認知症介護の意外な極意…高齢者に対してじつは「言ってはいけない言葉」

写真拡大 (全2枚)

老いればさまざまな面で、肉体的および機能的な劣化が進みます。目が見えにくくなり、耳が遠くなり、もの忘れがひどくなり、人の名前が出てこなくなり、指示代名詞ばかり口にするようになり、動きがノロくなって、鈍くさくなり、力がなくなり、ヨタヨタするようになります。

世の中にはそれを肯定する言説や情報があふれていますが、果たしてそのような絵空事で安心していてよいのでしょうか。

医師として多くの高齢者に接してきた著者が、上手に楽に老いている人、下手に苦しく老いている人を見てきた経験から、初体験の「老い」を失敗しない方法について語ります。

*本記事は、久坂部羊『人はどう老いるのか』(講談社現代新書)を抜粋、編集したものです。

認知症介護の極意

認知症を治したいとか、これ以上悪くしたくないという思いが、介護の失敗につながるのであれば、どうすればいいのか。

それは認知症を否定せずに受け入れることです。以前は認知症は老人ボケとかモウロクとか言われ、年を取ったらある程度は仕方ないと思われてきました。自然な老化現象のひとつなのだから、治したいと思う人も少なかったはずです。今は認知症は病気という認識で、病気なら予防も治療もできるだろうと思う人が増えています。

そのため、親に認知症の疑いが生じると、慌てて日付を聞いたり、前の日の晩ご飯は何を食べたかとか、孫の名前を言わせたりとかする息子・娘さんらがいますが、これがいちばんいけないことです。答えられても答えられなくても、高齢者には悪影響を与えるからです。

この種の質問をされると、高齢者は認知症を疑われていることを強く意識します。自分でも不安を抱え、いつ発症するのか、すでにかかっているのではないかと、疑心暗鬼になっているとき、そんなことを聞かれると、不安が一気に増大します。また、プライドも傷つき、それが怒りや不機嫌につながって精神状態が悪化します。

高齢になるとひがみっぽくなる人も増えますから、認知症を疑われると、自分は邪魔者扱いだとか、迷惑な存在なんだとか、早く死ねということかとまで飛躍する場合もあります。

また、高齢者の場合は認知症でなくても、わかっているけれど答えられないということがしばしば起こります。若い人でも俳優の名前や食事の内容が出てこないことがあるでしょう。わかっているのに答えられないとき、それをわからないんだと受け取られることは屈辱です。

そんな不愉快な状況を作るより、認知症の心配などせず、仮に発症したとしても受け入れる気持ちで、高齢者の身内に優しく接していれば、自ずと時間は穏やかに流れます。

孫が遊びに来たとき、「おじいちゃん、僕の名前わかる?」などと言わせるのもよくありません。わかっていても答えられなければ、高齢者は苦しい立場になります。そんな試練を与えるより、「おじいちゃん、太郎だよ。遊びに来たよ」と言ってあげれば、「おお、太郎か。よく来たな」と、笑顔で応対できるのです。

喫茶店に連れて行っても、「何を飲む?」と聞くと、認知症の人はすぐに答えられなかったりします。「コーヒーにする?紅茶がいい?」と具体的に選ばせると、「じゃあ、コーヒーで」と答えが出やすくなります。

こういうテクニックも、認知症を治そうと思うのではなく、受け入れることからスタートします。

さらに連載記事<じつは「65歳以上高齢者」の「6〜7人に一人」が「うつ」になっているという「衝撃的な事実」>では、高齢者がうつになりやすい理由と、その症状について詳しく解説しています。

じつは「65歳以上高齢者」の「6〜7人に一人」が「うつ」になっているという「衝撃的な事実」