毎日のように走り回っても「上手くなる」とは限らない! プロレーシングドライバーが教える「運転下手」に欠けている能力とは

運転が下手な人に共通していることとは
「運転が下手だね」と言われて、嬉しい人はいないだろう。クルマ好きなら侮辱された気持ちになるはずだ。しかし実際問題として、運転が得意か不得意かということは、クルマが好きか嫌いかとは別問題で起こり得る。
クルマにあまり興味がなく、「運転が下手なんだよね」と自ら言えてしまうような人は、そもそもこうした記事に関心を持たないだろう。一方、この”中谷塾予備校”を熱心に読んでくれている読者諸兄なら、少なくともクルマに興味があり、ドライビングテクニックのスキルアップに積極的な人が多いはずだ。そういう人が「運転が下手」と言われれば、大きな落胆を覚えるに違いない。

スキーが下手な理由をドライビング理論で納得
では、「下手な運転」とはどういうことなのだろうか。本人が自覚している場合もあれば、まったく自覚していない場合もある。ドライビングビギナーであれば、まだ自覚に至っていないケースも考えられる。
たとえば筆者自身は、スキーやオートバイにも長く親しんできたが、このふたつについては明確に下手だと自覚している。
スキーは中学生の頃から始め、すでに50年以上のキャリアになるが、いまでも上手く滑れるようになれたと思ったことは一度もない。それは、ある時点で「自分は努力しても上手くなれない」、「意のままに滑れるようにはなれない」という事実に気づいたからだ。
そのキッカケになったのが、クルマのドライビングを理論的に考えるようになったことである。
スキーで滑るという行為も、地球の重力、斜面の角度、スキー板と雪面との摩擦係数(μ)、エッジの食い込みによる雪面の剪断力によって成り立っている。人/スキー/環境というトライアングルはクルマの運動理論と本質的には同じだ。しかし、自分はどうしても思うように曲がれず、思うように止まれず、ゲレンデの斜度や摩擦係数の変化、凹凸にも上手く対応できなかった。

スキービギナーの頃は、キャリアを積めば、練習すれば、いい道具を揃えれば上達するはずだと考えていた。しかし、いくら練習しても、板やブーツを替えても、思いどおりには滑れなかった。
身体的特徴や脆弱な足腰がスキー/バイク下手の原因
そこでクルマと同じ理論に当てはめて、自分のスキー特性を考えた結果、自分にはサスペンション機能、つまり脚力が圧倒的に不足しているという結論に至った。
スキー板を履き、身体を支えているのは足だ。その足腰がバンプを乗り越え、板をコントロールし、エッジを立て、向きを変え、ヨーを発生させている。しっかりしたサスペンション機能が備わっていなければクルマを思いどおりに走らせられないのと同じで、自分の足腰はスキーを上手く滑るための性能が決定的に足りていなかったのだ。
ならばトレーニングで鍛えればいいと考えた時期もある。スクワットやウサギ跳びなどで筋力アップを図ったが、筋肉は付けど足首の関節まわりは太くならず、自分の体重を支えながら十分なダンピング性能を発揮することはできなかった。
年に数回のスキーのために、日常生活を削ってまでトレーニングを続けることは効率的ではないと気づいた時点で上達はあきらめ、一定のレベルで楽しむことにした。
二輪車についても同様である。自身の身体的特徴として下半身が細く、上体が大きいため、重心が高い。着座位置の高い二輪車にまたがると、自分よりはるかに重い車体の重心と身体の重心位置が離れていて、車体を十分に支えて操ることができない。停止時の足つき性の安定感も悪く、高い重心を足首で支えきれず、何度も”立ちゴケ”を経験した。このことから、二輪車を本格的に操るのも身体的に難しいと判断し、日常の移動手段としては使っても、サーキットやモトクロスコースに挑戦することはなかった。

