W杯アジア最終予選・突破のカギを握る守護神
大迫敬介(サンフレッチェ広島)前編

 19歳の時からサンフレッチェ広島のゴールを守り、Jリーグデビューからわずか数カ月で日本代表デビューを果たした大迫敬介。早くから将来を期待されていた逸材も、今年で25歳だ。

 若くして多くの経験を積み、サンフレッチェ不動の守護神としての地位を確立した。その一方で、これまでなかなか活躍できていなかった日本代表でも存在感を放ちつつある。

 日本屈指のGKはどのように成長を遂げてきたのか。その軌跡を辿りながら、大迫敬介という選手の魅力ついて探ってみた。

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サンフレッチェの守護神としてゴール前に君臨する大迫敬介 photo by AFLO

── 大迫選手はそもそも、どうしてゴールキーパーになろうと思ったのですか。

「兄の影響で、小学1年生の時にサッカーを始めたんです。最初はフィールドもやりながら、チームに固定のゴールキーパーがいなかったので、順番でキーパーをやっていました。

 ゴールキーパーって小さい頃、あまりやりたがる子はいないじゃないですか。でも僕は、フィールドとして点を取るのも楽しかったですけど、シュートを止めるのも楽しかった。だから、全然嫌ではなかったし、むしろ率先してキーパーをやるようになりました」

── そこから、ゴールキーパーひと筋ですか。

「低学年の頃はフィールドで出ることもありましたけど、高学年になった頃にはキーパーがメインでしたね」

── 中学時代も地元・鹿児島のチームでプレーされていたそうですが、そこからどのような経緯で広島のユースに入ったんですか。

「僕は小学生の時も、中学生の時も、強いチームにいたわけではなくて、本当に負ける試合のほうが多いチームだったんです。だけどそのなかでも、県選抜だったり、ナショナルトレセンに選ばれることがあって、そこでスカウトの方に目をつけてもらって、練習参加を経て、入ることができました」

【試合にも絡めず焦っていたプロ1年目】

── あまり強くないチームからプロの下部組織に入ったというケースは、なかなかの快挙だと思いますが。

「今でこそ鹿児島には鹿児島ユナイテッドFCがありますけど、僕が中学生の時は地元にJクラブはなかったので、プロクラブのアカデミーに入ることがどれだけすごいことなのかは、あまり理解していなかったかもしれません。でも『サンフレッチェ広島』っていう田舎者の僕が聞いてもわかるようなクラブのユースに入れるのは、本当に喜びでしたし、楽しみという思いが強かったですね」

── 育成に定評のある広島ユースでの3年間では、何を学んだのでしょうか。

「僕は本当に『プロになること』しか考えてなかったので、この3年間はひとつの後悔もないように生活しようと決めていました。振り返ると、私生活も含めて、本当にすべての時間をサッカーに捧げてきたという自負があります。大変な毎日でしたけど、今となってはすべてをかけて、あそこまでがんばってよかったなと思っています」

── その努力が実り、高校3年生の時にプロ契約を勝ち取りました。その時の心境は?

「やっぱり、ずっと目指していたところなので純粋にうれしかったですし、ホッとした気持ちもありました。本当にプロになることしか考えていなかったし、ほかの未来は見えていませんでしたから」

── もっともプロ1年目は、試合に出ることが出きませんでした。プロの壁を感じることはありましたか。

「僕は高3の時にプロ契約をしました。それを1年目とすると、ふだんはトップで練習して、週末はユースでプレミアリーグの試合に出ていたので、まだ試合ができる環境ではあったんです。

 でも、高校を卒業して一般的なプロ1年目になると、練習のゲームにも入れないし、練習試合にもほとんど絡めない。ほかのクラブの同い年の選手たちは、カテゴリーは違っても、試合にどんどん出て活躍していたので、焦りはありましたよ。

 ただ、チームでは試合に出られなくても、東京オリンピックという目標があったので、それをひとつのモチベーションにしながら日々の練習に取り組んでいました」

【下田GKコーチと徹底的に練習した日々】

── 経験が求められるゴールキーパーというポジション柄、若手が試合に出られないことはある意味でしょうがないと受け入れてしまうことはなかったですか。

「当時はチームが優勝争いをしていましたし、(林)卓人さんのパフォーマンスもすごくよかったので、入る隙がないなっていうのは感じていました。でも、それを受け入れることはなかったですし、食らいついていくためにも、必死に練習していましたね」

── その状況を打破するために、最も力を注いだことは何ですか。

「シュートストップですね。当時は2部練があったんですけど、午前の練習が終わってから自主練を1時間くらいやって、午後の練習が終わったあとに、そのまま夕方のユースの練習にも参加していました。キーパーコーチの下田(崇)さん(現・日本代表GKコーチ)が熱心に付き合ってくれて、シュートストップを徹底的に練習しましたね」

── その努力が報われ、実質プロ2年目のシーズン初戦のACLプレーオフでデビューを果たしました。あの試合を振り返ると?

