「ジュースが買えない」…落ち着いているように見える認知症の人々に潜む「実行機能障害」の恐ろしさとは
アメリカや中国でも講演実績のある「認知症講師」渡辺哲弘氏が、認知症患者の「行動のメカニズム」を解説します。認知症のお年寄りは、なぜ介護者を困らせるような「行動」をすることがあるのでしょう?
背景には、「周りに迷惑をかけたくない」、「みんなの役に立ちたい」、にもかかわらず、認知症の症状が邪魔をして周囲に迷惑をかけてしまうというジレンマがありました。
ケアの新たな指針となる渾身の書き下ろし『認知症の人は何を考えているのか』(渡辺哲弘著)より、介護のヒントになる部分を抜粋して紹介します。
『認知症の人は何を考えているのか』連載第15回
『すべては「記憶の失われ方」しだい…専門家が解き明かす「認知症の症状が人によって違うワケ」』より続く
記憶障害が引き起こすフリーズ
前回は認知症の方々の失敗のメカニズムについて触れましたが、ここで注意してほしいことが一つあります。認知症の人は「不可解な行動をする」のとは逆に、記憶障害のせいで「行動できない」場合もある、ということです。
一昔前、テレビで『ビューティフルレイン』というドラマが放送されました。若年性認知症の父親が主人公のストーリーです。俳優・豊川悦司さんが父親を、芦田愛菜さんが娘を演じていました。このドラマのなかに、こんな場面があります。
外出先で父親が娘に尋ねます。
「何か買ってきてやろうか?」
娘が「オレンジジュース」と答えたので、父親は、「じゃあ、ここで待ってろ」と娘に伝えて、自動販売機のほうへ向かいました。
自販機の前で立ち止まる
彼は若年性アルツハイマー病ですが、「自動販売機でジュースが買える」ということは理解できています。自動販売機の前に立った父親は、目的のものがあるかどうか探します。そしてオレンジジュースを見つけます。
続いて腕を伸ばして、指で自動販売機に触れるのですが、次の動作に移ることができません。不思議に思って近寄ってきた娘に、父親が聞きます。
「これ、どうやって買うんだっけ?」
そう、父親は、次の手順を忘れてしまったのです。しかし娘はあわてず、
「お金かして」
と言って硬貨を出してもらい、
「ここにお金を入れて……、オレンジジュースのボタンを押す」
と、声をかけて一つひとつ教えていきました。
父親は、自動販売機で飲み物が買えることはわかっていました。商品のなかから、どれが必要な物か判断することもできました。
でも、買い方がわからなかったのです。
これは手順がわからなくなる「実行機能障害」ですが、このとき娘が声をかけなかったら、父親は混乱して立ち尽くしたままになっていたかもしれません。
実行機能障害が起こると、周囲の人には、「認知症の人が落ち着いている」ように見えることがあります。
でも、それは表面上のこと。心のなかでは、
〈何をしていいかわからない〉
〈次、どうするんだっけ〉
などと困惑しているかもしれません。そしてそれは、本人にとってはとても苦しい状態なのです。
傍目からは分からない苦しみ
でも、内心どんなにつらい思いをしていても、周囲から見ると苦しそうには見えないこともあります。そんなところにも、認知症の人が抱える「生活のしづらさ」があります。
要介護度でいうと「1」くらいの、認知症がそれほど進んでいない人にも、実行機能障害が出ることがあります。そんな人が黙って椅子に座っているのを介護者が見て、
〈あの人、さっきからずーっと落ち着いてるよね〉
と喜ぶのか、
〈あの人、何したらいいかわからないから、座っているのかな〉
と気にかけるかによって、私たちの関わり方は大きく変わってきますし、その結果、本人の生活も大きく変わることになります。
「わからないなら、本人が誰かに尋ねればいいじゃないか」
そう考える人もいるでしょう。しかし、ここで認知症の中核症状のなかに「失語」、つまり言葉が出にくくなるという症状があったことを、あらためて思い出してください。
「わからないけど、その状態を表現する手段を忘れている」という可能性だってあるわけです。
もしかしたら、あなたのそばにも「認知症だけど落ち着いている人」がいるかもしれません。でもその人は、苦しい思いをしているのにそれを伝える手立てすら失っている─そういうことも考えられるのです。
だから放っておかず、私たちのほうから「関わる」のが大事なのです。
『物忘れした認知症の人にヒントを出すのはいい? 悪い?…症状を悪化させない「適切な関わり方」のポイント』へ続く