「E.T.ソックリの老婆が登場」....和歌山に残された、手練れの熟女だけが接客する「新地」で感じたこと

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関西にある「5新地」と言えば、「飛田新地」「松島新地」「信太山新地」「滝井新地」「今里新地」が挙げられる。飛田新地あたりは、実際に体験して快楽を味わったことのある男性諸氏も多いだろう。どの新地も大阪中心部から30分ほどで行くことができ、週末ともなれば縁日の様相となり男性客でごった返している。

この5新地とは別に「熟女しか在籍していない」新地があるのをご存知だろうか。今回は筆者が実際に体験した新地の実態を紹介しよう――。

詳細は筆者のチャンネル「パイナポー裏ch【アングラ探検家】」から

和歌山県に存在する裏「観光地」

大阪の天王寺駅から阪和線に乗り、電車に揺られること約1時間。和歌山県の中心地・和歌山駅から歩いて行ける距離にその新地は存在する。その名は「天王新地」だ。ちなみに、和歌山駅から一駅となりにある紀勢本線「紀和駅」からも歩いて行ける。

前提条件として、現在大阪近辺にある新地はどの新地も「若くて可愛い女の子と遊べる」場所である。新地によって顔見せの有無(など「信太山」と「今里」は顔見せなし)があるにせよ、「ハズレ」を掴むことはほぼないと言っていい。

だが、この天王新地は……。私も初めて訪れた際、あまりの光景に言葉を失ってしまった。

詳細は後述するとして、まずは天王新地の歴史について説明したいと思う。

天王新地はよく「遊郭」と記述されることがあるが、和歌山県は公娼制度に反対の立場を取っており、遊郭の設置を許可していない。そのため、厳密に言うと「遊郭」として指定された過去はない。実のところ、起源は私娼窟(公の許可を受けていない売春地帯)なのである。

営業を始めたのは昭和初期。手元の資料には昭和5(1930)年12月5日に設立されたと明記されている。設立当初の花代は1時間70銭。同じ時期の飛田が1円50銭だったことと比較すると、かなり安価で遊べたようである。

昔は新地周辺に中小の工場が密集していたため、労働者からの需要も大きかったそうだ。また、いまの紀和駅は昭和43(1968)年まで「和歌山駅」を名乗っており、天王新地があるあたりも人の流れが今よりもっと大きかったのだろう。昭和13(1938)年には40軒の店が軒を連ね、110人の娼婦がいたとの記録がある。

昭和33(1958)年の売春防止法施行を機に、全国の遊郭や赤線が廃業に追い込まれる中でも天王新地は細々と営業を続け、いまに至っている。

「もう仕方ない.... 最高齢の人にしよう」

さて、現在の天王新地に話を戻そう。

'23年夏、時刻は22時過ぎ。私は阪和線の紀伊中ノ島駅に降り立った。「青春18きっぷで行く西日本アングラ紀行」という私のYouTubeチャンネルの企画で、初日の潜入先に天王新地をチョイスしたのだ。

和歌山駅や紀和駅からも歩いて行ける距離にあるが、最寄駅と言えるのは阪和線の紀伊中之島駅である。歩くこと6〜7分。国道24号の土手に面して、その遊里は突如として現れる。

「天王料理組合」と書かれた、見ていて痛々しい朽ち果てたゲート。軒先から怪しげな光を発する娼家。異様な空気がその一帯を包んでいることを肌で感じ取ることができる。まるで結界が張られているようだ。一歩足を踏み入れるのにかなり躊躇するが、行かなければならない。

意を決して薄暗い新地の土手を降りていくと、右手に娼家が2軒。格子が張られた窓からは、満面の笑みでこちらに微笑みかけ手を振る推定40〜50歳ほどの女性が1人ずつ見える。

もう少し進んでみると、裏手にもう1軒。こちらにはもはや年齢不詳の女性が笑みも見せずに目を合わせてくる。傍には2匹の猫が見える。

飛田新地ならやり手婆をやっているぐらいのおばちゃん……いや、おばあちゃんだ。飛田のやり手婆の方がまだ年齢的には若いかもしれない。

現役で営業しているのは以上の3軒だ。これは……凄すぎる。熟女ばかりとは聞いていたものの、「1人ぐらいは惹かれる女性もいるだろう」と考えていた私が甘かった。

若くても40歳オーバー。しかも飛田新地の「妖怪通り」(熟女の店が多い通り)に座っているような綺麗な熟女ではない。このとき、新地内にいた客は私1人だけだった。

脇道に入って心を整える。写真や映像でしか見たことのなかった天王新地に初めて来れたことに興奮すると同時に、女性の見た目のインパクトに呆然とする自分がいる。

どうする。ここまで来て潜入しないのは許されない――。今日は天王新地に潜入するために東京から青春18きっぷで10時間かけてここまで来たのだ。でもあの選択肢から選ばなければならないのか……。

