満身創痍の状態で撮影に参加した西田敏行

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 米倉涼子(49)が主演する人気ドラマシリーズ『ドクターX〜外科医・大門未知子〜』(テレビ朝日系)の劇場版が、今年12月6日に公開予定だ。その記念イベントとして8月末、2日間かけてファンミーティングが開催され、出演者がそろって登壇。米倉はもちろん田中圭(40)、内田有紀(48)ら豪華キャストが次々と登場し、会場はファンの大歓声に包まれた。しかしそこに、主要キャストである彼の姿はなかった。西田敏行(76)のことだ――。 

【写真】杖をついて登壇する西田敏行。他、車椅子に乗る西田敏行なども

杖と車椅子がないと外出できない 

ドクターX』は、2012年にシーズン1が放送されて以来、常に高視聴率をたたき出し、これまで7シーズンが放送されている。 

 西田が演じるのは、大学病院の院長代理。米倉演じる大門未知子の前に立ちはだかる悪徳医師だが、部下たちや米倉とのコミカルな掛け合いは定評があり、ドラマの見どころのひとつになっている。 

 ところが西田は、冒頭のファンミーティングにはVTRでの出演となり、実際に登壇することはなかった。背景には満身創痍とも言える西田の体調がある。 

 西田は2001年11月、首の骨が変形して手足のしびれが起こる頸椎症性脊髄症の手術を受けた。その後2003年3月には心筋梗塞を発症。2016年2月には自宅ベッドから転落して頸椎亜脱臼に。その手術を4月に受けた直後、胆のう炎を発症した。 

「現在、移動時には杖が欠かせず、時には車椅子も使っています。ファンミーティングを欠席したのは、本人からの申し出だったそうです。“華やかな場所なのに、杖をつきながら出て行ったら盛り下がるから……”という趣旨のことを言っていたようです」(映画関係者) 

『劇場版 ドクターX』の撮影現場でも、西田には最大限の配慮が行われていたようだ。 

「映画の撮影は、通常1〜2か月間で行われます。しかし今回は3〜4か月と長めに取られていました。西田さんの出番はかなり少なく、ほとんどが座っているシーンです。西田さんは演出上の配慮に対して、 “こんなに気を使ってもらって本当に申し訳ない”と話していました。 

 また、医療ドラマなので、撮影現場には監修を務める医師がいますが、その医師とは別の医師が現場に詰めていたこともありました」(前出・映画関係者) 

 一方で、演技へのやる気はみなぎっているようだ。西田といえば、共演者を混乱させるほどの自由な “アドリブ”で知られる。今回の撮影現場でも、共演者である遠藤憲一(63)や勝村政信(61)を大慌てさせていたという。 

「共演歴は10年近いですが、遠藤さんも勝村さんも、いまだに西田さんのアドリブに振り回されているようです。特に遠藤さんは、慌てないように、もしくは慌てていることを悟られないように、“あえて目をそらさない”とか、様々な『西田対策』を講じたそうです。 

 ただ、西田さんのアドリブは決して思い付きでやっているわけではなく、計算され尽くされたもの。西田さんは脚本を読み込んで、“こうすればもっと楽しくなるんじゃないか”“もっといい作品になるんじゃないか”といつも考えています。それを共演者はわかっているから、どんなに大変な思いをしても西田さんのアドリブに食らいついていくんです」(別の映画関係者) 

「奥さんより、俺たちといる時間のほうが多いんじゃないのか」 

 あくまで前向きに演技に向き合う背景には、周囲の存在がある。 

「西田さんの素晴らしい演技は、奥さんやご家族の献身的な支えがあるからこそ。家では奥さんがきっちりと栄養をコントロールした食事を手作りし、食事制限を行っています。さらにリハビリや病院には必ず同行し、リハビリの内容を見て、家でもできるものを実践しているそう。

 そのおかげで演技を続けられているということはご自身も分かっておられるようで、奥さんには頭が上がらないようですよ」(芸能関係者) 

 デビュー以来50年以上、芸を磨き続け、数々の名作に名を連ねてきた西田。その姿を一番近くで見てきたのが妻であり、家族だ。 

「ご家族は、西田さんの一番のファン。出演作は欠かさずに見ていて、“100才まで生きて” “死ぬまで演技を続けて”と言っているそうです」(前出・芸能関係者) 

 家族とは別に、西田の心の支えとなっているのが、故郷の存在だ。西田は俳優を志して上京する中学卒業までの時期を、福島県郡山市小原田で過ごした。当時小原田は田んぼが広がる素朴な町で、学校が終わると友達と田んぼでチャンバラをしたり、川で泳いだりする日々だったという。 

 この頃一緒に遊び回った友人たちは俳優・西田の最初のファンであり、今もかけがえのない友だという。友人の1人は、かつて西田について次のように話していた。 

「西田の作品が上映されるときや舞台があるときは、バスを貸し切って、地元のファンとみんなで上京して最前列で応援するんです。 

 売れっ子になってからも、時間があれば地元に帰ってきていました。帰ってくれば、必ずみんなで集まって酒を酌み交わし、気が付くとみんなで一緒に寝てしまう。結婚後に、みんなで温泉に行くこともありました。冗談で『奥さんより、俺たちといる時間のほうが多いんじゃないのか』なんて笑ったこともあるほどでした」 

口癖は福島の方言で『大丈夫、なんの問題もないよ』 

 西田のふるさとへの思いは深い。 

「とにかく、西田さんの心の拠り所は福島にあります。東日本大震災の時も、発災から二週間後には地元へ足を運んで、友人たちと一緒に被害の大きかった南相馬市に車で向かったそうです。 

 いわき市の海岸沿いなどを見て、友人たちと何ができるか、何をするべきかを話し合い、“とにかくできることを全部やる”“福島の復興のためならなんでもやる”と誓ったといいます」(別の芸能関係者) 

 震災から6か月後には、郡山市で野外コンサートを開き、被災地への応援歌『あの街に生まれて』を歌った。この曲は、音楽プロデューサーの秋元康氏(66)による作詞。西田が被災したふるさとへについて語り、秋元氏がその思いを汲んで生まれた曲だ。 

 西田はその曲を、同年の紅白歌合戦でも披露している。 

「西田さんは、よく『さすけねえ』と言うんですよ。福島の方言で『大丈夫、なんの問題もないよ』という意味です。撮影現場でも、ちょっとネガティブな状況になったとき、あのいたずらっこのような笑顔で『さすけねえ、さすけねえ』って。その一言が、いつもみんなを勇気づけてくれるんです」(前出・別の芸能関係者) 

 西田の演技は、心を大きく揺さぶる。彼を育んだ故郷への思い、そして家族と周囲との“死ぬまで俳優”という約束を胸に、これからも唯一無二の演技を見せ続ける。