宮粼薫のシングルが3ヶ月連続でリリースとなった。2012年にリリースされたデビューアルバムから再レコーディングで再発表した「Gimme Your Love」、黒田有紀のデビュー曲として父親のASKAが書き下ろした「cry」のカバー、そしてピアノで新たに書き下ろしたバラード「優しさにふれるたびに」という3曲3様の楽曲だが、曲調にあわせたそのボーカルスタイルと卓越した表現力に触れてみれば、宮粼薫というミュージシャンとしての高い資質と生まれ持った天賦の才が香り立ってくる。

2012年にメジャーデビューを果たし山あり谷ありの活動を重ねながらも、流れる年月に逆らうことなく自らの足場を見定め、嘘のない実直な活動とミュージシャンシップを育み続ける姿勢を崩さない。ぶれないその歩みに、しなやかな生き様が重なって、自然に美しいメロディが滑らかに紡がれていく。

宮粼薫というシンガーソングライターの生き様はどのように形成され、育まれてきたのか。話を聞いた。



──最初に音楽を意識したのは幼少期の頃ですか?

宮粼薫:環境的に音楽がすごく身近にあったので、物心ついた時から当たり前にそばにあったんです。音楽がかかっていたり、楽器が近くにあったり、小さい頃からライブを観に行かせてもらったり、そういう意味ですごく身近だったので、音楽をことさら意識するということがなかったです。

──楽器を始めたのは、ピアノからですか?

宮粼薫:幼稚園の頃にピアノから入って、最近はギターを弾いてライブをすることが多いんですけど、実はギターはデビューする直前からです。

──ピアノは自分の意思というよりも…

宮粼薫:幼い頃だったのでやらせてもらって習い事に行ってたという感じです。

──ピアノって、つらくてイヤだった苦い思い出として語られることも多いですよね。

宮粼薫:ピアノはそのパターン…多いですよね。多分母親だと思うんですけど、私が嫌いにならないように、長く楽しくできるようにやってくれって先生にリクエストしてたみたいなんです。「練習してきた?してないよね(笑)。じゃあもう1回おさらいしよっか」みたいな感じで。

──いいですね。

宮粼薫:私はピアニストを志していたわけではないので、それほど上手ではないですけど、ずっと楽しくピアノを習わせてもらって、もう「先生が大好き」で通ってた、みたいな感じでした。

──素敵な話ですね。でも本来、音楽ってそうじゃないと。

宮粼薫:ですよね。だからピアノのレッスンでイヤな記憶が全くないんです。高校生ぐらいまでずっと続けてました。

──歌を歌うことは、いつ頃から?

宮粼薫:もう幼稚園の頃に歌が好きと思ってました。幼稚園の先生がピアノを弾いてくれるお歌の時間が好きだったし、ちょっと上手に歌えてるかもみたいな意識はその時からあって。

──もう自覚はあったんですね。

宮粼薫:幼稚園の時に「大きくなったら歌手になりたい」って書いてました。覚えてないんですけど、後からそれを見つけて「もう、この時からそう思ってたんだ」って。

──幼稚園ぐらいでも、歌がうまいとかうまくないというのは判断できるものなんですね。

宮粼薫:どうなんでしょうね。幼稚園の先生が弾くピアノに合わせて同じ音を出すっていうことで、「どうしてみんな違う音を歌うんだろう」って思っていました。音感っていうのは、多分ピアノをやっていたのもあると思うんですけど。



──シンガーとして生きていきたいと思ったのは?

宮粼薫:ずっと「歌う人になる」って思って育ってきたので、このときにこう思ったというのもあまりないんです。でも中高校生ぐらいから自分が観に行きたいライブに行くようになったんですけど、曲を書いて自分で歌っているという人が多かったんですよね。自分で作って自分の歌を歌いたいって思い始めたぐらいから「シンガーソングライターとして歌を歌いたい」っていう気持ちになっていった。高校生くらいですかね。

──それは成長とともに自然に生まれてきた感情で、どうやら父親の存在による影響ではなさそうですね。

宮粼薫:ほんとおっしゃるとおりで、自分で勝手にそう思っていたので。でも「やっぱお父さんがいるからね」って言われるんです(笑)。

──言われそう。

宮粼薫:好きな曲とか、どういう音楽を聴いてきたのか、そこは親子であってもそんなにシェアをしていなくて、小学校の頃から全く畑の違った自分が好きな人・曲を聴くっていう感じだったので。

──意外とそんなものなんですね。

宮粼薫:環境的に音楽がそばにあったっていうのは、間違いなく父親の影響なんですけど、自分が書くことだったり歌うことだったり、どんな曲・音楽を聴きたいかというのは、ちっちゃい頃から自分の意思で選んできた自覚がありますね。

──曲を書きたいという衝動は「伝えたいことがある」から?

