写真集の発売は23年ぶり。「年齢だけ見ると、怖いもの見たさという方もいるかもしれませんが…」と語りつつ、本気の意気込みを明かしてくれた。

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 1989年に発表した写真集『My Dear STEPHANIE』での“貝殻ビキニ”をはじめ、日本のグラビアに数々の伝説を作ったタレント武田久美子(57)が、23年ぶりとなる写真集を9月に講談社から発売する。一度は終止符を打ったグラビアに、なぜこのタイミングで復帰したのか? どのような作品に仕上がっているのか。今なお衰えないグラビアへの情熱とともに語ってくれた。

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――6月22日に23年ぶりとなる写真集の発売をSNSで発表し、25日発売のFRIDAYでは先行カットも公開されました。

武田:写真集は23年前に自分の中で終止符を打ったつもりでした。母親になったからです。アメリカで母となり、育児に追われる生活の中、「自分はもう写真集を出すことなどない」と思っていました。

写真集の発売は23年ぶり。「年齢だけ見ると、怖いもの見たさという方もいるかもしれませんが…」と語りつつ、本気の意気込みを明かしてくれた。

 これまで美容本やエクササイズ本など、写真集以外の本を出す機会はかなりあったんです。中には着衣で撮影し、ボディーラインを強調するものもありました。美容は好きなんですけれど、ただ、そうした本の撮影をするたびにずっと「写真集だったらな」とは思っていました。

 デジタル写真集の時代になり「過去の写真集をデジタル化させてほしい」という話を、過去にお仕事をしたほぼ全社からいただいていたんです。ただ私は過去の作品を出すのはちょっと違うかなと、頑なに「うん」とは言わなかったんです。

なぜ今、写真集を?

――改めて、なぜ今のタイミングでグラビア写真集を出そうと思ったのでしょうか。

武田:やはりね、どんどん時が経ってくるわけじゃないですか。8年前にInstagramをスタートさせると、コメント欄に「また写真集を出してほしい」という声が書き込まれ、毎日のように目にしていたんです。過去に何十冊も写真集を出しましたが、全部持っているというファンの方も結構いらっしゃって。その良い思い出のために写真集を出さない方がいいのかなとも考えていました。

 娘が医師になるために昨年メディカルスクール(医師養成課程)に入り、家を出てフロリダ州に行ったんです。そこで「完全に娘のレールができたな」と感じて。そんな頃に私が17歳で「GORO」「スコラ」の撮影をしている頃からの仲である旧知の女性編集者さんが、アメリカの家に泊まりに来たんです。

 彼女とはこれまで何度も写真集を一緒に作ってきたんですが、昔のアルバムを整理してたら、当時の撮影の写真や、彼女がレフ板を持ってくれたりする写真なんかが出てきて。「懐かしいね」って、ワインを飲みながらリビングで話して。写真を見ながら、私が「若いよね」と話した時に、彼女が「また写真集をやれば?」と言ってくれて。その時に「そうね」って自然と出て。

 23年もの月日が経ったから、撮影するのはどうなのか、見た目的にどうなのかとも思っていたんですけれど、一番身近な人が背中を押してくれたので、やってみようと思ったのが思い立った理由です。そこからトントン拍子に決まりました。

グラビアは「体で覚えていた」

――久々の写真集の撮影はどうでしたか。

武田:とっても楽しいロケでした。やっぱり写真集はいいですね。私の天職だと思いました。

――カメラを向けられると、かつての感覚というのは戻るものなんでしょうか。

武田:そうですね。やはりグラビアは長くやりましたので、人間は体で覚えているものですね。忘れはしませんでした。

――どんな作品に仕上がっていますか。

武田:自分が思ってた以上に露出をしたかなとは思います。見てのお楽しみです。決して隠し隠しはしていません。

――武田さんは以前、薄布で中途半端に隠すくらいなら、いっそすべてを見せる方が良いという趣旨の発言もされていました。

武田:はい。だから大きな気持ちで。私も潔いタイプなので(笑)。

写真集を出さなかったらもったいないくらい」のボディ

――あははは。撮影をするにあたってボディーメイキングなどはされたんでしょうか。グラビアは体型的に痩せすぎでもよくありません。

武田:そうですね、それは元から私も思っていることです。中肉中背よりちょっと細くて、メリハリがある体。肌艶があるというのが一番綺麗だと思っているので。

 この23年間、写真集は出さなかったのですが、エステに行ったり、バレエをしたりとそれ以前と変わらずやっていました。それはもう写真集を出さなかったらもったいないくらいに。なので写真集の撮影の前にプッシュはかけましたが、大きくなにかしたということはないですね。