念のため、新地内をもう1周してみる。「もしかして女性が入れ替わって綺麗な人が座ってるかも……」という奇跡を願うも、配置された女性陣のメンツは変わらない。

もう仕方ない。どの女性に入ってもクオリティが変わらないなら、最高齢の(と思われる)人に入ってみよう。

E.T.にソックリの70歳の嬢

裏手にある1軒の店の軒先に立ち、息を整えて扉を開ける。こもった空気。猫の匂いが鼻をつく。出迎えてくれた嬢は、今度は満面の笑みだった。

「すいません、いけますか」

「いけるよ。40分1万円」

「わかりました。じゃあお願いします」

「ありがとうお兄ちゃん。部屋は2階やからついてきて」

建物は木造で、今にも床を踏み抜いて穴が空いてしまいそうなほどボロボロだ。急な階段を登ると、プレイルームとなる部屋が3つあった。

「私はお茶を用意してくるのでここで待っててください」

勘定を済ませ、嬢は一旦1階に降りて行った。部屋は8畳ほどの和室。新しくない布団が敷いてあり、机には灰皿が置いてある。ウエットティッシュやローションなどが入れてある小さな籠が置いてあるあたりは他の新地と同じだ。

天王新地が発足した当初から存在する建物かは定かではないが、そう言われても不思議ではないぐらい年季が入っている。この部屋で何百人の遊女と客が一瞬の逢瀬を楽しんだのだろうか。タバコを燻らせながらぼんやりとそんなことを考える。

初めてあの天王新地の店内に入った。その興奮がまだ冷めやらぬうちに嬢が冷たいお茶を持って戻ってきた。間近でみると年齢は70歳ぐらいだろうか。顔は「溶けている」という表現をせざるを得ず、皺が全体を覆っている。似ている芸能人でたとえると……思い浮かばない。

強いて言えば、宇宙人のE.T.に似ていた。

存外に気持ちいい

「どこから来たん?」

「東京から来ました」

「あら〜東京から。わざわざこんなところに(笑)」

「はい、こういうとこに行くのが趣味で(笑)」

「大阪なら飛田とかあるやろうに」

「1回来てみたかったんです、天王新地」

「変わり者やねえ……」

「でもすごいですよねこの建物も……。どのくらい前からある建物なんですか?」

「私が生まれる前から……多分天王が始まった時からあると思うよ。」

やはり。そのくらい年季の入っている建物なのだ。

「電気は全部消す?それとも豆電球にする?」

「豆電球でお願いします」

部屋の明かりが暗くなり、プレイスタート。全身リップからの乳首責め。ザラザラとした舌の表面は、嬢が重ねてきた年輪を感じさせた。

存外に気持ちいい。難なく海綿体に血液が集中してくる。そのテクニックから風俗の経験が相当長いことを確信する。

なんというか、ぎこちなさが微塵もないのだ。きっとこの新地で、数えきれないほどの人数の男を相手にしてきたのだろう。「歴史を感じさせるテクニック」とはまさにこのことだ。

一通り前戯が終わりいざ……というところで、驚くべき一言が発される。

熟女しか採用しない

「ゴムはつける?」

なんと、着けなくともOKとのこと。しかし、万が一のことを考えてゴム装着を選択した。スムーズな手つきで男性器にローションを塗られると、嬢の身体はゆっくりと私の身体へ沈んでいく。

薄暗い部屋で嬢は腰をくねらせる。メリハリのついた腰使いも文句なく気持ちいい。10分ほどで発射。高い技術を持った手練れの嬢との「交わり」も悪くない。

「お姉さんは天王新地で何年くらい働いてるの?」

「34年働いとるよ。この店の前は天王新地の別の店で働いとった。昔はそこの〇〇(今は風俗と無関係の施設)になったところにも店があってな」

「昔は天王新地ももっと店がいっぱいあって範囲も広かったでしょ?」

「そうやね。今は3店舗だけになってしまった。昔はお客さんもいっぱいいてねぇ。今の天王は熟女専門だから物好きしか来んよ」

「え、じゃあ熟女しか採用しないんだ」

「そうやね。あんまり若い子が来たら(採用を)断ることもある。若い子は大阪に出て飛田とか信太山とかの方がええやろ。ここで採用したら、客がその子に集中してしまうし」

「ちなみにお姉さんはいくつなの……?」と言いかけるが、失礼かと思いやめておく。

「宿はどこに取ってるん?」

「和歌山駅に取ってるよ」

「じゃあまだ電車あるね。和歌山なら歩いても帰れるで」

「何か和歌山っぽい夜飯あるかなぁ。和歌山、初めて来たもんで」

「和歌山ラーメン食べてみたら? 遅くまでやってる店があるから」

ラーメン屋の店名を教えてもらったところでタイマーが鳴った。

なぜ私が新地巡りをするのか

帰り際、別の部屋には客が入っていた。意外と客はついているようだ。

「ありがとう。和歌山来たときはまた寄ってや」

「うん。また来るよ。ありがとうね」

朽ち果てたゲートへ引き返す道すがら、他の2軒の店はまだ営業していた。さっきとは嬢のメンツが違うが、やはり遊ぶには躊躇するレベルの50歳前後の嬢が私に向けて笑顔を見せていた。

和歌山駅に戻る。教えてもらった店で和歌山ラーメンを啜り、ビールで喉を潤す。

やっと、あの天王新地で遊べた。あの寂れ具合ではもう10年後は存在しないかもしれない。紡がれてきた歴史を、少しだけ肌で感じることができた。

こういう裏風俗、公には認められていない風俗は、一旦滅びてしまうと街の「負の側面」として街の歴史から抹消されてしまう。いわば、黒歴史なのだ。

こうした形で「確かにここには新地があった」と、記録として残していくこともまた大事なのではないかと思う。

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