いまもその名を残す偉大な数学者の「唖然とする人間性」…「口八丁、手八丁の弟子」と組んでパクった「数学史上に輝く大発見」

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9月24日は、代数学の三次方程式における「カルダノの公式」を示し、虚数の概念を提唱した数学者として知られるジェラルモ・カルダノ(1501〜1576)の誕生した日と言われています。

レオナルド・ダ・ヴィンチの友人で数学の才能に恵まれた弁護士の私生児として、ミラノで生まれたと言われます。パヴィア大学に入学して医学を学び、さらにパドヴァ大学へと移り薬学を修めました。

パヴィア大学の医学教授をつとめた医学者で、医学や薬学のほかに、数学、哲学にも広く通じた万能の人として知られており、ギャンブルに関する確率論から、はては占星術についてまで研究していたそうです。

カルダノの著した『アルス・マグナ』(大いなる技法)には、三次方程式の根の公式、四次方程式の解法が紹介されており、のちの数学に大きな影響を残しました。

このことから、ニコラウス・コペルニクス(1473〜1543)の『天体の回転について』、アンドレアス・ヴェサリウス(1514〜1564)の『人体の構造』とならんで、「ルネッサンス期の三大科学書」と言われています。

カルダノの、数学上の主要な功績である三次方程式、四次方程式の解法や公式に関する研究は、彼の弟子であるニコロ・フォンタナ・タルタリアが大きな役割を演じますが、その様が、現在大好評の『はじめてのガロア 数学が苦手でもわかる天才の発想』で、じつに生き生きと描かれています。ご紹介しましょう。

※この記事は、『はじめてのガロア 数学が苦手でもわかる天才の発想』の内容を再構成・再編集してお届けします。

魔法の呪文「3次方程式の解法」をめぐる決闘事件

2次方程式の解の公式は広く知られていたが、3次方程式の完全な解法はまだ発見されていなかった16世紀のイタリア。ペルシャの詩人オマル・ハイヤームなどに由来する3次方程式の解法が、アラビア伝来の秘術としてひそかに伝えられていた。これらの秘術は、韻文、つまり詩のかたちで口伝されていた。

この科学と魔法が渾然一体とした時代、一般の人にとって、3次方程式の解法などは、

魔法の呪文そのものだった。

そのような時代、ボローニャ大学で代数や幾何学を教えていたデル・フェッロという数学者がいた。彼は、その数学術を弟子フィオレに伝えた。フェッロの死後、アラビア伝来の秘術、3次方程式の解法を習得していると噂されていたフィオレは、ある数学師を挑発したことが発端となって、数学決闘に及ぶことになった。

名門ボローニャ大学の数学者フェッロの弟子であるフィオレが数学決闘で、独学で数学を修め、ようやく名が知られるようになっていた数学師ニコロ・フォンタナに惨敗した経緯は、以前の記事で紹介した。

フィオレとの数学決闘に勝利し、名声の上がったフォンタナの周りには、多くの数学師が集まり、さまざまな甘言を弄して、3次方程式の秘術を教えてほしいと懇願した。

フォンタナに近づく大学教授

フォンタナに秘術を教えてくれと懇願した男たちの中に、カルダノというパドヴァ大学の医学の教授がいた。

カルダノという人物、21世紀に生きているわたしたちにはちょっと理解しがたい、規格はずれの男だった。

まず、優秀な医者であったことは間違いない。顕官(けんかん)貴族の病気を治療したりして、かなりの名声を得ていた。海を越えて、遠くイギリスにまで治療に行ったこともある。医学においても、有用なさまざまな発見をしている。

科学や技術にも関心を持っていて、後世に残るような発明もしている。そして、数学者としても歴史に残る人物だ。

そして、同時に、高名な占星術師でもあった。

占星術師でもあったカルダノ

当時の占星術は、原理は現代も同じだが、誕生時の星位図(ホロスコープ)を作成して、その人の運命を予言した。ホロスコープは、最新の数学と最高水準の天文学の知識がなくては作成できない。

当時の占星術について調べていてわたしは、昔読んだマンガの一場面を思い出してしまった。

ファンタジー世界に住む主人公が、天気予報がまるで当たらないことに腹を立て、気象庁に乗り込む。気象庁では多くの職員が、寝る時間をも削りながら懸命に働いていた。職員たちは必死になって集めた科学的なデータを、いくつかの壺(つぼ)に入れて、ゴジラのような奇怪な生物にお伺いを立てる。結局、その生物がどの壺を選ぶかによって、天気予報を決定していたのだ。