宮粼薫:音楽を聴いて涙することもあったし、自分で曲を書いて歌っている人のその背景だったり、インタビューを読んだりライブに観に行ってMCに感動したり、そういうところにすごい響かされて、そんな震える歌というものを、自分でも書きたい・歌いたいって思ったんです。

──だからシンガーソングライターなのか。

宮粼薫:その人から出てくるものに勝るものはないというか、自分の経験や気持ちに共感して人々が感動する、それ以上のものってないと思うので。私も自分の曲でそういう感動を与えたいと思っています。

──ピュアですね。

宮粼薫:何かしらインスピレーションを受けてストーリーを立てる中でも、自分の経験が必ず入り込んできますよね。

──曲を作り始めた頃はピアノで?

宮粼薫:クラシックピアノから入ってるので、コードというものに縁がなかったんです。なので、曲を作りたいって思うようになってから、いろんなアーティストの楽譜を買ってそこでコードを学びました。

──その頃から音楽で生きていくという意思があったわけですか?

宮粼薫:音楽をやりたいとずっと思っていたので、それで食べていきたいっていう思いもずっとありました。もちろん音楽でたべていくのは難しいことなので、仕事をしながらやっていたりもしました。そうやって頑張ってるアーティストも多いと思うんですけど。



──コロナがあったり、音楽流通が大きく変わったり、音楽自体の聴かれ方や価値観も変わる中で、心が折れることはありませんでしたか?

宮粼薫:結果がついてこなかったり、これだけやってみたけど描いていたようなかたちにならないみたいなことを、繰り返していくとへこたれたりしますけど、常に次の目標を立てて、ゴールに向かって逆算して、次の目標に挑戦してやっています。

──天賦の才を与えられた人は、状況がどうなろうとも音楽家の道から外れないですもんね。ただただ好きでやっているわけで。

宮粼薫:そうですね。もう本当「好きだからやってるだけ」としか言いようがない。何事にもそうなんですけど、私、「やめる」という行為には結構「勇気がいる」と思っているんです。

──クリエイターにとって、辞める勇気がないというより「辞める理由がない」「好きだからやめない」ですね。でもスランプとか沼に入ることはありませんか?

宮粼薫:歌詞を書くときは、もうしょっちゅうですよ。もうひたすら向き合って書くしかないんですけど。1回離れてみて他の作品を見てみたり、人に会ったり外に出てみたりとかしながら。私の場合、時間をかけて歌詞を書いていくタイプなので、歌詞には時間がかかるんです。それに反してメロディはいくらでも出てきます(笑)。

──メロディはいくらでも?

宮粼薫:そうですね。ポッと思いつく時もありますし、ロジカルに作ってみたりすることもあります。

──ロジカル?

宮粼薫:ロジカルに作っているミュージシャンも割と多かったりして、例えば4小節のメロディの繰り返しが来たからBメロは2小節の繰り返しのメロディにしようとか、そういうテクニックや数字的な観点で作るタイプの人もいます。



──メロディの裏ではコード進行も頭の中で鳴っているんですか?

宮粼薫:鳴っていたり、完全に鳴ってない鼻歌の時もあります。コードががっちり鳴っていたり色んな音が入っていたりすると、ちょっと想像しにくいタイプで、割とシンプルな方がやりやすいタイプです。楽器を弾かずに鼻歌で作る時もありますし。運転してたりシャワー浴びてる時とか、何も鳴ってない時にそのパターンが多くて。

──シャワー中に極上メロディが出てきたらどうするんですか?