このように、いくら好きでも、どうしても上手くなれない、乗りこなせない、ということは起こり得る。それはクルマについても同じである。
判断能力を鈍らせる”未知との遭遇”
クルマの運転操作は、スキーやバイクに比べれば一般的な人にとって親和性が高い。シートに座って、ハンドルをまわし、ペダルを踏む操作を行うだけで、誰でも運転免許を取得し、公道を走ることができる。それでも上手、下手が現れるのはなぜか?
運転は、毎日乗り続けることで確かにスキルが高まる。歩行や自転車から、クルマへという大きな移動スケールの転換を果たすと、誰でも最初は不安を覚える。

レーシングカート経験者であっても、一般公道に初めてクルマを運転して出たときは怖さを感じるはずだ。そのときに「怖い」と思うのはどういうことかというと、普段まったく走ったことのない道路の中央寄りに自分が位置し、厳格な交通ルールの遵守のほか、対向車、信号、歩行者、自転車、変化する路面状態といった情報が同時に押し寄せるからである。
未知の道を走ることも多くなる。ナビゲーションで進路を確認しながら運転する行為も初めて運転する人には不慣れに違いない。こうしたことは、毎日クルマに乗ることによって徐々に慣れてくる。運転操作自体は難しくないので、とくにAT車であれば毎日乗ることで、走り慣れたルートが形成され、同じルートを同じ時間帯に走る通勤、通学などにおいては運転が上達したように思えてくる。しかし、知らない環境、知らない道、知らない状況に出くわすと、突如として判断能力が欠如してくるのである。

基本中の基本は「視野は広く・視点は遠く」
クルマの運転を上手くこなすうえで必要不可欠なのは「知識」である。雪道は滑る。雨の日は視界が悪く、水たまりは避けるべき。頭ではわかっていても、どの程度危険なのかは経験しなければ理解できない。
雪国で育ったドライバーは雪道での運転の上達が早い。それは毎日雪道を走ることができるからであり、逆に都心に出てきて無数の信号があり、交通の流れが速く、多くの車両が行き交うような複雑な交通状況では不安を覚えるはずである。

こうした環境変化への適合能力が高いか、低いかが、じつは運転の上手、下手を決定づける重要な部分とも言えるのだ。視野が狭く、一点を集中して見続けてしまえば、まわりの状況判断が遅れ、急な割り込みや信号の見落としで急ブレーキを踏むなどの下手に見える運転になってしまう。
また、運転の姿勢、ドライビングポジションなども重要だ。ラクな運転姿勢をとってしまうと、急な状況変化に正しく即応することができなかったり、誤った操作や操作の遅れ、ステアリングの切り増し、戻し遅れが生じたり、またブレーキング時の操作が雑になって、急ブレーキを踏んだときに自分の運転姿勢が崩れ、次の回避行動ができなかったりする。こうした下手に見える、思われるような運転は、正しい着座姿勢を取ることによっても改善され、上手な運転へと上達する可能性が見えてくるのである。

今回の予備校は、いつもと若干異なり、経験則や知識の側面からドライビングを解説してみた。
必ずしも理論中心の話ではないが、「クルマが好き」というだけでは運転は上手くならない。自分が下手かどうかを判断する基準は、同乗者が不快に感じていないか、周囲の交通と調和しているかにある。明らかに迷惑がられる運転をしているなら、それは下手な運転だと受け止めるべきだ。
環境に即した運転操作をつねに心がけ、日々の運転を「慣れ」だけで終わらせず、その場で何が必要かを考えること。そしてクルマの理論やメカニズムに対する理解を深めることが、上手な運転への道標となる。
自身の経験則と照らし合わせて、少しでも参考となる部分があれば幸いである。
講師 中谷明彦

武蔵工業大学工学部機械工学科(塑性工学専攻)卒。理論派レーサー/ジャーナリストとして活動する一方、新車やタイヤの開発にもかかわり、4WD車や電子制御による車両運動性能の解析を得意分野とする。1997年より座学のみによるドライビング理論研究会「中谷塾」を開設し、現インディカードライバー・佐藤琢磨らを輩出。本カー・オブ・ザ・イヤー選考委員。現在の愛車はジープ・ラングラー(PHEV)。
※本記事は雑誌「CARトップ2026年3月号」の記事を再構成して掲載しております















