在日コリアンは日本でも韓国でも差別を受けてきた歴史がある。大阪で生まれ育ち、韓国に約1年間留学した在日コリアン3世の韓光勲さんは「在日コリアンという存在をよく理解しない人からの素朴な言葉に傷つくことはあるが、両親や祖父母の世代と比べたら状況は改善している」という――。

※本稿は、韓光勲『在日コリアンが韓国に留学したら』(ワニブックス【PLUS】新書)の一部を再編集したものです。

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■韓国人女性「あなたの韓国語は流暢じゃない」

韓国では腹の立つこともたびたびあった。飲み会の席での出来事だ。先に述べておくと、「韓国で差別された」とか、そういうことが言いたいわけではない。僕は物書きなので、あったことをそのまま書くのみである。

飲み会の席で初めて会った30代くらいの韓国人女性に、英語でこう言われたのだ。

「Can you speak English? Because your Korean is not fluent.(あなた、英語を話せる? あなたの韓国語は流暢じゃないから)」

驚いてすぐに反応できなかったが、やがて怒りでワナワナ震えた。こんな侮辱はない。

「あなたの韓国語は流暢じゃない」なんて一番言われたくない言葉だ。おまけに「韓国語じゃなくて英語を話せ」と言われているのだ。

僕は母語が日本語で、韓国語を勉強するために韓国に留学しに来ている。韓国語のレベルは中級〜上級くらいだと思う。当時、語学堂(語学学校)では、上から2番目のクラスに所属していた。韓国語能力試験の6級(最高級)に合格したこともある。

■想像力がある人なら言うはずがない言葉

その韓国人女性の言葉は、僕をバカにしているだけでなく、韓国語を学びにわざわざソウルにやってきた僕の人格を否定する言葉だと感じた。

在日コリアン三世として育った僕が、どんな思いで韓国語を勉強してきて、語学堂にいま通っているのか。少しでも想像力を働かせてほしい。とにかく悲しかった。

怒りを鎮めるため、まずは深呼吸をした。少し時間をおいて、僕は韓国語でこう言った。

「どうして英語で話すんですか。悲しいです。傷つきました」

場の空気が固まった。シーンとした。その人は驚いて目を丸くして、キョトンとしていた。理解できていなかったのだと思う。

すると、僕の知人が加勢してくれて、「この人は韓国語を聞き取れますよ。私たちの話を理解しています」と言ってくれた。

今振り返ると、「一言でそんなに怒らなくても」という気もする。だけど、いざ面と向かって言われると、尊厳を傷つけられたような気がした。侮辱されたと感じた。こういう人は一度も外国に出たことがないのだろう。想像力のない人だから相手にする必要はないが、だからといって何を言われてもいいわけではない。

■無意識の偏見がだれかを傷つけている

いまの世の中、やっぱり言われた側がどう感じるかが重要だと思う。近年、ハラスメントの認定基準は、言った側の意図とは関係なく、言われた側の主観的な感じ方が重視される。傷ついたときには「傷ついた」と言う権利はあるはずだ。自分の気持ちを表明する機会は保障されるべきである。

近年、このような発言は「マイクロアグレッション」と呼ばれている。マイノリティの属性をもった人に対して無意識に尊厳を傷つけたり、敵意を示したり、排除したりする言動を指す。「日常に潜む攻撃性」と説明されることもある。

僕は、日本でもたびたびマイクロアグレッションに出くわすことがある。初対面の人に名前を名乗ると、「日本語が上手ですね」とか「日本には長く住んでいるのですか」と言われることがあるのだ。

もちろんイラッとする。僕は古文が昔から得意だし、日本史はセンター試験でほぼ満点だったし、今でも明治期以降の外交文書や擬古文はスラスラ読める。ライターもしているし、「あなたより日本語能力は高いですよ」と思う。生粋の大阪生まれで、関西弁をこんなにべらべら話しているのに、「日本に長く住んでいるか」なんて愚問でしかない。