宮粼薫:そのまま鼻歌を繰り返しながら出て、びしょびしょのままとりあえずボイスメモ、みたいな(笑)。

──大変(笑)。

宮粼薫:夢の中でメロディが浮かんだりして、パッと夜中に起きた時に「めちゃくちゃ名曲だ」と思って寝ぼけながら録るんですよ。起きてちゃんと聴いたら「あれ、○○○の「□□□」じゃん(笑)みたいなめちゃくちゃ人の曲だった…そんなのを繰り返しながら作ってます。

──才能ある人って、どこからちらっと聴いただけで、そのエッセンスはおろか曲構造なんかも身体に染み込んじゃったりして、ふとしたことでそのまんま降りてくるんですよね。でも本人の意識外なので、パクった自覚もなければその曲を聴いた覚えすらない。

宮粼薫:そうなりますよね。そうだと思います。パクって出そうなんて思って演っている人なんかいないと思います。

──夢の中で出てきた曲には、ちょっと気を付けないと(笑)。

宮粼薫:そうですね。曲作りのときでもよくそういう会話になります。まさに3ヶ月連続リリースの「優しさにふれるたびに」(2024年9月25日発売)のAメロBメロが、あまりにもすっと綺麗に出てきたので「これ誰かの曲ですか?」って携わる人達何人にも聞いて確認しました(笑)。

──すんなりできすぎて?

宮粼薫:「あまりにしっくり来すぎてるんですけど、大丈夫かな」って。一緒に共作したJpopに詳しいmiwaflowerさんにも(J-POPにもかなり詳しい人間Shazamのような人からも)「そのメロディはない」「大丈夫」と言ってもらって。



──一般庶民にはわからないミュージシャンならではの苦しみですね。ある時からギターで作曲するようになったとのことですが、ピアノとの違いってどういうところですか?

宮粼薫:ピアノとギターでは弾きながら考えた時のメロディの出方が違うというか、メロディの質とか雰囲気が全然違うんです。ギターを弾けるようになったことによって、ギターによる曲のタイプが増えたっていう感じですね。ピアノ1本だった時より幅が広がりました。

──どんな違いがあるのでしょう。

宮粼薫:ピアノはしっとりしてしまうことが多くて、「優しさに触れるたびに」なんかは完全にピアノで作った曲です。ギターはリズムを刻んだ感じの曲が書きやすいですよね。カッティングの音だったりジャカジャカやってると、リズミックな曲が作りやすい。ライブのことを想像して曲を作ることも多いので、セットリストを考えたときにしっとりした曲ばかりというわけにもいかないので、バラードは必然的にちょっと少なめになっていくというか、それでギターが増えたのかな。シンプルに、好きなアーティストにギターの弾き語りが多かったとか、そういうのもあると思います。

──逆に父親のASKAさんは、元々ギターで曲を作っていたけど、次第にピアノで作曲することが多くなったって言いますよね。

宮粼薫:逆だけど、同じことじゃないですかね。世界が広がったっていうことで、順番が逆だっただけなのかな。

──曲作りとかミュージシャンシップとかライブのこととか、親子で話をすることはないんですか?

宮粼薫:もちろんすることもありますけど、あんまりない方かも知れないですね。

──なんかもったいないな。

宮粼薫:二世アーティストのみなさんはどうなんでしょうね。多分それぞれの家族のスタイルがあると思うので、うちはただこうなだけだと思うんですけど…多分、「私は私」っていう気持ちが強いんだと思うんです。親からすれば、色々教えてあげたいとか、こういうもんだぞっていう話をしたいと思うんですけど、「それ、私は違う」「大丈夫」みたいなことになるので(笑)。でも、私から相談したり聞いたりしたことはもちろんありますよ。

──デビュー時、「ASKAの娘」という宣伝文句は出ませんでしたけど、それは敢えてだったんですか?

