変した。そして、90年代前半まで続いていた解説者の仕事まで失うことになる。

「現役を引退した選手が新たな解説者になって、次第に淘汰されていくもの」と、森本は振り返るが、ここから「流転の人生」が始まることになる。

「いろんな仕事をしたなあ。でも苦労したとは思っていないよ」

 一時期、タクシー運転手の仕事に就いていた時期があった。

「名古屋のホテルの前から、梶本隆夫さんを乗せたことがあったんだよ。俺も変なプライドがあったのかなあ。話しかけられなくて、車の中でも黙っていた。そのままお別れたしたんだよ」

 梶本が中日の二軍コーチだった98〜99年あたりのことだったようだ。

「ミヤ(宮本幸信)から聞いただろ? 梶本さんも『森本だとわかったけど、声をかけられなかった』と言っていたってね。俺も後部座席の梶本さんをチラチラ確認しながら運転していたけど、結局何も話せなかった」

 岐阜県で寮の管理人の仕事をしていた時期もあった。

「その頃、シニア世代の軟式野球の試合に誘われて参加したことがあった。偶然、近くを通り掛かって試合を見ていた島谷金二と会ったんだ」

 トレードで森本の交換相手だった島谷は、引退後は阪急や中日のコーチを経て、当時は中日の球団職員をしていた。

「島谷に『モリさん、元気でやっとるかね』と声をかけられて、『俺は今、この草野球が面白くてかなわんのだわ』なんて話したかな。そんなこともあったよ」

 紆余曲折を経て、現在の森本は名古屋市郊外の見晴らしのよい高台の住宅で悠々自適の生活を送っている。

 現役時代のトロフィーや記念品の類は一切残っていない。

「引退してから、10回ぐらいは引っ越したからね。トロフィーなんかその度に壊れていくんだ。持っていても仕方ない」

 形あるものは必ず壊れる──そんな無常観が森本の言葉から感じられた。

 何十着もあったジャケットやスーツなどの服も、趣味だったクラシックやジャズのレコードもすべて処分した。

終活の一環」と言うが、きれいに片付けられた室内、ベランダの鑑賞植物の配置など、お洒落な森本らしくまとめられていた。

 毎日の晩酌と愛猫との穏やかな暮らし。現役時代のギラギラした「グラウンドの勝負師」の面影はなく、まるで悟りを開いた仙人のようだった。

(中村素至/ノンフィクションライター)