《石丸現象の仕掛け人》ドトールコーヒー鳥羽会長が初めて明かした…「石丸伸二という男」が残した功績と課題、そして今後

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前編記事『「高市早苗じゃないと日本は終わります」石丸伸二応援団長・ドトールコーヒー鳥羽会長が、自民党総裁選で「保守のプリンセス」を応援する理由』でも紹介したように、今月27日に投開票を迎える自民党総裁選への関心が日に日に高まっている。

すべては一通の手紙から始まった

より広い層で政治への関心が高まるきっかけになったのが、7月7日に投開票が行われた東京都知事選だ。全国的には無名の存在だった前安芸高田市長・石丸伸二氏(42歳)だが、選挙戦が始まると、街頭演説を重ねて無党派層などを取り込み、小池百合子氏の対抗馬とみられた蓮舫氏を抜き去る健闘を見せた。

この大躍進の背景には、インターネットの力に加え、経験豊富な支援者のバックアップがあったが、その中心的役割を果たしたのがドトールコーヒー創業者の鳥羽博道氏(87歳)だ。都知事選の熱狂から約3ヵ月、鳥羽氏が「石丸現象」を初めて振り返った――。

「石丸さんの存在を知ったのは動画です。すぐに『あっ、この人だ』と思い、都知事選に出るという話を受け、5月下旬に『あなたこそ日本を変えられる人だ。ぜひ会いたい』と手紙を書いて安芸高田市役所に送りました。内容は『あなたが勝てば政治は変わる。応援しているから頑張れ』というものです。

6月初旬に上京した石丸さんと会いましたが、期待通りの人物であり、住む場所の面倒もみてあげようと思いましたが、彼はウィークリーマンションで大丈夫とのことでした。

許されるのであればいくらでも献金したいという思いでした。ただ、経験豊富な友人から『政治家を応援するのであれば弁護士に相談したほうがいい』とのアドバイスがありました。弁護士によると、個人献金は150万円を越えてはいけないという。そこで、個人から出せる範囲の上限である150万円だけ寄付しました。

一切見返りは求めなかった

「経営者が政治家を応援する際、好き嫌いに加えて損得の問題が出てきます。しかし、私が石丸さんを応援した理由は『石丸さんであれば日本を変えられるかもしれない』という期待だけです。

実際、手紙にも『一切見返りを求めるものではない』と書きましたし、石丸さん本人にも『私の名前は伏せてほしい。名前が出るのは恥ずかしい』とお願いしました。結局、選挙戦が進むと、メディアに私の名前が出てしまいましたが、私はあくまで応援団であり、できるだけ目立ちたくないのが本音でした」

鳥羽氏は惜しみなく石丸氏をバックアップした。鳥羽氏の「選挙参謀を引き受けてほしい」との依頼を受け、「選挙の神様」の異名を持つ選挙プランナーの藤川晋之助氏が陣営に加わり、やがて石丸旋風を巻き起こした。

「これまで政治に無関心だった人たちが投票に行きました。日本が変わる可能性を示した。石丸さんがやり遂げたことは大きな意味があったと思います」

予想を大きく上回る大躍進の一方で、陣営内部のゴタゴタも漏れ伝わってきた。全国紙政治部記者が話す。

「藤川氏の依頼で小田全宏氏が選挙対策本部長のポストに就き、選挙戦の中盤からはKDDIの前身である第二電電共同創業者の千本倖生氏、政財界だけでなくスポーツ界や芸能界に至るまで数多くの信奉者を持つ陽明学者の行徳哲男氏も応援団に加わりました。しかし彼らは、礼を欠く石丸氏の言動に腹を立て、選挙戦の終盤から『今後は関わりたくない』と態度を一変させました」

「誰しも若いときは完全ではない」

鳥羽氏は、陣営が一枚岩ではなかったことを認めつつ、次のように話した。

「石丸さんに対して怒っている人がいるのも確かです。お礼がないのは許せん。その気持ちもわかりますが、それをいつまでも言っていても仕方がない。

誰しも若いときは完全ではありません。まさに清濁併せ呑む。我々年長者はこれからの人物の足りない部分も容認してあげないといけません。足りない部分を非難するのではなく、むしろ何らかの形で石丸さんに教えてあげる器量を持つべきだと思います。

人間は失敗をしないとわかりません。私自身もそうでした。会社を設立して2年が経った頃、私がまだ20代の頃の痛い経験です。事業が軌道に乗るにつれ、私は『僕はこの若さでこれだけのことができるのに』と思うようになり、世間の大人がバカに見えてきました。