客観的で科学的なデータの収集と、荒唐無稽なご託宣、まさに当時の占星術がそれだった。科学的な計算にもとづく精密なホロスコープを作成しながら、最後は「火星が○○宮に入るから運命は××だ」というような予言をするのである。最高の数学者であり、科学者であったカルダノがこんなものを本気で信じていたというのだから、あきれてしまう。

しかし、21世紀の現代でも占星術なるものを信じている人がたくさんいるのだから、そのころとしては当然のことだったのかもしれない。それに、当時は医学と占星術はセットのような存在だったので、このあたりまでなら納得できないでもない。

自称「白魔術師」

カルダノには病的な賭博癖もあった。それで身を滅ぼさなかったのは、数学的な知識があったためかもしれない。さいころ賭博やカード賭博の本を書き、その中で効率的ないかさまのやりかたも紹介している。

チェスにも凝(こ)っている。当時のチェスもまた、賭博だった。

守護霊というものも本気で信じていた。自分の守護霊がいかに自分を守ってきたかをくわしく述べたりしている。こちらのほうは本気で信じていたのかどうかはわからないが、自分には超能力があると公言し、詐欺を働いたこともある。

そもそもカルダノは、自分が研究している科学を「白魔術」、つまり自然魔術と考えていた。悪霊などを利用する「黒魔術」とは異なり、自然の法則を利用する魔術だというのだ。

あらゆることに興味を持っていたカルダノは、生涯で100冊以上の本を出版し、その多くが諸外国語に翻訳され、ベストセラーになった。観相術の本もあり、顔のどこそこにほくろのある女は夫に毒殺される、というようなことを書いたらしい。ハムレットのかの有名な「To be or not to be」のせりふのあとに語られる内容は、カルダノの著書『慰めについて』に酷似しているという。かつてはハムレットがこのせりふを語るときは、カルダノのこの本を手にするのが決まりだったという説もある。

カルダノの人生もまた波乱万丈で、毀誉褒貶(きようほうへん)も極端だった。そのカルダノが、フォンタナに接近したのだ。

口八丁手八丁の弟子

フォンタナはフィオレとの数学決闘に勝利して富と名声を得たとはいえ、政界、財界に人脈があったわけではなかった。それに対し、カルダノは名門の生まれで、パドヴァ大学の医学教授であり、人脈も広かった。

フォンタナは、大砲に関連して照準器などの発明をしており、パトロンを欲していた。カルダノはパトロンを紹介する、というような甘言を弄して、フォンタナを誘い出した。そしてあの手この手を使い、決して口外しないという誓いを立て、ついにその秘術を聞き出す。

カルダノの弟子にフェラーリという男がいた。口八丁手八丁で、悪魔のように頭の切れる男だったという。フェラーリは、カルダノからフォンタナの秘術を聞くと、それに霊感を得て、なんと4次方程式の解の公式を導き出してしまう。

その後、カルダノはフェラーリとともに、フェッロの遺族を訪ねる。フェッロは3次方程式の秘術を秘密にしていたが、そのメモを遺族に残していた。

そこでカルダノは、フォンタナ以前にすでにフェッロが3次方程式の解法を発見していたことを知る。そして、『アルス・マグナ』(大いなる技法)という本を執筆し、その中でフォンタナの秘術と、フェラーリが発見した4次方程式の解の公式を公表してしまうのである。

フォンタナの秘術は、フォンタナのオリジナルではなかった、というのがその言い訳だった。

しかし、フォンタナはフェッロ流の秘術を数学決闘で破っているのである。つまり、フェッロ流の秘術は完全なものではなく、フォンタナの秘術はそれを克服したものだった。カルダノの言い訳は話にならない。決して口外しない、という誓いを破った裏切りに、フォンタナは激怒した。

フォンタナはカルダノを激しく攻撃したが、カルダノは逃げ回るばかりで、矢面に立ったのは、異様に頭の切れるフェラーリだった。

諸説あれども、残ったのは師弟の名

その後、フォンタナとフェラーリの間で数学決闘が行われ、フォンタナが惨敗したという話もあり、そのような決闘はなかったという話も残っている。後年、フォンタナとカルダノは和解した、という説もある。

残ったのは、『アルス・マグナ』という本だった。この本はヨーロッパ中で読み継がれ、その後の代数学の基礎となった。そのため、3次方程式の解の公式は「カルダノの公式」、4次方程式の解の公式は「フェラーリの公式」と呼ばれるようになった。

近年、3次方程式の解の公式を発見したのはフォンタナなので、「フォンタナ=カルダノの公式」と呼ぶべきだ、という声も上がっているという。

はじめてのガロア 数学が苦手でもわかる天才の発想

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