「情報」に支配される未来を予見していた作品──中条省平さんと読む、筒井康隆『脱走と追跡のサンバ』【別冊NHK100分de名著】
誰もがハマる、底なしの想像力──フィクションの超越者・筒井康隆『脱走と追跡のサンバ』を、中条省平さんと読む
日本の「SF御三家」と称され、今もなお精力的に作品を世に送り続ける、文学界のスター・筒井康隆。TikTokをきっかけに若者の間で再ブームが起きるなど、幅広い世代から支持を集めています。
SF、スラップスティック、言語実験、精神分析、そして超虚構──小説という形式の限界に挑み、変化を重ねてきた筒井康隆の軌跡をたどり話題となったNHK Eテレ「100分de筒井康隆」。その書籍化である『別冊NHK100分de名著 フィクションの超越者 筒井康隆』は、中条省平さん、池澤春菜さん、菊地成孔さん、大森望さんという筒井愛に溢れる4名の著者による、読む人すべてを底なしの“筒井沼”へと叩き込む、「筒井康隆ガイド」の新定番です。
2026年7月~9月に開催の「100分de名著」シリーズ・図書カード全員還元キャンペーン対象書籍でもある本書より、中条省平さんによる『脱走と追跡のサンバ』読み解きを一部公開します。
時代の空気の変化を敏感に捉えた、この作品が描き出した「未来」とは、一体どんなものだったのでしょうか。
『別冊NHK100分de名著 フィクションの超越者 筒井康隆』書影(画像クリックで商品ページへ)
第1章 革命と内宇宙のリズム――『脱走と追跡のサンバ』より
「馬鹿空と腐れ大地の間」への脱走
作品の内容を見ていきましょう。
作者自身と同じくSF作家である主人公が、ある日、この世界が以前にいた世界と違っていることに気づきます。そして情報・時間・空間、それぞれの虚偽性を打ち破り、本物そっくりに造られた贋物の世界から以前にいた世界へと脱走しようとする。その主人公の冒険が繰り広げられます。
小説は「カスタネットによるプロローグ」(太字は原文のママ)で幕を開け、続いて大きく三つの章「第1章 情報」「第2章 時間」「第3章 空間・内宇宙」があり、「ボサ・ノバによるエピローグ」で幕を閉じます。各章の間には、「マリンバによるインテルメッツオ」と「ティンパニによるインテルメッツオ」という、主人公を尾行し追跡する探偵による報告書が記されます。カスタネット、ボサ・ノバ、マリンバ、ティンパニといった音楽用語、またインテルメッツオとは日本語で「間奏曲」ですから、この作品全体が、一つの楽曲のように構成されていると言えます。番組で菊地成孔さんが指摘したように、小説全体の構成や語りのリズムにも音楽的な部分があります。
筒井康隆はジャズに深い造詣があり、ジャズピアニストの山下洋輔とは“魂の兄弟”と呼べるほどの親交を結んでいることは広く知られています。作中で主人公がギターを練習する場面が出てきますが、当時、筒井も実際にギターを習っていたそうです。エピローグには、主人公の「おれ」を追跡する尾行者の「私」が「脱走者のリズムはサンバのリズムである。それは狂躁的である。(中略)だが、私のリズムは同じサンバであるにしても、最も洗練された形態のサンバ即ちボサ・ノバなのである。狂躁的であるとはいえ、それは頽廃的狂躁なのだ」と述べるくだりがあり、ボサ・ノバのクールなオフビートの感覚は、その後の筒井作品にも通じるものがあるように思います。
物語は、主人公の「おれ」が、ある夜、正子という女性と一緒に公園のなかを流れる川で貸しボートに乗り、雨で増水した黒い川を流され、排水口から地下の下水道へ入っていくことで始まります。ビル街のマンホールからなんとか地上へ出ますが、そのとき、かつていた本物の「あの世界」から、贋物の「この世界」に来てしまった、と感じます。