でも、僕はそうとは言わないようにしている。角が立つからだ。「ああ、日本生まれ日本育ちですから。日本語の母語話者ですよ」と丁寧に答える。大人の対応を心がけている。ただ、僕だけが大人の対応をしないといけないというのもまた変な話である。

■「在日コリアンは差別される」は過去の話

在日コリアンの間でよく言われてきた話に、「在日コリアンは、日本でも韓国でも差別される」というものがある。

たしかに、在日コリアンは日本ではいまでも一部の公務員になれないし、選挙権はない。韓国に行っても、在日コリアンは韓国語がうまくないということもあり、差別されることがある。在日コリアンが置かれたそのような状況を指し示す言葉として、僕も何度か聞いてきた。

ただ、僕はこの言葉をそのまま現代に適用できるとは思っていない。出所はよくわからないが、在日コリアンがわりと自由に日本と韓国を行き来できるようになった1980〜1990年代ごろから言われるようになったのではないか。その時代はまだわかる。日本での差別はきつかったし、韓国でも「よそ者」として扱われていた。

■裁判闘争や市民運動で勝ち取った“変化”

ただ、現在の状況は、日韓ともにかなり変わっている。日本では、在日コリアンが国家公務員や地方公務員の管理職になれない状況、選挙権がない状態は続いているが、両親の世代と比べると、制度的な差別はある程度改善されてきたのも事実である。

僕の母(1961年生まれ)は韓国籍であることが理由で、日本の企業には就職できなかったし、「外国人登録」のために指紋を押さなければならなかった世代だ。

1970年代から1990年代にかけて、在日コリアンによる裁判闘争、日本人と協力した市民運動がさかんに行われた。運動の成果によって、就職差別はかなり改善され、指紋押捺の義務もなくなった。

在日コリアン三世である僕は就職活動の時に差別を感じたことはほとんどなかったし、大手の新聞社に勤めることもできた。1992年生まれの僕は「外国人登録」のために指紋を押した経験もない。

「日本語がうまいですね」というようなマイクロアグレッションはたびたびあるが、日本で露骨に差別された経験はほとんどない。ただ、数が少ないからこそ、強烈に覚えているのもまた事実である。

■「韓国人」「朝鮮人」「出ていけ」…

小学校1年生の頃、近所に住む同い年の男の子と遊んでいた時、急に「お前は韓国人だから」と仲間に入れてもらえなかったことがある。それまでは普通に遊んでいて、自分は友達だと思っていたのに。驚いて言葉が出なかった。悔しかった。

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大学生の頃、道端で通りがかったおじさんに、「おい、朝鮮人だろ、お前」と急に言われた。差別用語を繰り返し言われた。500メートルくらい付きまとわれた。怖くて何も言えなかった。恐怖で体が硬直した。

2年前、近所の居酒屋で、横のテーブルに座っていたおじさんが店主との会話で「あの辺の地域、朝鮮人多いやろ。俺、朝鮮人嫌いやねん」と話していた。抗議したが、無視された。店主が迷惑そうにこちらを見ていたので、足早に店を出た。

2015年ごろ、ヘイトスピーチの現場に行ったこともある。聞くに堪えない言葉がまき散らされていて、心底参った。十円禿げが頭にできた。「『出て行け』と言われているし、日本にはもう住めないのではないか」と、その時は本気で思った。

■日本社会を信頼できたのは友人たちのおかげ

こういう差別の経験はたしかにあるが、日本で30年間生きてきて、この程度といえばこの程度である。個人的な経験を数えたら4〜5回くらいだ。オランダに1年間留学しているとき、アジア人の見た目をしているだけで5回くらい差別的な言動をされた。それよりは頻度としてはずっと少ない。日本での差別で傷ついた経験があるのもたしかだが、両親や祖父母の世代と比べたら状況は改善していると思う。

