最高裁に初めて「性差別を違法と判断」させたルース・ベイダー・ギンズバーグ判事の戦い方

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来たる大統領選挙に向けて、騒がしさを増すアメリカ。2024年9月現在のアメリカ合衆国連邦最高裁判事は、共和党大統領指名の保守派が6人、民主党大統領指名のリベラル派が3人と、非常に偏った構成になっている。連邦最高裁判事の指名権は大統領にあるため、大統領選の結果次第でこの比率に大きな影響が出るとして、期待と緊張が増している。

さて、民主党大統領候補のカマラ・ハリス氏、そしてハリス氏を援護するオバマ元大統領夫妻が、深く敬愛していた判事がいる。史上2人目の女性最高裁判事、故ルース・ベイダー・ギンズバーグ氏(通称RBG)である。彼女は、有色人種への差別を肯定する最高裁の判決を法廷で痛烈に批判した。この反対意見から大きなムーブメントが起こり、RBGはアメリカでもっとも有名な判事となった。

法曹としてはもちろん、妻、母、上司としても素晴らしく魅力的だった彼女の人生を伝える評伝『NOTORIOUS RBG』の日本語版『アメリカ合衆国連邦最高裁判事 ルース・ベイダー・ギンズバーグの「悪名高き」生涯』 が、RBGの4回目の命日を迎えるこの9月に出版となる。本書の中から、RBGの若手時代を紹介する。

※本記事は『アメリカ合衆国連邦最高裁判事 ルース・ベイダー・ギンズバーグの「悪名高き」生涯』(光文社)から一部抜粋し、再構成したものです。

前回記事:『「土地は女性と同じく、所有されるべきものである」…かつてアメリカの教科書に当たり前のように書かれていた「衝撃の一文」』

潜む差別

一九七一年八月二十日、ニュージャージー州スプリングフィールドで働くある郵便配達員の女性から、アメリカ自由人権協会(ACLU)のニュージャージー支部にこんな手紙が届いた。彼女は男性配達員と同じ帽子をかぶるのを拒否されたという。

「女性配達員用の帽子はベレー帽か円筒形の帽子で、男性用のようにバッチをつけられません」、手紙の主であるレイニー・カプランはそう訴えた。「それに、男性配達員の帽子はつば付きで日差しが目に入りませんが、女性用のものにはつばが付いていません」

RBG(ルース・ベイダー・ギンズバーグ)はそのころ、次学期からハーバード大学ロースクールで講義をすることになっていた。さまざまな訴訟に携わり最高裁判所に上訴する活動も始めたころだ。それでも、差別の事案に大小はない。

「業務遂行を円滑化するであろう機能面の特質を犠牲にしてまで、かぶり物によって女性郵便配達員の性別を識別するよう要求することは、きわめて専断的であるように思われる」、RBGは郵政長官に送った書面の中でそう書いている。長官にしてみれば、思いもよらない方向からの攻撃にさぞ驚いたことだろう。

インパクトのある手紙一通を取り上げて、そこに書かれた差別一つと闘っても、それは大海の水を指ぬきですくうようなものだ。RBGはそのことをよく理解していた。どんなに闘っても、倒すべき性差別的な法律や規定は次々と現れる。女性の権利のために闘うには、もっと大きな規模でものを考えなくてはいけない。この国に必要なのは、男女の平等についてもっと広く認識してもらうことだ。たとえそれが帽子をめぐる事案だろうと連邦法をめぐる事案だろうと、そこに大小はない。

女性だって「人民」に含まれる

過去数十年にわたって、一部のフェミニストは憲法に男女平等権に関する修正条項を加えることが問題の解決につながると訴えてきた。「法の下の平等の権利は、アメリカ合衆国またはいかなる州においても、性別を理由にこれを否定したり制限したりしてはならない」とするものだ。男女平等憲法修正条項(ERA)として知られるこの条項は、一九二三年から毎会期、議会に提出されては委員会で否決されてきた。

でもRBGは、答えはすでに憲法に書かれているんじゃないかと思っていた。憲法前文は「我ら合衆国の人民は……」という一文で始まる。そして、たとえ長年その運命をフルに生き抜くことを妨げられてきたとはいえ、女性だって「人民」に含まれるのだ。それならば女性だって、憲法修正第十四条が定める法の下の平等な保護が受けられて当然じゃないか?

問題は、最高裁判事の少なくとも五人にどうやって彼女と同じ憲法解釈をしてもらうかだった。一九七〇年代前半、女性の役割はほぼあらゆる場所で根本的に変わりはじめていたけれど、法廷は例外だった。でも、ふさわしい事案を最高裁に持ち込めれば、判事たちの考えも変わるのでは―?

