RADWIMPS「前前前世 (movie ver.)」MVより

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 RADWIMPSは2000年代以降にデビューしたバンドのなかでも特に日本のロックシーンに与えた影響は大きく、今なお孤高の存在としてシーンに君臨し続けている。なぜ、RADWIMPSはそのような立ち位置になったのだろうか?

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 その理由はいくつもある。まず、歌詞が素晴らしい。次に、ベースやドラムのリズムの切れ味が鋭い。さらには、生み出されるメロディもすべて刺激的。要素を挙げ出したら枚挙にいとまがない。そのなかでも、桑原彰のギターの魅力も重要な要素の一つだ。しかし、桑原は2024年10月、RADWIMPSを脱退することになった。残念なニュースではあるが、彼はどのようなギタリストであり、そのプレイやアイデアがRADWIMPSの音楽にどのような影響を与えてきたのか――あらためて、その功績を考えてみたい。

 そもそも、RADWIMPSにはふたりのギタリストがいる。ひとりはフロントマンであり、ボーカルであり、数々の楽曲を手掛けてきた野田洋次郎。そしてもうひとりが桑原だ。このふたりの出会いがRADWIMPSの結成に直結するわけだが、彼らのギターのアンサンブルはあまりにも美しく、調和や個性の出し方も含め、どこまでも絶妙だった。RADWIMPSの音楽はいつでもギターのイントロやリフが記憶に残るものだった。ギターのフレーズを聴くだけで、どの楽曲なのかわかることも多かった。

 ギターのイントロのインパクトが強い歌としてよく名前が挙がるのが、「おしゃかしゃま」。冒頭のギターが印象的で、RADWIMPSのベストイントロだと言うリスナーも多い楽曲だ。ちなみに、このフレーズは野田が考えたもので、プレイ自体も野田が行っている。ここもRADWIMPSの面白いところ。印象的なフレーズはリードギターがプレイして、ボーカルはコード弾きに徹するバンドも多い。が、RADWIMPSは楽曲によって、そのあたりの役割を変える。それだけふたりとも達者なわけだ。「おしゃかしゃま」においてポイントなのは、野田のフックフレーズが軸にありつつも、桑原がそのフレーズに合わせて、ギターを弾いていることだ。結果、ツインギターのメロディの重なり合いが、ハードでありながらも切ないあのイントロを生み出している。野田の考えるメロディが素晴らしいのはもちろんのこと、桑原の弾くフレーズがサウンドにさらなる奥行きを与えているわけだ。

 野田と桑原の掛け合いの気持ちよさで言えば、「セプテンバーさん」も外すことができない。この歌はバックのピッキングを行うパートと、アルペジオでメロディを奏でるパートに分かれるが、ここのコンビ感が秀逸なのだ。リズミカルさを保ちながら、アルペジオの透明感ある儚さが混ざり合う感じ。「RADWIMPSのギターは、どうして印象深く響くのか?」という問いの回答が詰まっているようなアンサンブルなのだ。なお、桑原のギターは開放弦を効果的に使うことも多く、メロディの高低を自由に行き来する点も特徴。それがプレイの難易度以上に、印象に残るフレーズを作る要因になることも多い。

 もちろん、桑原のテクニカルなプレイがダイレクトにインパクトに繋がる楽曲も多数ある。たとえば、「前前前世」はそんな超絶スキルを体感できる代表曲だ。イントロを聴くだけでヒリヒリと伝わる疾走感。ドンシャリしてエッジの効いた音色に、高速的に様々な奏法を組み合わせながら奏でられるメロディは強烈だ。

 高速的なプレイでインパクトに残るギターフレーズと言えば、「会心の一撃」も外せない。「会心の一撃」はメロディだけで切り取っても相当にパンチがあるが、それ以上にギターも印象的なのがこの曲のすごさ。ブースターでゴリゴリの音圧のなか、右手はとにかく高速的に豪快に音をかき鳴らす。結果、“あのサウンド”が誕生して、爆発的な高揚感を生み出すことになっているのだ。

 近年の楽曲だと「大団円 feat.ZORN」のギタープレイもスリリングだ。あの楽曲は全編通して独特の緊張感が宿っているが、そんな楽曲のなかをクールでクリーンなギターが軽快に音の空間を埋める。一方、後半に用意された間奏のギターソロでは、ハードロックよろしく歪んだギターソロが展開されており、ソロ直後にやってくるしっとりパートとの対比が鮮やかで、ここも印象深く響く。

 そうなのだ。桑原はテクニカルなプレイもできる一方で、楽曲のなかでバランスを取ることも多く、そういう意味での“自由奔放さ”も魅力的なギタリストなのだ。「最大公約数」の間奏後で言えば、最後のサビのタッピングに、そういう巧みさを感じる。おそらくはもっとテクニカルで印象的なフレーズを弾くこともできるはずだが、あのパートでは同じポジションをキープしてタッピングすることを選択しており、それが楽曲に大きなドラマを作り出している。「サイハテアイニ」のサビ前では、高音を強めて叫びのようにギターを轟かせるパートが差し込まれるが、ここも“構成力”が光るプレイである。

 桑原のギタリストとしてのすごさをシンプルに体感するのであれば、14thシングル『シュプレヒコール』のボーナストラックとして収録された「22:20:12:5:14:2012」をオススメしたい。この楽曲は即興で収録されたインスト曲であり、鍵盤を軸としたジャジーな空気感が持ち味になっている。そのため、ギターのサウンドはあまり歪ませずに成立させ、熟達したリズムアプローチや技巧的なソロの展開を堪能できる。そこに、彼のアイデアの豊富さやリズム的造形の深みが光っているのだ。

 ここまで書いてきたが、何が言いたいかと言うと、桑原のギターは数えきれないほどの魅力を持っているということ、そして楽曲の多くで重要な役割を果たしてきたということだ。“サウンドに足し算する”のあり方が華麗で無二的であったからこそ、桑原のギターはRADWIMPSの音楽における“RADWIMPS感”を構成する大きな要素になったわけだ。ただ、その桑原がRADWIMPSを脱退する。その決断に至るまでにどんな話し合いがあり、どのような経緯でその決断に至ったのかは計り知れない。だが、桑原彰というギタリストのプレイがRADWIMPSの音楽で大きな役割を果たしたことは、これまでもこれからも変わらないことである。

 この先、RADWIMPSがどのように変化していくのか、そして桑原がどういう道を歩むのか、正直まだわからない部分が多い。だからこそ、思うのだ。いつか、「独白」の歌詞にあった〈下じゃない前を見ろ〉という言葉を大切にした結果として、今回の選択があったのではないか、と。そして、そういう意志の結果として決めた道だからこそ、その先に新しい音楽的な豊かさと出会うことになるのではないか、と。きっと単一で白黒つけられるものではないと想像できるからこそ、それぞれの飛躍に繋がる未来を想像して、この記事の結びにかえさせていただきたい。

(文=ロッキン・ライフの中の人)