当時はコーヒー豆の卸をしていましたが、日銭の入る喫茶店を開こうと考えていました。あるとき、条件にピッタリのテナントが売りに出されており、友人知人から750万円の借金をしました。ところが、店舗の受け渡しを目前にして、相手方から契約違反をでっち上げられ、750万円を騙し取られてしまった。

当時の私にとっては生きるか死ぬかの問題であり、何とかして750万円を取り戻さないといけなかった。私は相手の家に押しかけ、『金を返せ』と詰め寄りましたが、私の形相がすごかったのでしょう。相手方はパトカーを呼び、私は逮捕されてしまいました。

この一件で、どんなにうまくいっているときでも決して驕ってはならないと悟りました。これ以来、自分が思い上がりそうになると、『また落ちるぞ』と言い聞かせたものです。

同時に、世間の大人に対する見方が変わりました。大人というものは、自分に降りかかる火の粉を未然に振り払う知恵を持っているものだと理解しました。また、どんな職業であっても、収支が合った生活をしている人はえらく見えてきました」

挫折がないと「情」は生まれない

鳥羽氏は「石丸さんの姿は若い頃の自分と重なります」と話す。

「石丸さんは挫折の経験がない。普通の家庭に生まれ、学歴もある。三菱UFJ銀行でも活躍した。それは立派なことですが、貧乏をはじめ苦労しないと育たないものもあります。そのひとつが情です。

あの人も何らかの形で挫折をしたとき、周囲の見え方が変わり、情も芽生えてくると思います。問題はいつ挫折があるかですね。それを乗り越えたとき、さらに魅力的な人間になるのではないか。やがて一皮むけるときが来ると思います。

のちに石丸さんから『鳥羽会長からの一通の手紙からすべてが始まりました。ありがとうございます』というお礼のメールが来ました。手紙に勇気づけられたようです。彼は新しい流れを作りましたが、それが私の手紙から始まったのであれば、私としてもこれ以上の喜びはありません。今後にも期待をしていますよ」

石丸氏は都知事選後、国政進出や「石丸新党」の可能性も示唆し、さらには維新の会への接近も注目された。しかし、現状では具体的な動きを見せていない。

「最終的には石丸新党を結成するのではないか。たとえば東京を拠点とする政党を立ち上げ、都議や区議を公募すれば、手を挙げる人はいくらでもいるでしょう。問題は石丸さん自身がどういう立場になるのか。藤川さんは『国会の勉強をしておいたほうがいい』とアドバイスしておりましたが、本人がどう思っているのか。彼は独特の考え方を持っていますから。いずれにしても遅かれ早かれ出番が来るでしょう。そのときに備えて地元の安芸高田市で勉強しているようです。

シンガポール建国の父から学ぶべきこと

「私は建国以来約40年の歳月で一人当たりGDPが日本を越えたシンガポールの建国の父である故リー・クアンユー氏を尊敬しています。

私は20歳から3年間、ブラジルのコーヒー農園で働きましたが、帰国途上で見たシンガポールはまだ貧しい港町でした。ところが、『ルック・イースト』と標榜して日本を見習い、40年で日本を越えました。国家というものは、一人の優れた指導者により繫栄し、また一人の指導者によって滅びます。

石丸さんには常々『ルック・シンガポール』と伝えており、先日もシンガポール関係の本を安芸高田市の自宅に送りました。リー・クアンユー氏から学ぶことは多くあります。

たとえば移民政策です。シンガポールの政策は問題を起こしていません。それはセレクトしているからです。簡単には国民にしないが、豊かにしてから国に帰らせています。一方、日本はどうか。農業の現場などでは研修生が奴隷のように扱われています。これでは尊敬される国にはなれません。

石丸さんはもともとリー・クアンユー氏を尊敬しています。だからこそ人口減や福祉の行き詰まりだけではなく成長についても考えてほしい。たとえば麻布台ヒルズを国が買い上げ、世界中の頭脳を日本に集めて新たな産業を興す。政治家にはそうした大胆な発想を持ってほしい。石丸さんには従来の政治家にはできなかったことを実現させる可能性があると考えています」

じつは、鳥羽氏が応援している政治家は石丸氏と高市氏だけではない。

後編記事『「『週刊文春』の記事は事実と違う」ユニクロ柳井正会長&石丸伸二《極秘会談》発起人が初めて明かした「真相」…ドトールコーヒー鳥羽会長が語る「経営者と政治との距離感」』では、政治家を応援する理由について聞いています。

「『週刊文春』の記事は事実と違う」ユニクロ柳井正会長&石丸伸二《極秘会談》発起人が初めて明かした「真相」…ドトールコーヒー鳥羽会長が語る「経営者と政治との距離感」