情報による呪縛、時間による束縛、空間による圧迫、そんなものとは縁がなく、軽やかに泥水はねとばし、すがすがしく煤煙を呼吸し、馬鹿空と腐れ大地の間を飛翔していたあの時代の、「あそこ」にいたおれはいったいどこへ行ってしまったのだろうか。
SFの職業作家である主人公は、かつては自由奔放に生きていたはずの自分が、ふと気づくと呪縛され束縛され圧迫されて、不自由になっていることへの切実な違和感を覚えます。主人公がかつてそこで生きていた世界を象徴する「馬鹿空と腐れ大地の間」という印象的なフレーズは、作中で何度か反復されるのみならず、およそ十年後に書かれる長篇『虚人たち』でもふたたび登場します。
『虚人たち』のラストシーンで、すべてを失った主人公の「彼」は、荒廃した家で何も映っていないテレビの画面を見て、あたかも前世の記憶のように、あることを思い出します。それは、「自分のいる世界から脱走しようとしていた」彼自身の姿で、そのときの自分はさらに以前の「「馬鹿空と腐れ大地の間を軽やかに飛翔していた」頃の自分の世界へ戻ろうとしていた」。つまり『虚人たち』という「超虚構」小説は、まるで別の作品のように見えて、実は『脱走と追跡のサンバ』の続篇になっているのです。
『虚人たち』の主人公は、『脱走と追跡のサンバ』よりもさらに不自由に囚われた「超虚構」の世界で、最後にテレビが消えると同時に消滅してしまいます。この二作をつないでいるのが、テレビという装置です。
テレビ、そしてコンピューター
第1章は「情報による呪縛」を描き出しますが、その中心にあるテーマが「テレビ」なのです。
筒井康隆の最初の長篇『48億の妄想』は、テレビによって作られる世界を描いています。そこではあらゆる人間の営みがテレビカメラで撮影されていて、人々はみなそれを意識して演技をしている。そこで起きる事件は、全部テレビが仕組んだ疑似的な「イベント」にすぎない。そんな世界が徹底して描かれ、「東海道戦争」と同様に、テレビ中継の演出を派手なものにするために、とうとう隣国との戦争まで始まってしまいます。
そこではテレビは単なる装置というより、本物と贋物、真実と虚構の区別があいまいになっていく、現代の情報社会の構造そのものを象徴していました。それは『脱走と追跡のサンバ』においても同様です。
情報による呪縛から解き放されるためには、いったいどうすればよいのか。それは、このいやらしい、にせものの世界から、もとの世界へ脱出すればいいのだ。(中略)どうすれば脱出できるのか。
逆もまた、真なり。
情報の呪縛から、解き放されればよいのだ。それによっておれはもとの世界に戻れるのだ。(中略)
このにせものの世界のにせものの情報を、はっきりにせものであると証明した時、おれは呪縛から解放されるに違いない。
「おれ」は、テレビ局に乗り込んで、その虚偽を暴こうとします。ところがその様子がテレビカメラで中継され、「おれ」はテレビのなかの登場人物になってしまう。そこでテレビ型をした窓を突き抜け、窓の向こうでテレビの世界を操っているらしい人たちの世界へ乗り込んでみると、そこもまた別のテレビ番組のなかで、人々の振る舞いはすべて演技で、ある商品のコマーシャルをしているのです。ならば、とさらにそれを操る人たちの世界へと出ていきますが、そこもまたテレビのセット。いくら自分が囚われた虚構の世界から外へと脱出しようとしても、「合わせ鏡のくり返し」のように、どこまでも虚構から抜け出ることができません。
「真実のゆらぎ」という哲学的な問題と、テレビを中心とするいまここにある情報社会の問題とが不可分に結びついているのが、この章の面白いところです。
同様のテーマを扱った作品に、ジム・キャリー主演の映画『トゥルーマン・ショー』があります。主人公の人生はすべてテレビ番組のために造られた虚構で、それは世界中に放送されていた。主人公はあるときそれに気づき、その世界の外へと脱走しようとします。