「心境的な部分はあまり覚えてないんですけど、負ければACLの本戦に出られない重要な試合だったので、とにかく無失点に抑えることだけを意識していたと思います。運もあって巡ってきたチャンスだったので、やっと来たかという想いと、結果を出さないといけないという両方の気持ちがありました」

── PK戦の末に勝利を収めたデビュー戦を経て、その年はレギュラーの座をモノにしました。ところが翌2020年は林選手とのポジション争いに敗れ、シーズン後半にレギュラーの座を失ってしまいます。当時の心境は?

「あの時はオリンピックも控えていたので、出場機会を求めて移籍しようとも考えていました。 でも、今となってはあそこで逃げなかったことで、成長できた部分もあると思っています。現状を打破するために努力した経験は今後、同じようなことが起きた時にも絶対に生きると思っていますから」

【ミスをして批判を受けることもあっても...】

── 林選手の存在は、大迫選手にとってどういうものですか。

「間違いなく、お手本ですね。技術もそうですし、経験もすごくある選手ですから。ゲームのなかでの立ち振る舞いだったり、ゲームの進め方だったり、練習の取り組み方も含めて、本当に見本になる存在でした」

── 偉大な先輩である一方で、ポジションを争うライバルでもあると、チームメイトであってもなかなかアドバイスはもらえないものなんですか。

「卓人さんは練習中、口数が多いタイプではなかったので、直接アドバイスをもらうことはほとんどなかったんじゃないですかね。どちらかというと、プレーや背中を見て学んだところはあります」

── 昨季かぎりで現役を引退し、今年から広島のゴールキーパーコーチに就任しました。今はさすがに教えてくれますか。

「はい。こんなにしゃべるのかって(笑)。別の人間じゃないかと最初は戸惑いましたけど、やっぱり現役の時はそういう寡黙なキャラを作っていたと本人も言っていました」

── 今年からその林選手から背番号1を受け継いでプレーしていますけど、心境の変化はありますか。

「番号が変わったことで特別な変化が生まれたことはないですけど、卓人さんは今までチームがよくない時だったり、雰囲気が緩い時にビシッと引き締めてくれるような存在でした。そういう選手がいなくなったわけなので、自分が背番号だけではなく、そういう部分も引き継いでいかなければいけないと思っています」

── 自身の一番の強みはどこにあると分析していますか。

「自己分析ではないですけど、メンタルが強いとはよく言われますね。ゴールキーパーはミスが失点に直結するポジションなので、どうしてもリスクを避けがちですけど、リスクを取ってでもアグレッシブにプレーするところが僕の持ち味だと思っています。その姿勢が『メンタルが強い』と思われている理由なのかなと」

── ゴールキーパーは批判の的となりやすいポジションでもあります。それでもミスを恐れず、チャレンジし続けているわけですね。

「今年もそういったプレーからミスをして、批判を受けることもありました。だけど、アグレッシブな姿勢は変わっていないと思います。たとえば、相手とどちらが先に触れるかわからない場面であっても、僕は躊躇(ちゅうちょ)なく飛び込みますし、そこが自分の強みだと思っていますから」

【キーパーに最も求められる資質とは?】

── ハイラインを敷く今の広島のサッカーだと、そういった機会も多いのではないでしょうか。

「そうですね。だけど、1対1には自信があるので、味方にもそういう状況になったら任せてくださいと言っています。自分たちのスタイルは前から行くので、必然的にゴールキーパーの仕事は増えてきますが、そのぶん、やりがいは大きいですよ」

── 現代サッカーにおいて、ゴールキーパーに最も求められる資質は何だと思いますか。

「チームのスタイルにもよると思いますけど、自分たちのチームに当てはめて言えば、やっぱりシュートストップと1対1だと思います。それこそ数的不利の状況で守らなければいけないシーンも多いですから。

 たとえば、カウンターを浴びた時、ディフェンスが2枚で相手が3枚の状況だった場合、普通は味方に対して2対2の状況に追い込むような指示を出すんですけど、僕は自分を含めて3対3と考えて、 余ったひとりに対しては僕が行くという話を味方にはしています。

 だから個人の対応力だったり、1対1でシュートを止める能力っていうものは、自分たちのサッカーでは間違いなく不可欠な要素だと思います」

(後編につづく)

◆大迫敬介・後編>>正GKの座を争うライバルたち「生まれ持った身体能力を言い訳にしたくない」


【profile】
大迫敬介(おおさこ・けいすけ)
1999年7月28日生まれ、鹿児島県出水市出身。サンフレッチェ広島ユース出身で2018年にトップチーム昇格を果たす。プロ2年目にして正GKのポジションを掴み、2024年より背番号1を引き継ぐ。日本代表はU-16から各カテゴリーで招集され、19歳の時2019年6月のチリ戦でA代表デビュー。日本代表Aマッチ8試合出場(2024年8月末時点)。ポジション=GK。身長188cm、体重87kg。