アプリや合コンを通じた出会いでは、自分らしさを発揮できず、疲れてしまった、という佐藤さん(撮影:尾形文繁)

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間取りは1K。世田谷の恵まれた周辺環境が、ひとり暮らしを心地よく彩る(撮影:尾形文繁)

増加するひとり暮らしに焦点を当てた連載「だから、ひとり暮らし」は、個々のライフスタイルを通じて、その背景にある人生観や人との関わり方を探るシリーズ。

今回取材したのは、東京都世田谷区に住む佐藤さん(仮名・33歳)。大阪の大学で国際文化を学び、卒業後は東京で就職。転職や転居を経て、今はブランディングデザインの会社でマネージャーを務めている。20代の迷いを乗り越え、自分らしい生活を探し求める彼女の暮らしを取材する。

住まいは世田谷の、どこか

佐藤さんの住まいは、東京都世田谷区にある。落ち着いた環境ながらお洒落な飲食店が多く、雑誌で取り上げられることも多いエリアだ。間取りは1K。新しい建物で清潔感がある。

「このエリアが気に入って、住んでみたいと思いました。前に住んでいた吉祥寺界隈と比べても家賃が高いのですが、憧れているエリアだったので。

内装に関して、グレーを基調にしたカラーリングはちょっと冷たい感じがしたのですが、建物自体の新しさと1Kにしては広めのキッチンに惹かれました」(佐藤さん 以下の発言全て)

【写真】にぎやかな子ども時代をへて、今は「ひとり暮らし」。そんな佐藤さんの暮らしの様子(12枚)


鳥取県出身の佐藤さん。大阪の大学を卒業したあと、就職で上京した。現在はブランディングデザインの会社にマネージャーとして勤務。食に興味があり、今は仕事の傍ら通信制大学の食文化デザインコースで学んでいる(撮影:尾形文繁)

家でお酒を飲みながら料理をするのが好きだという佐藤さんは、近所でひとり呑みすることもあるという。

「近所にはバーやカフェ、居酒屋や定食屋さんまで、好きなお店がいっぱいあります。そこにふらっと食事に行ったり、呑みに行ったりするのも好きです。世田谷暮らしは、ひとりで気ままに楽しむのがいいんです」

佐藤さんが世田谷に引っ越してきたのは2年前。前の住まいの吉祥寺から移り住む際、心に決めたのは、プライベートな時間や空間を大切にするということでした。


お酒が好き、という佐藤さん。家に好きなお酒があると、仕事が忙しくても頑張れるという(撮影:尾形文繁)

「親しい関係性になるまでは、住まいに関するプライベートなことは秘密です。ざっくりと『世田谷区』ぐらいの情報しか公にしていません。

この部屋に招くのは、家族や10年来の友人などの、本当に身近で大切な人だけ。心を乱す物や人の気配をシャットアウトして、安心で落ち着く空間にしておきたいからです」

広報的な役割も担う仕事柄、人付き合いが多くアクティブな印象のある佐藤さんが、パーソナルスペースを重視する考えに至った過程を、聞いていこう。

兄弟姉妹は7人、「控えめな子」から脱却するまで

佐藤さんは、鳥取県の自然豊かな環境で育った。

父には前妻との間に4人の連れ子がおり、母との間には3人の子どもがいる。佐藤さんは、7人の兄弟姉妹がいるなかの6番目に産まれた。大家族の中で育った彼女は、「家族が多いと賑やかで楽しい反面、落ち着いた1人の時間を持つことは少なかったです」と微笑む。

「母は12歳離れた父と29歳で結婚し、いきなり4人の母になったんです。父はそれぞれの子どもの道を応援してくれて、専門学校に入れたり大学に入れたり。すごいですよね。休みのときは家族みんなをキャンプに連れて行ってくれました。母もできるだけ分け隔てなく兄弟姉妹皆を世話してくれたと思います。母は明るくて太陽のような人ですね。

そんな環境で私がどう影響を受けたかというと、ちょっと引っ込み思案というか、大人しめに育ったということじゃないでしょうか。家に自分よりも年上の兄や姉が沢山いたので、『あまり積極的に自分の意見を言わなくていいかな』みたいな感じでした」