――武田さんの写真集は中期、後期と徐々にアート寄りになっていくような印象もありました。今回はどういった仕上がりになっていますか。

武田:ザ・ビジュアルですね。私の意見も言わせてもらうことはありますが、写真集はファンの方に買ってもらって見てもらうものなので。作り手の方の意見、リクエストは買っていただく方の目線だと思うので、それを受けて「じゃあ、そうしましょう」という形で作りました。

――武田さんの中で写真集を出すことは特別ですか。

武田:いろいろな仕事をしてきましたけれども、結果、ずっと言われるのは写真集なんです。私の中で一番目立った仕事だったと思いますし。写真集の仕事に関しては、私は日本で一番だったという自信もあります。

貝殻ビキニ、「未だに語られるものになるとは」

――武田さんと写真集といえば、1989年に出版された写真集『My Dear STEPHANIE』の表紙でも着用した、ホタテガイで作られた貝殻ビキニが有名です。

武田:8歳の時に子供モデルを始めて、13歳の頃に東京大学の駒場祭で開かれた「東大生が選ぶアイドルコンテスト」で優勝して、同じ年に近藤真彦さんの映画「ハイティーン・ブギ」のヒロイン役という大役に選ばれ、そこで一気に知名度が上がりました。

 その後、アイドルとしてデビューして歌を出したり、ミュージカルをやったり、ドラマもやりました。いろんなことをやりました。でも誰も何も覚えてなくて。覚えてるのは、やはり貝殻ですね(笑)。

――貝殻ビキニはそもそも誰のアイディアだったんですか?

武田:あれは私が当時、所属していたプロダクションの社長のアイディアです。たまたま現場に社長がついていて、夕食会の時に「こういうのはどうだろう」と話したことが、形になったものなんです。

 実はもともとは表紙に起用する考えはなく、挿し絵的に入れようかなぐらいの写真だったんです。ただ他に表紙に起用できる写真がなかったんですよ。それで貝殻ビキニが表紙になったんですが、それが未だに語られるものになるとは思っていませんでした。

若いファンも欲しい

――先ほど写真集は武田さんにとって大切なものと語られていましたが、今回の写真集にも相当な思いがあるのではないでしょうか。

武田:得意分野であり、誇りに思っていた中で、こうやってまた久しぶりに写真集を出すことで、やっぱりより一層パワーアップしたように見てもらわないといけないなと思っています。

 日本では「武田久美子、何歳」と年齢が出ますから。年齢だけ見ると、怖いもの見たさという方もいるかもしれませんが、私はできたら若いファンも欲しいですし、そうした方が買っちゃうぐらいの写真集を作りたいと思って今回、撮影に挑みました。

――そうした若いファンを引きつけるための、セクシーさも出しているのでしょうか。

武田:そうですね。もちろん10代や20代の子と戦おうという気持ちじゃなく、今の私ができるめいっぱいのビジュアルを出しています。

――どうでしょうか。今回グラビアに復帰されて、またオファーがあればやりたいなと考えていますか。

武田:そうですね。是非ともやりたいです。今回でまたより一層自信がつきましたし、撮影が楽しかったので。まだまだやっていきたいなっていう気持ちでいっぱいです。

徳重龍徳(とくしげ・たつのり)
ライター。グラビア評論家。ウェブメディアウォッチャー。大学卒業後、東京スポーツ新聞社に入社。記者として年間100日以上グラビアアイドルを取材。2016年にウェブメディアに移籍し、著名人のインタビューを担当した。その後、テレビ局のオウンドメディア編集長を経て、現在はフリーライターとして雑誌、ウェブで記事を執筆している。著書に日本初のグラビアガイドブック「一度は見たい! アイドル&グラビア名作写真集ガイド」(玄光社)。noteでマガジンを連載中 X:@tatsunoritoku

デイリー新潮編集部