輪廻する「とらねこ」が解放されるまで──宮崎哲弥さんと読む『100万回生きたねこ』【NHK100分de名著】

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「とらねこ」の生と死をめぐる謎を解き明かす――『100万回生きたねこ』を、宮崎哲弥さんが解説

2026年3月のNHK『100分de名著』は「絵本スペシャル」。子どもから大人まで、世界の広がりを知り、人生の意味を深めるための絵本4作品を取り上げる、春の特別編です。評論家、漫画家、俳優、批評家として活躍する講師陣を迎えて、誰もにひらかれた絵本の魅力を味わいます。

この記事では、第1回で取り上げる『100万回生きたねこ』について、宮崎哲弥さんによる解説のイントロダクションを公開します。

第1回「輪廻する「とらねこ」が解放されるまで――『100万回生きたねこ』」より

深遠な謎に満ちた絵本

 佐野洋子の『100万回生きたねこ』は、そのタイトルの通り百万回死に、百万回生き返る「とらねこ」を主人公とした絵本です。一九七七年の刊行以来、百幾度も版を重ね、二百五十万部を優に超えるロングセラーとなっています。この国の絵本を代表する一冊と呼んで差し支えないでしょう。本作は海外でも広く知られています。とくに中国では二〇〇四年に『活了100万次的猫』の題で翻訳出版され、発売後少し経ってから人気に火がつき、いまでは二百八十万部のミリオンセラーになっているようです。

 今回、私が『100万回生きたねこ』を取り上げた理由をお伝えするなら、まずシンプルに好きだから。そして、この絵本が他に類をみない傑作だからです。私が中学生だったころすでに話題を呼んでいた本作は、祖父の蔵書として自宅の本棚にありました。正直に言うと、初読時は若干の疑問を抱いたのですがそのままスルーしてしまい、それきりでした。しかしそれから十数年が経ち、大切な人からこの絵本をプレゼントされて、偶然の再会を果たします。久しぶりに再読したこの物語から受けた印象は、当初とかなり異なるものでした。それは生と死の寓話でした。世界の無常性をはじめ、生と死の問題、「自己」の問題、愛の問題などが短い絵本に凝縮されていたのです。

 『100万回生きたねこ』を未読であっても、その高い知名度からタイトルやあらましをご存じの方は多いでしょう。しかし、十分にポピュラリティを獲得した作品でありながら、本作は実に多くの謎、あるいは難解さを含んでいます。

 例えば、「とらねこ」は百万という途方もない回数の生を生き直していますが、その原因が何かは、作中では一切説明されません。また、「とらねこ」は前世の記憶を保持してもいます。自分が何度も生き直していることを理解しているのです。読者はこれらを、物語の「設定」として受け容れるほかありません。

 作者の佐野自身、この絵本についてあまり多くを語っていません。彼女が言及している数少ない文章の一つに、次のようなものがあります。

私は一冊の絵本を創った。一匹の猫が一匹のめす猫にめぐり逢い子を産みやがて死ぬというただそれだけの物語だった。「一〇〇万回生きたねこ」というただそれだけの物語が、私の絵本の中でめずらしくよく売れた絵本であったことは、人間がただそれだけのことを素朴にのぞんでいるという事なのかと思わされ、何より私がただそれだけのことを願っていることの表われだった様な気がする。

「二つ違いの兄が居て」『私はそうは思わない』所収

 佐野の自身の作品についての姿勢は、説明せずとも意図は読者には直感的に伝わるはず、というものだったかもしれません。絵本は、文だけではなく、絵から受ける印象もありますから、この姿勢そのものはわかります。

 けれど「一匹の猫が一匹のめす猫にめぐり逢い子を産みやがて死ぬというただそれだけの物語」との書きようについては、「いや、それだけの話なわけはないだろう」と訝りたくもなります。「ただそれだけ」の単純な話ならば、これほど不思議な設定で、いくつもの謎を秘め、反転を繰り返すストーリーにする必要はありませんから。

 今回、『100万回生きたねこ』にまつわる三つの大きな問いと謎を念頭に読み進めながら、この絵本の傑作たる所以を皆さんにお伝えしたいと思います。

 第一に、「とらねこ」が百万一回目の生で「白いうつくしいねこ」と出会い、愛することを知るという筋書きについて。ここからこの絵本を、永遠に続く愛、ロマンティック・ラブの物語と捉える読者が一定数います。ですが、その見方は妥当でしょうか。もしそうだとして、二匹が結ばれた時点で「めでたし、めでたし」と幕を引けばよいものを、死がふたりを分かつ結末まで用意されたことには注意が必要です。

 むしろ結末で描かれているのは、死に対する愛の敗北、時の流れに対する愛の無力さではないか。永遠に続くと思われた愛も、死別という運命から逃れられないのだとすれば、この絵本を「絶望の書」と解釈することもできます。では果たして、この解釈は適切でしょうか。それが第二の問いです。

 この問いに関連して、主人公が死に、しかも、もはや二度と生まれ変わらない、というバッドエンドな結末なのに、読者にさわやかな感動を残してしまうという不思議があります。第三の、この大きな謎を解き明かしたいと思います。

『100分de名著』テキストでは、『100万回生きたねこ』『だれのせい?』『ぼくのこえがきこえますか』『おおきな木』の絵本4作品を読み解きます。

講師

宮崎哲弥(みやざき・てつや)
評論家。1962年、福岡県生まれ。慶應義塾大学文学部社会学科卒業。相愛大学客員教授。専門は仏教思想、政治哲学、SF評論、サブカルチャー分析。2020年『NHK100分de名著 小松左京スペシャル 「神」なき時代の神話』にて第51回星雲賞ノンフィクション部門受賞。著書に『仏教論争 「縁起」から本質を問う』(ちくま新書)、『いまこそ「小松左京」を読み直す』(NHK出版新書)、『教養としての上級語彙 知的人生のための500語』(新潮選書)など多数。
※刊行時の情報です

◆「NHK100分de名著 「絵本スペシャル」2026年3月」より
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