僕は、日本での差別体験を強調する意図は全くない。優しくて親切な日本の友達に多く恵まれてきたし、差別から守ってくれた友人もいる。このような体験談に耳を傾けてくれる人はいつもそばにいた。嫌な体験をしても、日本社会への信頼を失わなかったのは、大切な友人たちのおかげだ。僕は運がいい。周りの人には心から感謝している。

韓国の状況はどうか。K-POPやドラマが世界的な人気を博している。韓国を訪れる外国人は増えた。在日コリアンへの理解が進んだかは別として、韓国に来る外国人自体が増えたので、移住者、移民者への理解は以前よりは進んだだろう。

だから、在日コリアンの間で伝わってきた「日本でも韓国でも差別される」という言説は、現在ではそのまま通じないと思う。

■いまだに「よそ者」扱いされている感覚がある

でも、こういう「言い伝え」というのは、伝えられるだけの理由がある。何かしらの真理を含んでいるからこそ、人から人へ、世代を通じて伝わるのだ。

この「言い伝え」を僕なりにアップデートしてみると、「日本でも韓国でもマイクロアグレッションを受けることがある」となる。在日コリアンという存在をよく理解しない人からの素朴な言葉に傷つくことは、日韓を問わず、今でもある。

日本で「日本語がうまいですね」と言われるとき。あるいは韓国で「あなたの韓国語は流暢じゃないから」と英語で話されるとき。僕の心はやっぱり傷ついてしまう。

同じ社会に住んでいる人として対等に扱われない感覚。いつまでも「よそ者」として仲間に入れてもらえない感覚。そうした感覚を抱かせてしまう言葉こそ、マイクロアグレッションだ。

■僕にとって韓国語はただの「外国語」ではない

僕は、韓国語を「取り戻したい」と思って韓国にやってきた。母は大阪で生まれた在日コリアン二世で、韓国語は話せない。母方の祖母は6歳のとき、韓国から日本にやってきた。小さい頃は韓国語を話していたらしいが、日本での生活が長く、韓国語を話せなくなった。祖母が一度獲得し、失ってしまった言語。それが韓国語だ。

韓光勲『在日コリアンが韓国に留学したら』(ワニブックス【PLUS】新書)

でも、「取り戻す」というのは本来、おかしな話である。僕にとって、韓国語は「外国語」のはずだ。母語ではない。母語とは生まれながらにその言葉を話していることを指す。僕の母語は日本語だ。僕は大阪で生まれ育った。人生の大半を大阪で過ごしてきた。酸いも甘いも、苦い思い出も楽しい思い出も、大阪にある。

僕の父方の祖母は2022年まで、済州島で生きていた。102歳で亡くなった。父と父方の祖父母が暮らした国。母方の祖父母が生まれた国。それが韓国だ。

だから、韓国語は母語ではないという意味では「外国語」といっても、ただの「外国語」ではないのだ。僕の母方の家族が一度失ってしまった言語。父方の家族が話す言語だ。それは母語でもなければ、単なる「外国語」でもない。「外国語」として突き放して学んでいくには、つながりが強すぎる。

こうやって僕が学んできた韓国語を、韓国人から侮辱されるのはたまったものではないのだ。

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韓 光勲(ハン・カンフン)
元全国紙記者
1992年大阪市生まれ。在日コリアン3世。2016年、大阪大学法学部卒業。2019年、大阪大学大学院国際公共政策研究科博士前期課程修了。2019年4月から2022年7月まで、毎日新聞で記者として働く。2023年3月から約1年間、韓国で留学生活を送った。現在、大阪公立大学大学院文学研究科博士後期課程に在籍。日本学術振興会特別研究員(DC1)。専門は社会学、朝鮮半島地域研究。2019年、大阪大学大学院国際公共政策研究科優秀論文賞受賞。2020年、スマートニュースアワード2020報道部門ベストコンテンツ賞受賞。JBpress、CINRA、『放送レポート』、『抗路』等で記事を執筆している。
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(元全国紙記者 韓 光勲)