女性を大切に尊重するのではなく、むしろ檻に入れて閉じ込めてきた…女性差別を正当化してきた「伝統的な精神」

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来たる大統領選挙に向けて、騒がしさを増すアメリカ。2024年9月現在のアメリカ合衆国連邦最高裁判事は、共和党大統領指名の保守派が6人、民主党大統領指名のリベラル派が3人と、非常に偏った構成になっている。連邦最高裁判事の指名権は大統領にあるため、大統領選の結果次第でこの比率に大きな影響が出るとして、期待と緊張が増している。

さて、民主党大統領候補のカマラ・ハリス氏、そしてハリス氏を援護するオバマ元大統領夫妻が、深く敬愛していた判事がいる。史上2人目の女性最高裁判事、故ルース・ベイダー・ギンズバーグ氏(通称RBG)である。彼女は、有色人種への差別を肯定する最高裁の判決を法廷で痛烈に批判した。この反対意見から大きなムーブメントが起こり、RBGはアメリカでもっとも有名な判事となった。

法曹としてはもちろん、妻、母、上司としても素晴らしく魅力的だった彼女の人生を伝える評伝『NOTORIOUS RBG』の日本語版『アメリカ合衆国連邦最高裁判事 ルース・ベイダー・ギンズバーグの「悪名高き」生涯』 が、RBGの4回目の命日を迎えるこの9月に出版となる。本書の中から、RBGの若手時代を紹介する。

※本記事は『アメリカ合衆国連邦最高裁判事 ルース・ベイダー・ギンズバーグの「悪名高き」生涯』(光文社)から一部抜粋し、再構成したものです。

前回記事:『アメリカ合衆国憲法に描かれた「人民」には「女性」も含まれるはず…女性判事がこの考えを最高裁に認めさせるために「持ち込んだ事案」』

女性の権利プロジェクト(WRP)の誕生

発足当初、アメリカ自由人権協会(ACLU)の「女性の権利プロジェクト」から送られてくる郵便物には、らしくないロゴマークが入っていた。《プレイボーイ》誌のバニーのロゴだ。これは少なくとも一人の受取人をひどく憤慨させたようだけれど、じつはこの封筒はACLUの大口支援者である同誌の財団から贈られた現物寄付だった。

男女同権を訴える「女性の権利プロジェクト」(WRP)は、ACLU組織内の団体として、わずかな資金とともにスタートした。常勤職員の第一号となったのは、ハーバード大学ロースクールの卒業生で、フェミニストとして活動していたブレンダ・フェイゲン。足を使う仕事は、RBG(ルース・ベイダー・ギンズバーグ)のロースクールの教え子たちが手伝ってくれた。

そんな状況にもかかわらず、RBGはこのプロジェクトを通じて大きな目標を見据えていた。彼女はリード裁判に勝訴した直後に、その目標をACLU理事会に提案している。そして《プレイボーイ》誌の創業者ヒュー・ヘフナーと同じく意外なことに、アーウィン・グリズウォルドもまた、結果として思いがけず(非公式にではあるけれど)彼女のその目標を後押しすることとなった。

RBGが第十巡回区連邦控訴裁判所でのモーリッツ裁判に勝利したあと、国の訟務長官だったグリズウォルドは連邦最高裁に対し、連邦控訴裁の判決をくつがえすよう求めた。そうでないと、何百という連邦法が違憲ということになってしまう。彼は自分の主張を裏づけるため、当時はまだ一般には普及していなかったコンピューターを使って、男女を平等に扱っていない膨大な法規制すべてをリストアップさせ、「付録E」として提出したのだ。RBGはこの付録Eが何を意味するのか、瞬時に理解した。これは彼女たちが是正に向けて闘うべき法律をまとめた貴重な「標的リスト」にほかならないと。

この国には給与や雇用や教育の現場での差別を禁じる新たな法律がいくつも生まれていた。けれど、紙の上での約束だけではじゅうぶんとは言えないことを、RBGはよく理解していた。「社会、文化、法律に深く根差した性差別が蔓延している現状を考えれば、女性の機会均等に向けた道のりはまだ遠いと言えます」。一九七二年十月、「女性の権利プロジェクト(WRP)」の設立趣意書の中で、RBGはそう書いている。WRPが掲げるミッションは三つ。社会啓発と、法律の改正、そして全米のACLU現地支部を通じた訴訟活動だ。

平等を勝ち取るためには、多方面で攻勢をかけなくてはならない。たとえ連邦最高裁が(この時期ちょうど行われていた裁判で求められていたように)中絶を合憲と認めたとしても、「中絶手術を受けられる施設や中絶手術への医療手当といった面での多大な制約については、依然として異議を唱えていく必要があります」とRBGは書いている。

