ヒマラヤを背にネパールのポカラに近いサランコット地区をトレッキングされる浩宮さま

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【全2回(前編/後編)の前編】

 天皇陛下は若き日の浩宮時代、27歳の時に南西アジア3カ国を訪問した。ことにブータンでは女性王族による手厚いおもてなしを受け、雅子さまとの結婚を決意するきっかけとなった。当時、同行取材した筆者が天皇陛下の忘れ得ぬ「ブータン訪問」秘話を振り返る。

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 先月、66歳になられた天皇陛下は、浩宮時代に南西アジアへ16日間の旅をした。その後の人生に大きな影響を与えた格別の旅だったが、詳細はあまり語られていない。

 最初の訪問地のネパールでは、ヒマラヤの水くみ場で村人の日常に接し、今年(2026年)で国交樹立40年となる「幸せの国」ブータンには日本要人として初めて入る。大国インドへは27年ぶりの皇族訪問。27歳の若きプリンスによる皇室外交の本格始動だった。

ヒマラヤを背にネパールのポカラに近いサランコット地区をトレッキングされる浩宮さま

 英国留学から帰国して1年半後のことになる。1987年(昭和62年)3月10日、浩宮さまは東京から経由地のバンコクに入った。翌日、タイ王室の皇太子らを表敬訪問し、空路、最初の訪問国ネパールの首都カトマンズに到着する。

 同行報道陣は、宮内記者会の筆者を含め約20人。随行員らは外務省から数人と、浩宮さまに長く仕える曽我剛東宮侍従(後に東宮侍従長)、皇宮警察の護衛担当課長という少人数の陣営だったので、国内では考えられないほど近くで浩宮さまに接することができた。

210円の帽子を購入

 空港で、接待役の中心となる国王の弟、ギャネンドラ殿下(後にネパール最後の国王)をはじめ、首相らがそろって出迎え、異例の国賓並みの歓迎行事となった。まだ皇太子となる前であったが、経済大国ニッポンの「将来の天皇」として、ご本人も外国から厚くもてなされる年齢になったことを自覚されたのではないか。

 さっそく市内に入り、旧王宮などを見学する。沿道には遠い国から来たプリンスを見ようと、黒山の人だかりができた。

 翌朝は雨で、一行は仏教を開いた釈迦の誕生地ルンビニに向かった。釈迦が生まれた直後に「天上天下唯我独尊」と言ったとされる聖地だが、当時はまだ整備されておらず、日本などの援助で公園化されるとの説明があった。

 この後、ヒマラヤ連峰を一望するトレッキング(山歩き)の拠点、ポカラに移動した。ここで浩宮さまが希望して、予定外の市内散策となる。湖畔の宿泊先ロッジから筏(いかだ)で対岸に渡った。ニッポンのプリンスの動向は現地の新聞などで流れており、沿道には千人を超える人波ができた。浩宮さまは、手を合わせてあいさつする人たちに笑顔で応え、群衆の中の少女たちにも気軽に話しかけていた。衣料品店ではネパール帽子を30ルピー(当時のレートで約210円)で買った。

「一日中ここにいても飽きない」

 夕方に天気が回復し、雲を突き抜けピラミッド形にそびえる名峰マチャプチャレ(6993メートル)が姿を現す。浩宮さまは、周囲に「神々しさを感じた」と感想をもらした、ピンク色に染まる霊峰をカメラに収めていた。

 ネパール訪問のハイライトとなる3月13日を迎える。鳥のさえずりで朝5時に目覚めた浩宮さまは戸外に出て、じっと山を見つめていた。遠くには7000、8000メートル級のアンナプルナも。

 絶好のトレッキング日和となり、ヒマラヤ連山を見ながらサランコットの丘(約1600メートル)まで3時間半、山歩きを楽しんだ。額に汗をにじませながら進んでくるプリンスの一行を、村人たちが拍手で迎えてくれた。

