昨シーズンは独走で18年ぶりのペナントレースを制した阪神だが、今季のセ・リーグは大混戦だ。9月5日現在(以下同)、阪神は首位・巨人と3ゲーム差の3位。はたして、球団初の連覇は達成できるのか? 阪神OBで"岡田野球"を知る解説者の赤星憲広氏にうかがった。


シーズン序盤は苦しんだ近本光司だが、ここにきて調子を上げてきた photo by Koike Yoshihiro

【岡田監督ほど野球を知っている人はいない】

── 赤星さんは現役時代、野村克也監督、星野仙一監督、岡田彰布監督といった名将のもとでプレーされました。3監督の野球の相違点を教えてください。

赤星 野村監督とは1年間でしたが、野球を教え込まれました。いわゆる"ID野球"です。野村監督時代の阪神は3年連続最下位でしたが、「データを重視、活用する野球」以上に、野村監督の勝利への執念は強烈なものがありました。全力疾走しない選手は絶対に起用しないなど、そうした姿勢を学びました。

── 星野監督はいかがでしたか。

赤星 "闘将"の名のとおり、戦う姿勢を前面に押し出す監督でした。勝てない時代の"ぬるま湯"体質を払拭すべく、厳しさがあり、また金本知憲さん、下柳剛さん、伊良部秀輝さんたちを補強。"血の入れ替え"を断行して、2003年に18年ぶりの優勝につなげました。

 ただ、星野監督は厳しいだけではなく、選手個々の状態、性格や人間性をよく見てくれていて、それを采配につなげていました。チームは家族であり、星野監督は父親のような存在でした。そのあたり、野村監督にしても星野監督にしても、ファンの方が抱いているイメージとは異なるのではないでしょうか。

── 岡田監督について赤星さんは、2005年は選手として優勝を経験し、昨年は評論家として阪神の日本一を見ています。昨年は、前年いずれも0勝の村上頌樹や大竹耕太郎を抜擢して、計22勝を上積みしました。

赤星 野村監督もそうでしたが、岡田監督ほど野球を知っている人はいないと思います。村上や大竹の抜擢は、「投球を受けているヤツが一番わかるやろ」と、捕手の梅野隆太郎や坂本誠志郎らの進言を採り入れたそうです。そういう柔軟な姿勢もあります。

── 昨年に関しては、各選手のポジションを固定し、コンバートもありました。

赤星 岡田監督は評論家時代から、当時ショートを守っていた中野拓夢について「セカンド向きだ」と言っておられました。それが見事にはまって、中野は10年連続だった菊池涼介(広島)の牙城を崩し、ゴールデンクラブ賞に輝きました。岡田監督が「野球を知っている」というのは、そういう選手の能力を見極める力です。

 ファームの試合を直接見に行って、監督やコーチの推薦する選手以外で、成績は出ていなくても「この選手ええやないか」と引き上げる目です。今季の森下翔太や前川右京、野口恭佑らの一軍昇格のタイミングは、すばらしいものがありました。

【近本光司の出塁率がカギになる】

── 今季のセ・リーグは、激しい首位争いを繰り広げています。球団初の2連覇を目指す阪神は3位です。残り20試合ほどですが、投手陣のキーマンは誰になりますか。

赤星 昨年8勝だった才木浩人が奮闘して、ここまで11勝3敗。その一方で、昨年最優秀防御率のタイトルを獲り、MVPに輝いた村上が途中5連敗を喫するなど、ここまで6勝9敗と苦しんでいます。ただ、防御率は2.42と決して悪いわけじゃありません。村上に勝ちがつくようになれば、まだまだ巻き返せると思います。

── 野手陣のキーマンは誰になりますか。

赤星 "投高打低"のシーズンとはいえ、序盤は主力打者の打率が軒並み2割5分以下と苦しみました。ここにきて各選手とも状態を上げてきましたが、やはり阪神打線の中心は近本光司だと思います。

── 今季は4番を任されることもありました。

赤星 調子が上がらなかったのはいろんな打順を打たされたからだという意見もありましたが、彼の実力からすればそんなことは関係のないことで、常に3割を打ってもらわないといけない打者だと思います。まずは出塁率アップですね。そうなれば自然と盗塁する機会も増えてくるでしょうし、昨年のように機動力を絡めた攻撃ができると、得点力は上がってくるはずです。

── 球団初のリーグ連覇の可能性はいかがですか。

赤星 今季のセ・リーグは大混戦です。巨人、広島、阪神、そしてここに来てDeNAも調子を上げてきました。最後の最後まで混戦は続くと思いますが、阪神は昨年の優勝の経験が生きてくると思います。他球団にマークされながらも、広島は2016年から3連覇、ヤクルトも21年、22年と連覇を果たしました。それは優勝の経験値があったからだと思います。そういう意味で、阪神の連覇の可能性は十分あるとみていいでしょう。


赤星憲広(あかほし・のりひろ)/1976年4月10日、愛知県出身。大府高校から亜細亜大、JR東日本に進み、2000年のドラフトで阪神から4位指名を受け入団。1年目の01年に盗塁王と新人王を獲得、以後05年まで5年連続盗塁王を獲得し、プロ通算381盗塁は球団最多記録。07年には通算1000本安打達成。09年9月、試合中のダイビングキャッチで脊髄を損傷し、同年12月に現役引退。現在は野球解説者、スポーツコメンテーターとして活動している