そのほかにWRPが優先的に取り組むのは、「自由意志により避妊する権利」(中産階級の白人女性は医師から避妊をしないよう言われることが多かった)と、「自由意志によらない避妊を拒否する権利」(有色人種の女性や「精神に障害がある」とされる人々は、そういう圧力にさらされてきた)を勝ち取ることだ。

RBGはさらに続けて、このプロジェクトは教育や研修の場での差別に加えて、住宅ローンやクレジットカード・ローン、家の借りにくさといった差別をも是正し、刑務所内や軍の女性に寄り添い、「少年院に入所する女子の性的乱交を理由とした差別的監禁」の問題にも取り組んでいくと綴る。また、妊娠した女性に対する差別が行われている施設についても追及していく、とした。

『ロマンティックな家父長制』的精神は女性を閉じ込める檻

一九七三年五月十四日、連邦最高裁は「フロンティエロ対リチャードソン」事件の判決を下した。RBGが初めて最高裁の法廷に立って弁論を行った、あの事件だ。形式的には、彼女は再び勝利を収めた。シャロン・フロンティエロの職務が家計におよぼす影響を、他の同僚の男性軍人よりも小さいものとして扱った軍の規定を、最高裁の判事たちは無効と判断したのだ。ウィリアム・ブレナン判事が読み上げた意見は、あたかも彼女たちの勝利を示しているかのようだった。

「伝統的に、こうした差別は『ロマンティックな家父長制』的精神によって正当化されてきた。これは実質上、女性を大切に尊重するのではなく、むしろ檻に入れて閉じ込める役割を果たしていた」、意見書の中で彼はこう書いている。まるでフェミニストの弁護士たちが言いたかったことそのままだ。けれど、過半数の五人の判事による賛成が得られなかったため、性別による区別のほとんどを違憲とするより広い判決には至らなかった。

唯一の反対票を投じたウィリアム・レンキスト判事は、《ロサンゼルス・タイムズ》紙にこう語っている。「わたしの妻は、男性優越主義者の豚野郎と結婚したという考えはとっくの昔に捨てていますよ。それに娘は、わたしのやることにこれっぽっちも注意を払わない」

RBGはこの裁判で、その後の人生でずっと彼女について回る教訓を得ることになる。RBGはけっして諦めずに、判事にものを教えようとした。でも、のちに彼女自身が認めるように、「人は一日で何かを学ぶことはありません。一般に、社会における変化とは徐々に起こるものだとわたしは思います。真の変化、永続的な変化は、一歩一歩少しずつ生じるのです」。

だから、彼女には忍耐が必要だった。戦略的に動くことも必要だった。そしてたぶん、「ときには少しばかり聞こえないふりをする」ことも。

世界を変えようと燃え立っていた同志のフェミニストたちは、ときおりRBGにそういう考えを促された。「彼女は、一歩ずつ法を整備していくべきだと訴えました」と、ACLUの弁護士だったキャスリーン・ペラティスは振り返っている。「『法廷には次の論理的ステップだけを示しましょう』と彼女は主張しました。そして、次へ、さらにその次へ、と少しずつ進めていくのです。『彼らにあまりたくさんのことを一度に求めないで。勝てるものも勝てなくなってしまう』とね。『この事案はまだ早いわ』と彼女はよく口にしました。わたしたちはたいてい、彼女の助言に従いました。そして、それに反して動いたときは、きまって敗訴したものです」

ギンズバーグ「教授」になる

当人は脚光を浴びたいとはあまり思っていなかったものの、RBGの名はしだいに世間に知られるようになっていった。「ギンズバーグはグロリア・スタイネムのような活力にも、ベティ・フリーダンのような荒々しさにも欠けている」と、ある学生評論家は評している。「彼女はたいてい髪を一つに束ねている。喋り方は平坦でたどたどしく、でも正確で明瞭だ。服装は保守的。

学生たちは仲間うちでは、彼女のことをまるで仲間の誰かのユダヤ人の伯母さんみたいに、ルーシーと呼んでいた。みんな彼女のことをたいして知らないのに、なんとなく親しみを感じている」。一方で、RBGの教え子の一人は授業評価アンケートの中で、彼女は「才気にあふれて」いて、「すばらしい教師」だけれど、「学生とは少し距離があって」「とても控えめな人」だと書いている。

