【名馬伝説】中央競馬史上初、純白のアイドル・ソダシが成し遂げた歴史的快挙!白毛馬シラユキヒメの系譜
2020年12月13日、阪神ジュベナイルフィリーズ、1着のソダシと吉田隼人騎手 写真/東京スポーツ/アフロ
(堀井 六郎:昭和歌謡研究家)
昭和歌謡研究家・堀井六郎氏はスポーツライターとしての顔もあります。とくに競馬は1970年から今日まで、名馬の名勝負を見つめ続けてきました。堀井氏が語る名馬伝説の連載です。
白馬光臨、2つのG1レースを制す
今から4年前の2020年12月、1頭の馬が日本競馬史に画期的な一歩を刻みました。阪神ジュベナイルフィリーズという2歳牝馬決定戦で優勝した、ソダシという牝馬です。
何が画期的だったのか。それは、ソダシが白毛馬(しろげうま)、そうです、競馬場ではめったに目にしない白馬だったからです。
白毛馬がG1レースで優勝したのは中央競馬史上初めてのことで、彼女は余勢を駆って翌年4月のクラシックレース・桜花賞でも勝利するという、白毛馬として初の快挙を成し遂げました。
半世紀以上前のお話で恐縮ですが、ちょうど私が高校1年生の夏から秋にかけて民放ラジオ局に革命が起こりました。午前零時を過ぎた深夜の時間帯が若者たちに解放されたのです。『パック・イン・ミュージック』と『オールナイトニッポン』の登場です。
当時はGS(グループサウンズ)ブームがピークを迎えていた時期と重なっていて、「おまえのーすべーてーを」とか「きみだけにー」と歌うアイ高野やジュリーの声が深夜の時間帯に絶え間なく聞こえてきた時期でした。
そんなときに「ルンナ」と語り掛けるように歌う乙女のような声がトランジスタラジオから静かに流れてきたのです。内藤洋子の歌う『白馬のルンナ』との出逢いでした。ルンナという名は、おそらくお月さま(フランス語でルナ)の白いイメージから命名されたものでしょう。
それまで私にとっての白馬といえば、米国製テレビ活劇『ローン・レンジャー』の愛馬シルバーと、山城新伍主演のテレビ時代劇『白馬童子』の流れ星、この2頭の映像が頭にこびりついていましたが、ルンナが白馬のイメージを変えてくれました。
馬体の色の分類と名馬
ここで馬体の色について少し解説しましょう。JRAでは馬体の色を次の8種類に分別しています。黒い順から次のとおりです。また、私の独断による代表的名馬を挙げておきます。
・青毛(あおげ) 全身黒。テスコガビー、シーザリオ
・青鹿毛(あおかげ) 全身ほとんど黒で目や鼻の周辺が少し褐色。コントレイル、イクイノックス
・黒鹿毛(くろかげ) 胴体がやや褐色。ナリタブライアン、ブエナビスタ、リスグラシュー
・鹿毛(かげ) 鹿のような茶褐色。一般的な馬のイメージはこの色。ディープインパクト、アーモンドアイ、キタサンブラック
・栃栗毛(とちくりげ) 鹿毛よりも黄色がかった褐色。マーベラスサンデー、ノンコノユメ
・栗毛(くりげ) 栃栗毛より少し明るい栗色。テンポイント、テイエムオペラオー、オルフェーブル
・芦毛(あしげ) 灰色。年齢とともに白くなっていく。オグリキャップ、クロフネ、ゴールドシップ
・白毛 生まれたときから全身が真っ白。白馬と称されているもの。ソダシ
以上の範疇からは除外されていますが駁毛(ぶちげ)という、馬体に白い毛がブチのように存在する馬がいます。分類上は白毛ですが、名馬にブチコを挙げておきます。
ちなみに灰色の馬体から「芦毛の怪物」と称された名馬オグリキャップですが、生まれたときは一般的な馬の色である栗毛と鹿毛(茶)のような馬体をしていたそうです。
やがて年とともに黒い肌が少しずつ白い毛に覆われ、その馬体はグレーの斑点がトレードマークのようになっていき、その強さゆえ「灰色のお化け」とも称されました。