このアイデアを最も早く描いた作品は、フィリップ・K・ディックの小説『時は乱れて』だと思います。また『脱走と追跡のサンバ』とほぼ同時期に、ドイツの映画監督R・W・ファスビンダーも、テレビ映画『あやつり糸の世界』で、すべての出来事はテレビによって操られているというテーマを描いています。いずれの作品でも、「この世界は実は贋物で、虚構にすぎない」という感覚が共有されています。
情報社会による呪縛を、テレビの虚構性に集約させた第1章。しかしこの章の終盤では、その背後にある、テレビを操る「コンピューター」とその巨大なネットワークの存在が示されます。
当時は、コンピューターは物理的にも巨大な機械で、情報は紙のパンチカードや磁気テープによって記録され入力されるものでした。この作品でも、コンピューターはそのイメージで描かれており、現代の目から見れば、アナクロで思わず苦笑いしてしまうかもしれません。しかし、「おれ」の「コンピューターが社会にまき散らしている噓八百とでたらめと異和感を究明することによってほんものの世界に脱走してやるのだ」というセリフから、筒井が七〇年代の時点で、テレビの「情報による呪縛」を超えて、コンピューターのネットワークに人間が支配される未来を予見していたことがわかります。
のちにアメリカのSF作家ウィリアム・ギブスンの小説『ニューロマンサー』で、「サイバースペース」という概念が初めて登場します。訳者の黒丸尚は「電脳空間」という素晴らしい訳語を考えましたが、それはまさに電子的な脳のように形成された、コンピューターネットワークの仮想的な空間のことです。情報社会とは、人間があらゆる情報を操っているかのような全能感を持ちながら、実際は逆に、そのような贋物の空間に意識を絡めとられて“情報の囚人”になっている境遇に満足する社会──現代のわれわれの世界そのもの──だということを、筒井康隆はこの時点で見通していたわけで、その先見性には、戦慄すら覚えます。ちなみに、ギリシャの経済学者ヤニス・バルファキスは、こうした情報制御装置が人間を支配する牢獄のような現代世界を「テクノ封建制」と呼んで、私たちはGAFAMなど巨大テック企業の領主から農奴のように個人情報と金銭を吸い上げられていると批判しました。
本書『別冊NHK100分de名著 フィクションの超越者 筒井康隆』は、大好評を博したNHK「100分de筒井康隆」を単行本化した一冊です。
・第1章 革命と内宇宙のリズム――『脱走と追跡のサンバ』(中条省平)
・第2章 拡張と回帰の物語――『家族八景』『七瀬ふたたび』『エディプスの恋人』(池澤春菜)
・第3章 夢と虚構の純文学へ――『エロチック街道』(菊地成孔)
・第4章 超虚構の到達点――『虚航船団』(大森望)
という全4講師の読み解きで、筒井康隆作品をガイドします。
■『別冊NHK100分de名著 フィクションの超越者 筒井康隆』より抜粋
■脚注、図版、写真、ルビは記事から割愛しています。詳しくは本書をご覧ください。
中条省平(ちゅうじょう・しょうへい)
フランス文学者。1954年生まれ。学習院大学文学部フランス文学科卒業。パリ第十大学第三期文学博士号取得。東京大学大学院人文科学研究科博士課程単位取得満期退学。2025年3月まで学習院大学文学部フランス語圏文化学科教授。フランス文学はもとより、映画や音楽、日本のマンガ評論など、幅広い領域で活躍。著書に『最後のロマン主義者 バルベー・ドールヴィイの小説宇宙』(中央公論社)、『映画作家論 リヴェットからホークスまで』(平凡社)、『文章読本 文豪に学ぶテクニック講座』『反=近代文学史』(ともに中公文庫)、『フランス映画史の誘惑』(集英社新書)、『ただしいジャズ入門』(春風社)、『NHK「100分de名著」ブックス アルベール・カミュ ペスト 果てしなき不条理との闘い』など多数。ほかに、ラディゲやマンディアルグ、バタイユ、コクトーなどの翻訳も手掛ける。
※すべて刊行時の情報です。

