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GM版プリウス 誕生の経緯

ゼネラルモーターズ(GM)のような巨大企業に対して同情を抱くことは滅多にない。しかし、失敗に終わったシボレー『ボルト(Volt)』の開発に注ぎ込まれた先駆的な努力と巨額の資金を考えれば、ほんの少しは同情の念を抱くかもしれない。

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ボルトは、トヨタ・プリウスに対抗するために開発されたモデルであり、その技術力と環境性能をはるかに凌駕することを目指していたのだ。本質的にはプラグインハイブリッド車(PHEV)であり、今日ではごく一般的なジャンルだが、2011年当時はまさに冒険的な存在だった。


シボレー・ボルト

実際、ボルトの開発プロジェクトが本格化した時点では、技術的に実現が難しい要素がいくつかあった。その中でも特に大きな課題だったのが、リチウムイオンバッテリーだ。

開発陣が直面したのはそれだけではない。2008年以降のGMの経営破綻のように、まったく予期せぬ出来事もあった。

ボルトの着想源は、トヨタ・プリウスだ。プリウスは業界の予想をはるかに超える成功を収め、その人気はGMの上層部、とりわけボブ・ラッツ氏を駆り立てることになった。当時、ラッツ氏は米国自動車業界で最も有名な「カーガイ(クルマ好き)」の1人であり、66歳でGMのナンバー2として招かれた彼は、電気自動車でトヨタを追い越すという構想を抱いていた。

野心的なアイデアと設計

しかしGMは、実験的な2人乗りEV『EV1』の計画を打ち切ったことで大きな批判を集めていた。そのため、ラッツ氏は入社後まもなく、GMの全モデルラインを統括していたジョン・ラウクナー氏から、バッテリーのエネルギー密度は実用的な航続距離を確保するには不十分であり、PHEVが必要だと説得されることになる。

ラッツ氏の回想では、ラウクナー氏は金のペン先の万年筆で、ノートにこの車両の構造をスケッチしたという。


GM EV1

「その使い古した万年筆を、必要に応じて押し付け(その結果、インクの飛沫が飛び散る)、ジョンはシャシーのスケッチを描いた」と、ラッツ氏は著書『Car Guys vs Bean Counters』の中で書いている。

「16キロワットのバッテリーが中央を通り、後部座席の下でT字型に伸びる」とラウクナー氏は説明した。「名目上は80マイル(130km)走れるが、実際に使うのは8キロワットだけだ。そうすればバッテリーは永遠に持つ。40マイル(65km)ほど走った後、この小さな1.4Lエンジンを始動させ、発電機を駆動してバッテリーに電力を供給し、さらに300マイル(480km)は走れるようにするのだ」

これがボルトのコンセプトである。米国人の80%が一度に走行するのは65km未満であるという事実に基づいたものだ。100km程度の走行では、約65km/l相当の低燃費を達成できる。米国が石油輸入量を増やしていた当時としては、非常に魅力的だった。小型で安価なバッテリーと、ガソリンスタンドで容易に航続距離を延長できる点も同様だ。

「わたしはすっかり魅了された」とラッツ氏は記しているが、会社側にこの提案を支持してもらうには幾度ものプレゼンテーションと説得が必要だった。彼の提案は往々にして、リチウムイオンバッテリー技術の欠点によって却下されていた。その中でも特に、ノートパソコンのバッテリーが時折自然発火する問題は無視できない懸念材料だった。

大きな反響を呼んだコンセプトカー

明るい兆しが見え始めたのは、カリフォルニア州の小さなスタートアップ企業が、最高速度225km/h、航続距離320kmのスポーツカーを開発したときだ。その企業とは、テスラ・モーターズのことである。スポーツカーはロータス・エリーゼをベースにしたロードスターであり、6835個のノートパソコン用リチウムイオンバッテリーを使用していた。