オグリキャップは2010年に25歳で亡くなりますが、晩年の馬体は現役当時とは異なり、白毛馬のように真っ白になっていました。ただし、オグリキャップは白毛ではなく、芦毛(あしげ。葦毛とも)で、生まれたときは一般的な茶系に見える馬体だったのが、年とともに見た目が灰色へと変わり、晩年は真っ白になりました。
オグリキャップが国民的な人気を得ていた頃、競馬を知らない私の母が「デパートの入口で売っていたから」と言って、オグリ人形をお土産に買ってきてくれたことがありましたが、人形の馬体の色はやや濃いめのグレーでした。現役だった当時の馬体の色に似せたものでしょう。オグリキャップが競馬の代名詞となるほどの人気を勝ち得た理由の一つに、その特色ある馬体の色も貢献している、と私は思っています。
白馬シラユキヒメの子供達
さて、白馬に話を戻しましょう。突然変異で白毛馬が生まれる確率は7000頭に1頭という説から20000頭に1頭までと、さまざまな説があります。
明確な数字は提示できませんが、2023年のサラブレッドの生産数がおよそ7800頭前後とされているので、突然変異での白毛馬の誕生は1年か2年に1頭程度というきわめて稀なケースということになります。
日本競馬史上、白毛馬として最初の競走馬として知られるハクタイユー(1979年生まれ、牡)や、引退後、母馬として10頭の白毛馬を誕生させたシラユキヒメ(1996年生まれ、牝)は、両親が白毛の遺伝子を持っていないので、突然変異の例に含まれます。
ハクタイユーは残念ながら中央競馬で4戦して勝つことはありませんでしたが(4レースとも惨敗)、引退後、産駒のハクホウクンが1997年12月30日、大井競馬場で日本競馬史上、白毛馬として初の勝利を挙げています。まさに白星の一番星です。
残念ながら、ハクホウクンの血統は長く続かずに途絶えますが、ハクホウクンの初勝利から3年余、前述のシラユキヒメがデビューします。
5歳という遅咲きのデビューは2001年に9戦して全敗、勝利に恵まれないまま引退し、その後、母馬として12頭の子供を産みます。そのうち白毛馬は10頭、残りの2頭は芦毛と鹿毛でした。
白毛のほうは年齢順に、シロクン、ホワイトベッセル、ユキチャン、シロベエ、マシュマロ、ブラマンジェ、マーブルケーキ、ブチコ、シロニイ、ブッチーニと名づけられます。名前だけ見ているとかわいらしくて、競走馬というよりペットの名前のようですね。
「白」の歴史と血脈はソダシへ
前記の白毛馬の中で牝馬のブチコは4勝を挙げています。白毛馬とはいえ、まだ馬体に茶褐色のブチが点在する姿はファンの人気を集めました。そして、そのブチコが引退後に初めて誕生させた子供が、白毛のG1馬・ソダシでした。
サンスクリット語で「輝き、純粋」といったことを意味する命名ですが、先頭でゴールする姿は白い閃光のように輝いて見えました。
シラユキヒメの12頭の子供たちの成績は今一つでしたが(うち未出走2頭)、ブチコの生んだ「純白のアイドル」ことソダシが競走馬としての白馬の評価を一変させます。
ソダシは桜花賞勝利後、翌2022年にG1「ヴィクトリアマイル」を制します。このとき米国ニューヨーク・タイムズがこの勝利を特集記事にしたそうです。ビッグレースにおける白毛馬の勝利が世界的に見てもいかに衝撃的なものであるかを実証しているようです。
2022年5月15日、ヴィクトリアマイル、1着のソダシと吉田隼人騎手 写真/日刊現代/アフロ
ソダシは翌年引退、突然変異での白馬誕生が稀有なことは前述のとおりですが、白毛馬から白毛馬が誕生する確率はかなり高くなります。
数年後、ソダシを超える「白い怪物」の誕生をきっと多くの競馬ファンが待ち望んでいることでしょう。
(編集協力:春燈社 小西眞由美)
筆者:堀井 六郎