そんな佐藤さんは大学進学で大阪へ、卒業後は東京で就職し、現在3社目。ブランディングデザインを行う企業でマネージャーとして働いている。

「実家を出て大阪の大学に行ったのは、同じく大阪の大学に通っていた母の影響です。そして今、こうやって東京で働き続けているのは、大学、そして1社目で出会った人たちの影響だと思います。

大学では主に東南アジアの文化について学びました。ゼミの教授は、まるで父親のように生徒1人ひとりをじっくりと見てくれる方。その教授について学ぶうちに、広い世界を見たいという欲が出て、就職に関しても『どうせなら、日本の首都に行こう』と、思うようになったんです。

卒業後は東京のオーガニックコットンを専門とするアパレル会社に就職し、そこで社長の傍で秘書のような仕事もしました。女性の社長だったのですが、その方を通じて多くの女性経営者の生き方を知り、起業に憧れを持つようになりました」


大学では国際文化を学び、東南アジア各国で研修をした。その頃の思い出のマグネットがキッチンに(撮影:尾形文繁)

佐藤さんは家族に守られていた控えめな子ども時代から、さまざまな人々との出会いによって、内に秘めていた意欲が湧き上がっていった過程を振り返る。「田舎暮らしの自分からすると、都会で学んだり働いたりするのは冒険。思い切ってチャレンジした結果、いい人との出会いに恵まれたと思います」とのこと。

しかし、全てが順調だったわけではなく、佐藤さんも停滞期に悩む時期があった。その時期に起こった出来事やそこから湧き起こった感情が彼女を変え、現在のライフスタイルにたどり着くきっかけとなったそうだ。

合わない婚活が「らしさ」を奪う

佐藤さんが現在の住まいに引っ越してきた理由は、婚活疲れと失恋だった。

「20代の後半ごろは多くの女性がそうかもしれないのですが、私も『30歳までには』と、結婚や子どもを持つことに焦る気持ちがありました。今も、自分の家庭を持ちたいという思いはあります。でもあの頃は、その気持ちが空回りしていたかもしれません。

転職をしたときの会社選びでも、家庭を持つ可能性を視野に入れていました。オーガニックコットンの会社では、とてもやりがいのある仕事をしていましたが、結婚後を考えたら、大きな会社で福利厚生を活用できる環境の方が子育てしやすいのかなと思って」

2社目となる転職先は大手広告代理店のネット広告会社。1社目の会社の規模は従業員60人ぐらいだったが、一気に1000人規模の会社の社員になった。

「最初の会社で自社ブランドのサイトやオンラインショップの管理もやっていたので、ネット関連企業で専門性を高めたい気持ちと、大会社ならではの福利厚生に魅力を感じて転職したのですが、思ったような仕事はできませんでした。

その会社は大きな会社ゆえに、担当するのはプロジェクトの一部分。さまざまな業務に携わることができた前職と比べると、仕事の手応えを感じにくかったのです」

結局その会社は2年弱で退職することになる。


アプリや合コンを通じた出会いでは、自分らしさを発揮できず、疲れてしまった、という佐藤さん(撮影:尾形文繁)

「結婚をする前提でその会社に入ったものの、婚活は苦痛でした。アプリに登録したり、合コンをしたりといろいろやってみましたが、男性の望むような女性を演じるのに、疲れてしまって。

そのころ、婚活とは別で好きな人がいたのですが、彼は全く結婚する気がなかったので、そちらも出口が見えず。いろんな方向で、行き詰まっていたんですね」

そんなとき、佐藤さんは現在も働くブランディングデザインの会社のマネージャーポジションの募集を目にした。デザインの技能がなくてもクリエイティブな環境で働ける、マネージャーという職種に惹かれた。

「もう、この会社一本だけに絞って、入れなかったらワーキングホリデーで海外に行こうと思っていたんです。その気迫がよかったのか、採用されて今は入社から5年目です。

私は無理に世間に合わせたりするよりも、好きなことをやっている方がいろんなことがうまくいくタイプなのかもしれませんね。今はやりがいのある仕事に打ち込めて、とても楽しいですから」