宮粼薫:それは正直に答えると「大人が決めた」というか、どっちでも良かったというか。それを前面に出して始めたいわけじゃないし、「実は娘だった」っていうのもどうせバレることだし、違う名前をつけてもどうせすぐ分かるし、変な名前をつけるんだったら本名の方が潔いなと思って、本名で真っ向勝負したんですよね。

──なるほど。二世アーティストの宿命なのかな。

宮粼薫:結局は、どれだけ自分が音楽をちゃんとやっているか、実力の世界だと思いますから。最初の出だしが得してるのは間違いないと思うんです。ゼロから音楽を始める人と比べると、親が業界にいたり二世アーティストというだけで、スタートは絶対に得していますよね。でもやっぱり、聴く人たちにとって「どんな作品か」が1番ですから、ずっとはついてこないっていうか。

──そうですね。

宮粼薫:ただ親が有名なだけで、いい面も悪い面もセットだと思います。



──そういう点で、宮粼薫というミュージシャンの骨格が作られた音楽って、どのあたりなんですか?

宮粼薫:小学校の時に「なんて綺麗なメロディなんだろう」ってドハマりして聴いていたのが、バックストリート・ボーイズなんです。

──小学生でBSB?おませですね。

宮粼薫:早熟ですよね。めちゃくちゃ早かったので、誰も友達と共有できませんでした(笑)。

──どこで知ったんですか?ラジオとか?

宮粼薫:CDショップに行って視聴して聴いて、気に入って買うみたいなことでした。嵐がデビューした時ぐらいの頃ですけど、テレビをあんまり見ていなかったので、逆にその辺のことに疎くて邦楽はあんまり聴いていなかったんです。バックストリート・ボーイズから、コーラスグループとかが好きになってブルーを聴いたり、そこから中学生ぐらいの時にアメリカのロックシーンにはまっていきました。

──2000年代ですね。

宮粼薫:もう本当に洋楽ばかり。ロックも聴いていましたし、R&Bも流行っていたし。

──ブリトニー・スピアーズとか?

宮粼薫:ブリトニー・スピアーズもすごく聴いていました。アヴリル・ラヴィーンとかミシェル・ブランチとか、グリーン・デイとか結構パンクも。あとリンキン・パークとかエミネムとか。

──ゴリゴリ洋楽ですね。

宮粼薫:ほぼ洋楽でした。だからその時代に日本で流行っていたものを聞かれてもちょっとわからない(笑)。小学校も1時間ぐらいかけて学校に通ってたんですけど、通学路に友達が少なかったかったので、CDプレイヤーがお供でした。ずっとそれを聴いて通学していたので、CDを1番聴いていた時期ですね。

──高校の時には音楽活動を?

宮粼薫:いや、高校の時もまだ活動はしていなくて、ピアノでなんとなくそのコードを追ったりとか、アーティストの弾き語りを真似してみたりとか、そういう感じです。大学ぐらいから本格的に作り出したので、音楽を目指す者の中では、スタートは遅かったと思います。

──今のスタイルになったのは?

宮粼薫:デビュー前…それこそギターを始めた時ぐらいからですね。20〜21歳くらいかな。弾き語りでライブハウスに出てました。その当時に今回3ヶ月連続リリースの2作目でリリースした「Cry」(2024年8月28日発売)をギターの練習曲としてやってました。歌詞に「二十才やそこらの恋と…」っていうワードがあるんですけど、本当にそれぐらいの年齢の時ですね。

──何故その曲を?

宮粼薫:その当時の関係者から、ギターを始める時に「こういう曲あるよ」って教えてもらって「この曲知ってる」「なんか聞いたことある」みたいな(笑)。割とコード進行がシンプルで初心者でも頑張ったらできそうだったので。当時の私には練習曲っていう感じでした。

──ASKA作詞・作曲の楽曲から、娘がいろいろ学んだんですね。そんな曲「cry」(ASKAが1995年に黒田有紀に提供した書き下ろした楽曲)が、やっと2024年8月28日になって「Cry」としてリリースされたわけですが。

宮粼薫:ファンの人たちから「リリースしてほしい」っていうリクエストはすごくもらっていて、2018年ぐらいに発売する話が一度あったんですけど、ちょっとまだ歌に負けてしまうというか、自分が足りないという気持ちがあったので、その時は話が流れたんです。やっと今ならこの曲を歌えるっていう気持ちが得られて、そのタイミングが今回だったということです。

──2018年のときには納得できなかった。…頑固ですね(笑)。

宮粼薫:そうなんです、本当に頑固で。でも歌うのもリリースするのも私だし、大人も色々言うけれど、演るのは私ですから(笑)。「リリースしてもライブで演らなくなりますよ」ってちょっと脅してみたりして(笑)。