RBGはある日の夜も、いつものように寝室で仕事をしながら、そんなふうに戦略をめぐらしていた。そこに、居間で仕事をしている(夫の)マーティーが呼ぶ声がした。「こいつはきみも読んだほうがいい」。RBGはこう応じた。「わたしは租税法の事案は読まないの」。でも結局、これについては読んでおいてよかったと、彼女はのちに思うことになる。

チャールズ・E・モーリッツは巡回販売員で、八九歳になる母親とコロラド州デンバーで暮らしていた。仕事に出ているあいだはお金を払って看護師に来てもらい、母親の世話を頼んでいた。問題が起きたのは、要介護の親族がいる場合に受けられる税額控除を申請しようとしたときだった。内国歳入庁の規定では、この控除が受けられるのは女性か寡夫、または介護に従事できない妻をもつ夫に限られていて、未婚男性であるモーリッツは対象外だったのだ。どうやら、独り身の男性が介護になんらかの責任を負うかもしれないという可能性は、政府の頭には浮かばなかったらしい。RBGは満面の笑みで言った。「やりましょう」。こうして、彼女とマーティーは初めて仕事上でタッグを組んだのだ。

モーリッツの事案は一見そこまで大きなものじゃない。彼が拒まれた控除額はわずか六百ドルだ。それに、女性に対するひどい差別とも無縁に見える。でも、マーティーとRBGはそのさらに一歩先を見越していた。政府は不合理にも純粋に性別だけを理由に、ある人に利益を与えることを拒絶したのだ。このことが誤りだと法廷で認められれば、それが先例となって、より広く男女平等が認められる道が開けるはずだ。

RBGはサマーキャンプ以来の古い友人でもあるACLU全米法務部長のメルビン・ウルフに連絡をとって、サポートを頼んだ。ウルフは二人を支援することに同意する。彼はのちに著作家のフレッド・ストレビーに対して、RBGがニュージャージー界隈で「女性の権利のために泥くさい仕事をしていた」のは知っていたと語っている。そんな彼女を自分は「暗がりから表舞台に引っぱり上げ」ようと思ったのだと、とウルフは誇らしげに言う。彼女を連邦最高裁に導く手助けをしたのは自分だ、と。

「生物学的な差異が当該の行為になんら関係がない場合」

ギンズバーグ夫妻が準備した弁論趣意書には、「生物学的な差異が当該の行為になんら関係がない場合」、州政府は男女を区別することはできないと書かれている。RBGはこの趣意書をウルフに送った。ACLUが最近、ある事案について連邦最高裁判所への上訴を引き受けたのを知っていたからだ。それは、不動産の管理に関して女性よりも男性を優先したアイダホ州の法律をめぐる裁判だった。

原告サリー・リードの夫は家族を虐待し、彼らを捨てて家を出ていった。それなのに息子が自殺したとき、息子が所有していたわずかばかりの有形資産を正式に引き継ぐべきとされたのは、サリーではなく夫だった。理由はただ単に、彼が男だったからだ。それが法律の規定だった。RBGは、この「リード対リード」事件とモーリッツ事件を対にすることで、性差別はすべての人に害をもたらすのだということを示せると考えた。

「これの一部は『リード対リード』事件にも有用なはずです」。一九七一年四月六日、モーリッツ事件の趣意書を同封したウルフ宛ての手紙の中で、RBGはそう書いている。そして、続けてこう持ちかけた。「この件には女性の共同弁護士を参加させるのが適切だと思いませんか??」。RBGが自分のことを「女性だから」という理由で誰かに売り込むのは、めったにないことだ。でも連邦最高裁で扱われる裁判に加われるとなれば、それだけの価値はある。

それから何年もあとになって、当時のことを再び振り返ったウルフはストレビーにこう語っている。「くそ、彼女を表舞台に引っぱり上げたのは、わたしじゃなかったのかもしれない。たぶん彼女は、自分で自分を暗がりから表舞台に引っぱり上げたんだ」

彼は正しかった。ウルフはRBGに、サリー・リードの事件を連邦最高裁に上訴するうえで、彼女の助けがあればありがたいと伝えた。

最高裁が無視する「性区分」

「リード対リード」裁判のゆくえには多くのものがかかっていた。連邦最高裁は過去、女性を二級市民として扱う法律を認める判決をいくつも出してきた。そうした過去の自らの判例を最高裁にくつがえさせることができなければ、リード事件は悪法のさらなる強化につながってしまう。

わずか十年前の一九六一年には、グウェンドリン・ホイトという女性が夫を殺害した罪で起訴された。彼女は、男性のみから成る陪審員団に裁かれて有罪判決を受けたことに異議を申し立てる。