「大感激です。(ヒマラヤの山々が)こんなによく見えるとは思わなかった。一日中ここにいても飽きないですよ」。山を愛する浩宮さまが声を弾ませて語った。

ライフワークとなる「水問題」に取り組むきっかけ

 この山道に、女性たちが担いできた甕(かめ)に水を入れる水くみ場があった。水道とは違い、ポトポトとしか水が落ちてこないので、甕を満たすには時間がかかり、順番を待つ列は絶えない。日本の一行を見つめる彼女たちの多くは無表情だった。遠い所から徒歩でやって来て、生活に欠かせない水で重くなった甕を持ち帰る日々に疲れているのかもしれない。

 水上交通などを研究していた浩宮さまは、この水くみ場の光景から「水くみにいったいどのくらいの時間がかかるのだろうか」「水くみをするのは女性や子どもが多く、本当に大変そうだ」という感想を抱き、関心を持つ。これがやがてライフワークとなる「水問題」に取り組むきっかけとなったのである。

 ポカラからカトマンズへの帰途、浩宮さまは特別機で世界最高峰のエベレストを眺めるマウンテンフライトも体験した。

 翌朝、筆者は東京の社会部からの電話で起こされた。「浩宮さまのご結婚相手が決まったらしい」という内容だった。当時の浩宮さまに関する最大の関心事はご結婚で、外遊前の記者会見でも「30歳までに結婚したい」と述べている。同行の曽我東宮侍従を取材したら、「さっき別の社から同じ話を聞いた。本当にそうだったらありがたいのだが」と一笑に付されてしまった。

秘境の王国だったブータン

 この日、浩宮さまは亜熱帯地区にあり野生動物が多いチトワン国立公園を、インド象に乗って見学した。サイや虎、毒ヘビもいるので、象に乗るのが安全だという。「乗り心地は思ったより良く、面白かった」と珍体験を満喫された。

 夜には王宮で、ビレンドラ国王主催のネパール王族5人との夕食会に臨み、東京大学に留学した親日家の国王とネパール最後の夜を過ごした(14年後にこの夕食会で同席した皇太子が両親の国王夫妻らを銃殺し、本人も自殺したとされる悲劇が起きて、ネパール王制廃止の遠因になる)。

 浩宮さまはネパール滞在の感想をこう述べた。

「サランコットの道筋で土地の人々の生活を垣間見ることができた。マウンテンフライトと合わせ(ヒマラヤの)大自然に接して味わった感激は、これからもなかなか経験できないものと思います」

 歴訪7日目の3月16日、浩宮さまの皇室外交として最も期待されるブータンに入った。今でこそ「幸せの国」として知られているが、当時は長い鎖国を解き、日本との国交は1年前に樹立されたばかり。まだ日本側から閣僚など要人が訪問したことのない秘境の王国である。

 実は、曽我東宮侍従がブータン通で、長い間この国に関心を持ち、浩宮訪問実現を支えていた。

「ブータンはクイーンマザー(皇太后)がしっかりされているから、安心して滞在できる。ブータンに行った人はみんな大好きになって帰ってくる」

 と、曽我東宮侍従が出発前に教えてくれた。

 当時、通信事情の関係で、浩宮さまの現地での様子はリアルタイムで日本に速報することはできなかった。

 経由地のインド・カルカッタ(現コルカタ)から、ブータン航空の定員20人ほどの小型機2機に分乗して1時間半、山々の間を縫って進む。唯一の国際空港であるパロ空港で、国王の妹王女が着物に似た民族衣装「キラ」で出迎えた。

 国技の弓の競技会を見学する。丹前に似た「ゴ」という民族衣装の男性選手たちが遠くの的を次々と射抜いていく。多くの観客が楽しそうに応援しており、沖縄のメロディーに似た歌声も聞こえる。浩宮さまも弓を引いてみたが、難しそうだった。

開明的な国王

 午後、現地で農業指導を23年続けている西岡京治さん(当時54歳)の農業機械化センターを視察。西岡さんは国王から「ブータン農業の父」となった貢献が認められ、外国人として初の栄誉称号「ダショー」を授かっている。西岡さんは、「両国の国交樹立1周年を記念するかのように浩宮さまに訪問いただき、長年、日本人一人で頑張ってきた苦労が報われたような思いです」と目を潤ませた(5年後に亡くなると、ブータンの国葬になった)。