ラッツはこれを足掛かりとしてコンセプトカーを開発し、2007年1月7日のデトロイト・オートショーで大々的に披露した。その反響は凄まじく、トヨタの広報部門がその実現可能性に疑問を呈するほどだった。GM内の懐疑派(その数は多かった)も、これを実現する意図も手段もないと口にしていた。


シボレー・ボルト・コンセプト

それから4年も経たないうちに、コンセプトカーから大幅に変更されたボルトが量産段階に入った。生産部門を率いたのはオペル出身のフランク・ウェーバー氏であり、信頼性の高いバッテリーの調達という任務は、GMの充電式エネルギーシステム部門責任者であるデニス・グレイ氏に委ねられた。

筆者は当時、ボルトの記者会見でグレイ氏から、必要なバッテリーパックを設計できるかどうかまだ分かっていない、と言われたことを鮮明に覚えている。これほど注目度の高いプロジェクトにおいて、そのような危機を認めることに筆者は驚いた。しかし、最終的には2010年の生産開始を含め、ボルトの開発目標は達成された。

欧州版も登場 性能は上々だが……

開発期間を通じて、GMは定期的にメディアに対してプロジェクトの進捗を報告し、車両の仕組みやその背景にある考え方を詳しく説明していった。また、欧州ではシボレー・ボルトだけでなく、オペル/ヴォグゾール・アンペラも登場することも明かされた。

説明会の数はあまりにも多く、実際の販売台数に対する記者会見の比率がこれほど高いケースは他にないだろう。残念ながら、それは記者会見が多かったからだけでなく、ほとんど売れなかったからだ。


ヴォグゾール・アンペラ

ボルトとアンペラの2車種は、走行性能で期待外れだったわけではない。AUTOCAR UK編集部のテストでは、アンペラは53.7kmの電気走行距離、0-97km/h加速タイム10.1秒を記録し、バッテリー充電費用はわずかであると推定された。ハンドリングや乗り心地に目立った特徴はなかったものの、運転しやすく、静かで、十分に快適だった。

最大の欠点は、3万2995ポンドという高い価格設定だった。当時利用可能だった英国の5000ポンドの補助金を差し引いても、ハッチバックのアストラのほぼ2倍の金額になる。しかもアストラなら5人乗りだが、ボルトは4人乗りだ。

振るわなかった販売

英国では、ヴォクスホール・アンペラの発売から3年間の販売台数は1350台にとどまり、シボレー・ボルトを含めても合計1475台と悲惨だった。高価格、顧客へのコンセプト説明の難しさ、そしてPHEVを受け入れる準備が整っていなかった市場環境が、販売不振を招いた。さらに、当時はまだ悪者扱いされていなかったディーゼル車が、はるかに安い価格で、しかも充電器を必要とせずにボルトと同等の燃費性能を実現できたという事実も不利に働いた。

一方、米国での販売は比較的好調だったが、過剰な宣伝、市場規模、そして米国最大の自動車メーカーによる製品であることを考慮すれば、それほど驚くべき数字ではない。初代ボルトは発売から4年間で米国国内で9万台弱しか売れず、トヨタにとって大した脅威にはならなかった。その間、米国は国内の頁岩(シェール)層から石油を採掘できるようになり、輸入エネルギーへの依存度を大幅に減らし、燃料価格を比較的低く抑えることができた。米国のドライバーはガソリン価格を気にせず、SUVに乗り続けることができるようになったのだ。


ヴォグゾール・アンペラ

しかし、すべてが無駄に終わったわけではない。GMは技術力の面で評価を高め、バッテリー技術やEVハードウェアについて膨大な知見を得た。これらの成果により、2015年には航続距離の優れたEV、シボレー『ボルト(Bolt)』を投入することができた。かつては業界を変え、トヨタから市場シェアを奪う可能性も秘めたクルマと見なされていた初代ボルト(Volt)だが、おそらく自動車史における興味深い脚注にとどまることになるだろう。