当時フロリダ州では、男性には陪審参加義務があったが、女性は自ら登録しないかぎりその義務を免除されていた。つまり女性の陪審参加は「ついで扱い」されていたわけだが、判事はこれをまったく問題なしとして、その理由を「女性は依然として家庭と家庭生活の中心と考えられている」からとした。

このホイト事件判決は、最高裁が一九四八年から一向に進歩していないことを如実に示していた。一九四八年、フェリックス・フランクファーター判事―RBGを調査官として雇うのを拒んだ、あの判事だ―は、女性に自由にバーテンダーとして働くことを認めれば、「倫理的、社会的な問題が増加する」可能性があると厳かに認定したのだ。

時はさかのぼってロースクール時代、RBGは夏のあいだにアルバイトをしていたポール・ワイス法律事務所で、パウリ・マレーという名の女性弁護士と出会っていた。人種と性別はまったく別のカテゴリーだという見方が大半だった時代に、マレーは黒人女性として活動していた。彼女が男性中心だと批判していた公民権運動と、女性の権利を訴えながら人種に対しては無知だった多くの活動家たち。

マレーはこの両者の橋渡しをする活動に情熱を傾けた。新たな地平に足を踏み入れるよう法廷に訴えたのはRBGだけれど、マレーは彼女より一足早く、その最初の一歩を歩み出していたのだ。

マレーは一九六一年にはすでに、憲法修正第十四条の平等保護条項そのものが、女性を法による制約から解放する力になるのではないかと考えていた。ACLUの同僚だった弁護士のドロシー・ケニヨンとともに、マレーはホイト事件の判例をくつがえす方法を模索していく。彼女が一九六五年に共同執筆した『Jane Crow and the Law(女性差別と法)』という論文を、RBGはラトガース大学でのシラバスに挙げている。

RBGの戦い方

この論文が刊行された翌年、マレーとケニヨンは、人種と性別は互いに並行し交わっているという自らの理論を実践に移そうと試みた。アラバマ州で投票権活動家二名が殺害された事件で、白人男性のみから成る陪審員が犯人を無罪としたことに対して、異議を申し立てたのだ。マレーたちは勝訴したものの、アラバマ州がこの件を連邦最高裁に上訴しなかったため、話はここで終わりになってしまった。

RBGは自らが手がけ、のちに世に広く知られることになる「リード対リード」事件の弁論趣意書のいたるところで、マレーの言葉を引用している。さらに、シモーヌ・ド・ボーヴォワールや、詩人のアルフレッド・テニスン、社会学者のグンナー・ミュルダールにも触れていて、これは趣意書としてはかなり異例のことだ。RBGはフェミニストであるロースクールの学生たちの助けも借りて、この趣意書を書き上げた。世界は変わったのに、法はかつての日々のまま取り残されている。彼女の趣意書は、そのことを指し示すものだった。

できあがった趣意書を最高裁に提出する前に、RBGは表紙の作成者名のところに二つの名前を書き加えた。ドロシー・ケニヨンと、パウリ・マレー。自分が「彼女たちの偉業を拠りどころとした」ことを明確に示したかったのだと、RBGはのちに語っている。

「そいつはどうかと思うよ」、当時ACLUの同僚だったバート・ニューボーンは彼女にそう苦言を呈したのを覚えている。それは「規定への冒涜」だと彼は言った。

「かまいません」、RBGは答えた。「彼女たちの功績は認められてしかるべきです」。RBGは後年、自分の仕事はケニヨンとマレーが切り拓いた道を引き継いだだけのことなのだと、くりかえし語っている。ただ時代がようやく、その声を聞こうとしはじめただけなのだと。

一九七一年十一月二十二日、RBGは読んでいた本からふと顔を上げた。ぐったり疲れて、電車で帰路についていたときのことだ。近くの男性が手にしていた新聞が目にとまる。「最高裁、性差別を違法と判断」という見出しが《ニューヨーク・ポスト》紙の一面を飾っていた。―正確にはちょっと違うことを、その後ようやく法廷意見を確認した彼女は知ることになる。

法廷はたしかにサリー・リードを勝訴とした。最高裁は初めて、男女を不平等に扱う法律を無効と判断したのだ。それは画期的なことだった。ただし、その判決がおよぶ範囲はあいまいで、法廷がより広範な規定を示すことはなかった。RBGの闘いは、まだ始まったばかりだった。

次回記事『女性を大切に尊重するのではなく、むしろ檻に入れて閉じ込めてきた…女性差別を正当化してきた「伝統的な精神」』へ続く。

女性を大切に尊重するのではなく、むしろ檻に入れて閉じ込めてきた…女性差別を正当化してきた「伝統的な精神」