──(笑)それからの6年間に大きな変化と成長があったんですね。

宮粼薫:自分も大人になりましたし、「cry」の歌の意味っていうのがより深くわかるようになったっていうのもありますし、今はその歌詞を受け止めて歌えるというのがありますよね。当時の自分だったら、まだちょっと受け止められなかったなっていうか、経験も含めて「響く歌」は歌えなかったのかもしれなくて。

──大事ですね。音楽の基本だ。

宮粼薫:それで言ったら、二世であることの苦しさというのは、そこにありましたね。「もっとやればいいじゃん」「もっと利用しなよ」って言われることが1番苦しかった。皆さんのアドバイスに悪気はなく言ってくれるんですけど、それが今後の自分の人生にどう影響するかを考えた時に、自分が「今だ」っていう時にしかやっちゃいけないなと思ったし、自分の気持ちを裏切りたくないという気持ち。ほんとに頑固なんですけど。これは父親譲りだと思います(笑)。いらないとこを引き継いじゃったかもしれない(笑)。


──2024年12月16日にはEX THEATER ROPPONGIで<宮粼薫 Christmas Live Noel in Harmony 2024>ワンマンライブがありますが、どんなライブになりそうですか?

宮粼薫:毎年クリスマス・ライブを演っているんですけど、今年はまたさらに去年よりギアが上がったというか、なんか色々全部出しするような感覚です。1皮向けた自分でライブができるかなと思っています。

──この1年が特別に何かを得た1年だったということですか?

宮粼薫:2023年12月6日にEP『Beautiful』をリリースしてコットンクラブでライブをさせてもらってから1年かけて、いろいろ成長したかなって自分で思うので。音楽面もそうですし関わってくれる人もそうですし、バンドメンバーも 含めて、色々かなりレベルアップしたライブができるんじゃないかなって。

──いいですね。

宮粼薫:初心に帰るじゃないですけど、今まで見てきた人たちがちょっと懐かしくなるような、なんか「らしいな」って思ってもらえる瞬間というか、そういう瞬間をライブで作りたいなって心がけています。作り込むことってできるとは思うので、ちょっと言葉だと難しいんですけど、引き算して「らしさ」が出せる瞬間を意識したいなって思ってます。

──引き算って難しいですよね。足し算のほうが簡単で。

宮粼薫:全部作り上げて完璧にしたいっていう性格で、足し算したくなるんですよ。色々こうしたい、ああしたいはいくらでもあるんですけど、あたしも人のライブを観に行くと、引き算されたところにぐっと好きになる瞬間があったりする。例えば、アコースティックのコーナーがあって弾き語りを1曲するとか、で、間違えちゃったとか。

──弾き語りなんて引き算の極地ですね。

宮粼薫:その瞬間に魅了されてきたっていうか、なんか人間らしさがより出るようなもの。そもそも私が作り込みがちだから、よりそういうところを大事にライブをしたいなって思います。

──音楽も音符以上に休符が大事だったりもしますし。

宮粼薫:大事ですね。レコーディングでもコーラスってたくさん録るんですけど、そこからいらないとこは省いていくという作業をする。「優しさに触れるたびに」でも、サビではメインのボーカルにダブルもウィスパーも録ってあるんですけど、ミックスの時に「ごめんなさい、ちょっとそのダブル…思いっきり下げてください」っていう作業があったりします。上手に歌えているテイクを選びたくはなっちゃうんですけど、人間らしさがある方を選んでもらって。そういったところで、自分ひとりよりも何人も関わる人がいた方がいいテイクを見つけられますよね。自分だと足して足していい方を選んでしまいがちなので。そういう過程を通して人間らしさが出るところはライブでも大事にしたいという気持ちが増えました。

──成長というか熟成というか。

宮粼薫:なんとなく完璧を求めてしまう性格なんですけど、自分が魅了されてきた音楽ってそうじゃないし、芸術もそうじゃないですよね。ミケランジェロもあれが全部綺麗に完成してたら…って人が言っていたのを聞いて「確かに」って思いますし。



──宮粼薫の魅力のひとつには、秀でた歌のうまさとあわせてその声質があると思うのですが、その点はご自身でどう評価していますか?

