なぜ「真面目な学生」ほど就活で失敗してしまうのか

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わたしたちはいつまで金銭や時間など限りある「価値」を奪い合うのか。ベストセラー『世界は経営でできている』では、気鋭の経営学者が人生にころがる「経営の失敗」をユーモラスに語ります。

※本記事は岩尾俊兵『世界は経営でできている』から抜粋・編集したものです。

就職活動は三文芝居の笑えない喜劇で満ち溢れている。

しかもほとんどの就活生はそれを演じていることに気が付いてすらいない。

たとえば就職活動において数百社から無残にも入社をお断りされた悲劇的な就活生の話題は日常的に耳にする。だが、よくよくきいてみると、そして冷静に一歩引いてみると、そうした就活生は明らかな経営の失敗によってみずから悲劇的状況に陥っていることが分かるだろう。

しかも書類上の学歴・経歴が人一倍立派な就活生ほどこの罠にはまる。

こうした就活生は、まず、大抵において真面目である。だから日商簿記二級、英検準一級、普通自動車第一種運転免許、お洒落カフェ会員証くらいは持っていたりする。しかしいざ就職活動が始まって副ゼミ長と副部長まみれの(実に人口の半分が副ゼミ長・副部長経験者と思えるほどだ)有能アピール大会に参加しているうちに不安になる。

そこで「下手な鉄砲も数撃ちゃ当たる」方式で、五十社、百社と他の就活生の何倍もの数の企業に入社希望を出す。

するとひとつの企業の応募書類(志望理由、学生時代に力を入れたこと=通称ガクチカ、自己PRなどなど)にかける時間と労力が相対的に少なくなる。そのため、たとえその就活生が他者と同じ能力を持っていたとしても、出来上がった応募書類の出来栄えは当然ながらライバルたちの数分の一以下だ。

その結果これまた当然ながら書類審査で落選する。あるいは運よく面接に進めても、そこで改めて応募書類を読まれてその稚拙さに呆れられる結果となる。応募書類を使い回しすぎて貿易商社の志望理由に自動車製造企業の志望理由と同じことが書いてあったりするのだから、怒られないだけましだろう。

俺たちに明日はない?:何のためのランキング、何のための就職

こうしたマシンガン乱れ撃ち式就活では内定が出るかどうかはほとんど神頼み/ご祈祷状態である。

だからこうした就活生たちがめでたくお祈りの嵐を受けるのは「祈ったり」叶ったりというわけである(補足:就活生の間では入社お断りのメールに記載されている「今後のご活躍をお祈りいたします」といった定型文から、落選通知は「お祈り」と呼ばれている)。

さらに「就活時応募書類乱射型学生」の周りには、ほんの数社の入社試験しか受けない「三年寝太郎型の学生」がいるものだ。

こうした学生はさきほどと反対の論理で、実は一社当たりにかけている時間・労力が大きいという利点があることと、持ち前の図太い神経による何ともいえない大物感から案外にすぐ内定がもらえたりする。

すると「あの寝太郎でさえも○○に!」と、就活時応募書類乱射型学生の焦りはピークを迎える。

そうなってしまっては、悶々としながら寝太郎が受かった○○株式会社について「○○株式会社 年収」とか「○○株式会社 入社難易度」「○○株式会社 コネ」「○○株式会社 やばい」などと検索してみるが、そんなことでは焦燥感と劣等感は払拭できない。

就活時応募書類乱射型学生は、こうしてもう百社、もう二百社とさらに悪手を重ねてしまうわけである。

ここまでは一応は喜劇だが、就活生本人は笑えないだろう。それどころかこうした状況で自信を失ってしまい、正気でいられないかもしれない。日本ではなくアメリカだったら応募書類の乱射ではなく本当の銃乱射事件という悲劇につながっていた可能性さえある。

だがこれを読んでいる就活生は落ち着いて欲しい。

こうした就活生は決して能力が低いわけではなく、真面目ゆえに経営失敗の罠にかかっただけである。だからこそ経営思考を取り入れて「自分にとっての究極の目的は何で、そのためにはどんな就職をすべきか」を問いなおすだけでも就職活動をめぐる悲喜劇の大部分は回避できる。

経営思考が欠如した就職活動をおこなった場合、たとえ運よく有名企業に内定を得た学生であっても、それは悲劇の序幕に過ぎないということにもなりかねない。

たとえば、何の信憑性も根拠もない、ネット上にあふれる「入社難易度ランキング」を気にして、とにかくランキングの高い会社を目指すような場合である。こうした発想で、外資系コンサル、外資系投資銀行、政府系企業、シンクタンク、総合商社、テレビ局、広告代理店、出版社……といった企業を想定年収の高い順に受けていくような就活生は多い。

こうした企業への就職を希望する学生は、その実、大学受験的発想で入社ランキング上位企業に入って周囲に自慢したいだけのこともよくある。しかしそれでは内定は得られないため、仕方なくとってつけたような「志望理由」を創作する。

祖父母の教えと部活とゼミとインターンシップ経験とが統合されて「広告を通じて環境問題を解決する」という壮大かつ意味不明なビジョンに至ったなどと奇妙奇天烈なことを言い出す。これまで文学に興味のかけらもなかったはずなのに突如として創作に目覚めるようだ。

しかしこれには裏がある。こうした就活生は就職活動が上手くいった先輩の力を借りたり、場合によっては就活塾などに大金を支払ったりして、こうした志望理由を練りに練っているからだ。

不幸なことに、度重なる面接練習を通じて、志望理由錬成型就活生は偽りの志望理由を真実だと信じ込んでしまうようになる。

つづく「老後の人生を「成功する人」と「失敗する人」の意外な違い」では、なぜ定年後の人生で「大きな差」が出てしまうのか、なぜ老後の人生を幸せに過ごすには「経営思考」が必要なのか、深く掘り下げる。

老後の人生を「成功する人」と「失敗する人」の意外な違い