スポニチ

写真拡大

 【谷口キヨコのごきげん!? SOLOライフ】今回はこの場で10月16日紙面(大阪版)のコラムの続きを書こうと思います。

 これまで、お手本なんて関係ないアイドルとして、俳優として、芸能人として独自の生き方をしてきた(と思われる)小泉今日子さんが、還暦を目前にして「これからの人生のお手本がないんです…」と困った顔で発言している場面を生放送で見た私。

 「お手本がない道を行くのがキョンキョンやったんちゃうんか!他人がやってないことを探して、それを見つけてやってるうちに芸能界で独自路線の人になったんがキョンキョンやったんちゃうん!?」と、彼女の困り顔に、こちらがちょっと困惑しました。

 この困惑は私が彼女に「コイズミは(かつて彼女は自分のことをそう言っていたような…)これからこんな風にこんなことをして生きていきたい」とはっきり言ってくれることを期待していたから、とも言える。

 仕事を中心に考えると、これまでと違った方法や物事をすすめることは大変な一方で、チャンスだし、試行錯誤しながらの作業は苦しいけれども充実感をもたらしてくれるだろう。だからお手本がなくても、なんとかやっていけそうな気がする。

 これまでも彼女はお手本がなくても、結果的に自分らしい仕事をし、そこから喜びを得て、今では自分のやりたいことをお芝居やライブといった、現在の小泉今日子としての仕事に昇華させているように思える。だから小泉今日子は唯一無二の存在なんだ。

 そんな彼女がこれからの人生のお手本を欲しがるなんて…全く意外である。

 もう一回言う。

 「キョンキョンてお手本いらんかったんちゃうん!?」

 「お手本がない」と言って困るということは「ある」方がよいし、それを望んでいる、ってことよね。

 なぜ、これまでお手本を欲しがらなかった彼女が、これからの人生はお手本を欲しいと思ったのか…。

 次回はそれについて考えてみたいと思う。