宮粼薫:歌というのは、できることが多ければ多いほど表現力の選択が増すと思うので、それは日々トレーニングをしたりとか練習をしたり。歌の箇所によって「ここはこういう歌い方をしてみようかな」「ここでこうしたから、こっちはこういう歌い方してみようかな」っていう研究はあるんですけど、でも、声自体は生まれ持ったもので、トレーニングしてもどうにもならないところだと思うので、声を褒めていただくのは本当にありがたいことと思います。それが私の魅力なのであれば、それを活かせる歌で、どう響かせられるか、届けられるか。そういうトレーニングはしています。

──声が気持ちいいんですよね。

宮粼薫:ありがとうございます。でも苦手なこともたくさんありますしウィークポイントも自分ですごいよくわかってるんです。単純にこの辺のキーが苦手とかここの母音が苦手とか…すっごいあります。

──本人が勝手にそう思ってるだけなくて?

宮粼薫:いや、でもね、あるんです。そこに苦手意識を持ったまま歌いたくないっていうのもあって、そこで頑固が出てくるんです(笑)。

──そこが許せるようになるには、あと30年ぐらい必要かな(笑)。

宮粼薫:でもライブの瞬間は結構そうかもしれません。「ライブだし…」っていう。

──で、そういうところが魅力的だったと言われたりして。

宮粼薫:まさにそうなんですよ。自分が観に行くライブもそうだと思うし、それがライブっていうものだとも思うし。だからその「人間らしさ」みたいなところを大事にしたいっていうのがあるんですね。ライブでいろんな人にいろんなところに会いに行きたいし、広がった活動をしていきたい。変わらずに曲を作り続けて、新しいものを発信していきたいと思っています。

取材・文◎烏丸哲也(BARKS)


<宮粼薫 Christmas Live Noel in Harmony 2024>

2024年12月16日(月)
開場 18:00 開演 19:00
@EX THEATER ROPPONGI(東京都港区西麻布1-2-9)https://www.ex-theater.com
ゲスト:クリス・ハート、中園亜美(SS)、寺地美穂(AS)、WaKaNa(AS)、米澤美玖(TS) From THE JAZZ AVENGERS
バンドメンバー:yas nakajima(Music Director,Gt,Cho)、櫻田泰啓(key)、李令貴(drs)、タルタノリキ(Mnp)、千田大介(bass)
一般チケット 7,700円(税込)
学生チケット 3,850円(税込)
チケット一般発売日] 9月28日(土)10:00〜
[チケット販売プレイガイド] チケットぴあ・ローソンチケット・イープラス・テレ朝チケット
※未就学児のお客様は保護者1名に付き、保護者の膝上であれば1名様まで無料。席が必要な方は有料。
※入場時1ドリンク代別途600円必要
※学生チケットは、小学生・中学生・高校生が対象。当日会場の専用窓口にて身分証の提示が必要。公演日当日、身分証をお忘れの方は学生席チケットの対象となりません。差額分お支払いいただきますので、予めご了承ください。身分証(学生証・マイナンバーカード・パスポート・保険証など)
※ファミリーチケットは先行販売期間内での販売となります。お子様連れのお客様のために指定席内に設ける着席指定のチケットになります。高校生までのお子様とその保護者を対象とします。保護者のみ、お子様のみでのご入場は出来ません。保護者1名につきお子様1名となります。ご入場時にはお子様の年齢が証明できるものをご提示いただきます(学生証・マイナンバーカード・パスポート・保険証など)。公演日当日、お子様の身分証をお忘れの方はファミリーチケットの対象となりません。差額をお支払いいただき、座席も変更となる場合がありますので、予めご了承ください。
[問]SOGO TOKYO http://www.sogotokyo.com/
03-3405-9999(月〜土 /16:00-19:00 ※ 日曜・祝日を除く)

<野外劇場TAOの丘2024「秋の感謝祭」宮粼 薫×DRUM TAO「A組」>

2024年11月9日(土)・10日(日)14:00〜
@野外劇場TAOの丘
出演:宮粼薫、DRUM TAO

◆宮粼薫オフィシャルサイト