九年前にRBGをラトガース大学に走らせたコロンビア大学も、一九七二年にはついに彼女の価値を認めることになった。RBGの母校でもある同校は、彼女に終身在職権をもつ初の女性教授になるチャンスを提示したのだ。RBGは、ACLUの仕事に時間を割いてよいという了解を得たうえで、その申し出を受け入れる。《ニューヨーク・タイムズ》紙に掲載された記事によれば、コロンビア大学は「大手柄を立てた。同校のロースクールは、ある女性に終身教授の職を打診し、その女性を獲得できたことに喜びを隠さない」。

なにしろロースクールの学部長が語るところによれば、「ミセス・ギンズバーグ」は同校がこれまで百十四年にわたって拒否してきた女性たちとは違って、たしかにそれだけの資質がある、と記事は伝えている(ちなみにRBGは記事が公開されたあと、記者に手紙を送ってこう書いている。「わたしが一点気になるのは、《ニューヨーク・タイムズ》紙は『ミズ(Ms.)』の使用を認めていないのかという点です」)。

記事の中で、RBGは驚くほど遠慮のないトーンでこう語っている。「わたしにとって唯一の制約は時間です。彼らの望むとおりに自分の活動を縮小するつもりはありません」。ここでいう彼らとは、他の教職員や大学事務局のことのようだ。「でも、おそらく問題は起こらないでしょう」と、彼女はしばらくして付け加えた。「たぶんみんな外面上は感じよく接してくれます。なかにはわたしの活動に不満をもつ人もいるでしょうが、表には出さないでしょう」

たしかに不満をもつ人も一部にはいた。でも、コロンビア大学の女性たちはRBGを待ちわびていた。着任するやいなや、女性たちは不満を伝えるために続々とRBGにコンタクトを取りはじめた。知っていますか?

コロンビア大学では妊娠出産が保険でカバーされないんです。それに女性は給与も年金も男性より低い額しかもらえません―。そうと知ったからには、RBGは大学の女性教師や女性事務員を代表して集団訴訟を起こす手助けに立ち上がった。原告として百名が名を連ねたその訴訟は、勝訴に終わる。

RBGの強い姿勢

また、こんな話も持ち込まれた。大学側は二十人の作業員を解雇しようとしているが、その全員が女性で、男性の作業員は一人もいないというのだ。「これらの女性たちを支える動きが大学内に存在することを目に見える形で示すことが、解雇を防ぐうえで希望になると我々は考えています」、作業員たちのために動いていた活動家はそう書いている。解雇されようとしている作業員たちは、大半が有色人種の女性だった。

RBGはコロンビア大学長に宛てた手紙の中で、この解雇を「深刻かつ大きな代償をもたらす過ち」だとして、「連邦レベルの訴訟に発展しうる道を避ける」ように求めた。この件について念押しするためミーティングにも足を運んだ。さらには、ACLUのニューヨーク支部にも応援を頼んだのだが、これに憤慨したのがコロンビア大学の法学教授ウォルター・ゲルホーンだった。

ゲルホーンはRBGがラトガース大学で職を得られるよう手助けしてくれた人物でもある。ACLUの「ジェントルマン諸氏」に宛てた手紙の中で、ゲルホーンはコロンビア大学に性差別があるという非難はあまりにも性急だと訴えた(RBGはその手紙の余白に怒りを込めてこう走り書きしている。「彼はこの件の本質を見誤っている。とんでもない!!!」)。

ゲルホーンはさらにこう続ける。「目下の出来事」に、わたしはACLUが「時期尚早に騒ぎを起こす傾向があまりにも強すぎる」のではと危惧しております―。「マンスプレイニング(男性から女性への上から目線の説教)」という言葉が生まれるのがまだ数十年先なのが、おしいところだ。でも結局、作業員は女性も男性も一人も解雇されなかった。

RBGはたしかに終身在職権をもった教授だけれど、だからといって必ずしもこれらの闘いを引き受ける義務はなかったはずだ。特に、彼女がその職にあること自体を一部の同僚たちから疑問視されている状況では、なおさら。「彼女がこの大学にいることに、一種の反感はたしかにありました。それに、その職を得たのも、女性を雇うよう大学に圧力がかかっていたからという、ただそれだけの話だという見方もありました」、そう振り返るのはコロンビア大学ロースクールの学生でRBGの教え子だったダイアン・ジマーマンだ。

RBGは、「アファーマティブ・アクション(積極的差別是正措置)」という言葉を一部の人々がまるで侮辱のように使っていることを知っていた。「しかし、そうでない人たちは―」、彼女はのちに書いている。「『消極的差別』の時代はようやく終わったのだと知っています」

次回記事『「「セックスの代償を払え」と迫られるのは女性だけ…妊娠した女性軍人が迫られた「退役か中絶か」という選択』へ続く。

「セックスの代償を払え」と迫られるのは女性だけ…妊娠した女性軍人が迫られた「退役か中絶か」という選択