 首都のティンプーに入った。標高約2400メートルで肌寒い。九州ほどの国土に人口約120万人、この首都には約3万人が暮らす。中心部といっても交差点に信号機はない。高山に囲まれた町並みは、木曽路・妻籠(つまご)宿といった感じで、日本の田舎を思わせるのどかな景色が続く。現地の人々は日本人そっくりな顔立ちだ。

 ブータン2日目。浩宮さまは政治と宗教(チベット仏教)の中心で、外見は日本の城に似たティンプー・ゾン(タシチョ・ゾン)を訪ね、ワンチュク国王と会見した。31歳の4代目国王は、世界最年少の16歳で即位。国を開き、経済成長より国民の精神的な幸福を重視する「国民総幸福」(GNH)を提唱した開明的な国王であった。

 国王のそばに、僧侶が立ち会うのが仏教国らしい。年齢が近いお二人だけの歓談もあり、国王は両国の交流の重要性を語った。ちなみに、日本はブータンへの経済協力で主要援助国の第1位だ。

 お二人はそろってゾンの中庭に出て、千人を超える市民や、王族、政府要人らと共に、伝統舞踊をご覧になった。色鮮やかな衣装に、奇妙な仮面の踊りなど、日本ではほとんど知られてない舞踏が続いた。会場の壁面には12年に1回しか開帳されない縦15メートル、横20メートルもある秘宝の仏教画「タンカ」が掲げられ、ブータンが国を挙げて歓迎する意気込みを感じさせる。

「ニッポンのプリンス」を見つめる数千人の人波が

 浩宮さまはこの後、56歳になるケサン皇太后を訪ねた。国王と4王女の母で、まだ国交がなかった時に2回訪日している大の親日家だ。国王主催の午餐会(ごさんかい)にはブータン王族のほぼ全員がそろった。

 浩宮さまはスケジュールの空白時間ができると、ここでも「市内に出て歩いてみたい」と申し出て、街中散策が始まる。繁華街の沿道には数千人の長い人波ができ、「ニッポンのプリンス」を見つめていた。浩宮さまは土産物店で、竹細工の弁当箱(約240円)や仏教画2枚(約1万4000円)を買い求めた。

 夕刻から始まった日本大使(駐インド大使と兼務)主催のレセプション会場がどっと沸いた。浩宮さまがブータンの民族衣装で登場したのである。「まるでブータンのプリンスですね」との声も聞かれ、一気に和んだ雰囲気になった。この瞬間に両国の友好が一層深まったように思う。

 皇太后や、国王の姉妹3王女も出席していた。国民から尊敬される王族はすぐに帰ることもあるが、この日は1時間も日本側参加者と懇談していた。

 途中で場内に緊張が走る。皇太后が同行報道陣の中に入り、「ブータンはお気に入りましたか」と英語で話しかけてきたのである。王族、特に国王や皇太后と話すことなど恐れ多いと考えるブータンの人たちは、目を見張っていた。日本のマスコミが大挙してブータンに入国したのは初めてだ。皇太后はさらに「日本人が大好きです」と話を続け、訪日した思い出なども語ってくれた。

 実は浩宮さまの民族衣装も皇太后が計画したものだった。浩宮さまが市内散策から戻ると、皇太后の秘書が民族衣装を届けに来て、「今夜のレセプションに是非お召しください」と皇太后の口上を伝えた。浩宮さまも快諾し、ブータン側の接伴員らに着せてもらったという。

 後編では、浩宮さまがインド訪問時に”爆笑”されたエピソードなどについて報じる。

斉藤勝久(さいとうかつひさ)
ジャーナリスト。1951年東京生まれ。早稲田大学政治経済学部卒業。読売新聞社会部で司法を担当したほか、86年から89年まで宮内庁担当として「昭和の最後の日」や平成への代替わりを取材。近著に『占領期日本 三つの闇 検閲・公職追放・疑獄』(幻冬舎新書)など。

「週刊新潮」2026年3月19日号 掲載