誰かの「残像」がない空間で、心機一転

佐藤さんは3社目の仕事が軌道に乗って程なく、吉祥寺から世田谷に転居した。


器が好きで、料理が映えるものを集めている(撮影:尾形文繁)

「吉祥寺も暮らしやすくて好きだったのですが、(前職時に)うまくいかなかった仕事や婚活、そして何よりも好きだった人の影がちらつくので、全てをリセットしたかったのだと思います。

その人に関しては、全体にまとう雰囲気や居心地のよさなど、私は全てが大好きだったんです。でも、彼は同じ気持ちではなかった。

そんなこともあって、新しい環境ではお互いに向き合って深い関係性を築いていく人以外、個人的なテリトリーには入れない。そう決意して今の場所に転居しました」

シンプルなインテリア、整頓された空間には佐藤さんが好きなものだけが置かれている。リラックスのためのアロマオイルや、観葉植物。今の自分を形作る思い出にちなんだ品。好きな「食」を楽しむための器や調理器具など。彼女のパーソナリティがそのまま表れた、調和の取れた空間だ。

「週末は新しいレシピに挑戦したり、友達を招いて手料理を振る舞うこともあります。また自転車で近所のパン屋さんや公園を巡るのが好きです。世田谷は美味しいパン屋さんや大きな公園がたくさんあるんですよ。自分のペースで部屋で過ごしたり、気ままに家の周辺を散策したりする時間が、最高に贅沢ですね」

いつかは自然のある場所へ

東京での仕事やひとり暮らしを満喫する一方で、佐藤さんはずっとこの地で暮らしてゆくつもりはないという。

「やっぱり自然が恋しくなるんです。都会は刺激的ですが、どこかで演じているような気負いがありますね。『心の蛇口をぎゅっと締めている感じ』というか。

ある程度の年齢になったら、私はふわっと自分を解放して暮らしたいです。幼い頃から自然とつながっている感覚があって、それは鳥取のような自然豊かな土地で育ったからこそ得られた恩恵だと思っています」


観葉植物を育て、部屋に自然を取り込む。鉢を白で統一し、洗練された印象に(撮影:尾形文繁))

最終的に彼女が理想とするのは、自然に近い場所での生活だ。特に海のある場所や、四国や九州の暖かい地域に惹かれているという。

「夢は自分の事業を、自然に恵まれた土地で展開すること。今取り組んでいるブランディングデザインの仕事は、その夢の実現にきっと役立つと思います。

そして結婚という形でなくてもいいのですが、心が休まる土地でパートナーとなる誰かと一緒に暮らせたら最高ですね」

取材を受けた理由について、「きっと私のような女性は、東京にたくさんいると思うんです。だからこそ、そんな日常を記事として残してもらうのもいいのかなと思って」と、語ってくれた佐藤さん。

将来は誰かと暮らしたいと思っている人なら、ひとり暮らしは「仮の暮らし」のように感じるかもしれない。しかしそこで自分に向き合い、内面に培ったものは、未来にその人を支えてゆく軸となるはずだ。

佐藤さんの部屋は、望む未来を待ちつつも、二度とない“今”を大切に生きるための、柔らかに整えられた部屋だった。


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1Kの自宅で紡ぐ、私らしいひとり暮らし


家族から送られた梅を漬ける。新聞はその荷物に入っていたものを再利用し、存在を身近に感じて(撮影:尾形文繁)


アートは尊敬する起業家の企画展で購入した(撮影:尾形文繁)


リラックスタイムのためのアロマグッズは気分によって使い分ける(撮影:尾形文繁)


今も旅が好き。スーツケースは出張にも活躍する(撮影:尾形文繁)


調理器具を置くスペースが少ないので、上に積み上げるスタイル(撮影:尾形文繁)

【写真】にぎやかな子ども時代をへて、今は「ひとり暮らし」。そんな佐藤さんの暮らしの様子(12枚)

(蜂谷 智子 : ライター・編集者 編集プロダクションAsuamu主宰)