会見でジェッツ入団の経緯を説明する渡邊雄太 photo by スポルティーバ編集部

 日本生まれの選手として史上ふたり目のNBAプレーヤーとなった渡邊雄太が千葉ジェッツに入団。アメリカでの競技生活に区切りをつけ、今季からBリーグで新たな競技人生をスタートさせる。

 日本代表でも中心選手として戦ってきた渡邊が日本を拠点にすることは、日本のバスケットボール界にとってさまざまな面において、好影響を与えることになるだろう。

【過酷なサバイバルレースを走り切って】

 舞台袖から彼がゆっくりと壇上に登壇すると、集まったメディアや関係者から「おお」と低いどよめきが聞こえてきた。

 端的に、206cmという突出した長身に対しての畏怖のようなものが、彼らの口からそんな反応を引き出したところはあっただろう。

 一方で、昨シーズンまで日本人選手として最長の6シーズン、世界最高峰・NBAを戦いの舞台としてきた男が日本でプレーするという実感が、あふれ出たと言えるかもしれない。

 8月27日に東京都内のホテルで行なわれた記者会見で、渡邊は、公の場では初めてジェッツの一員として紹介された。

 4月のインスタライブでBリーグ入りを表明していた渡邊獲得に手を上げたチームの数は、千葉ジェッツの田村征也社長によれば20を超えたそうだ。もちろん、渡邊ほどの選手に対して驚きではない。

 最終的には、渡邊いわく最も大きな「熱量」を示した千葉Jへの入団を決めた。昨シーズン、フェニックス・サンズと結んだ複数年契約の内容では、その2年目は渡邊本人に再契約かフリーエージェントになる権利のあるプレーヤーオプションが付帯されていた。つまりは、2024−25もNBAにい続けることが可能だったにもかかわらず、それを破棄してBリーグ入りを決断した。

 6年間、世界最高峰のリーグでプレーしてきた裏で、いつ首を切られるかもしれないといった保証のない立場に置かれることが大半だったために、人知れず精神的な苦しみと戦う日々だったこと、そしてそれが最終的にメンタルヘルスに大きな支障をきたしてしまったことを、前述のインスタライブで渡邊は「順風満帆ではなかった」という言葉を添えて明かしている。千葉Jの池内勇太ゼネラルマネージャーは、このメンタルヘルスについてのサポートについてのプレゼンテーションをしたことを述べており、渡邊はそれも入団の決め手になったことを示唆している。

「毎試合、毎試合が僕のなかでのアピール合戦でしたし、練習もそうですし、もう本当に自分の一挙手一投足を常に監視されているみたいな感じでした。正直、まともな精神状態でプレーができていたという時期は少なかった」

 インスタライブで、渡邊はこのように話している。

 そうした厳しい環境にありながらも「20代の間はどんなにしんどいことがあっても、どんなに理不尽なことがあっても、どんな苦労があっても、絶対に逃げない」(渡邊)と自分に言い聞かせていた。

 2013年に尽誠学園高校を卒業してNBA入りを目標に渡米した際には、生き馬の目を抜く世界のアメリカで、彼の成功について懐疑的な目を向ける者は多かった。それでも、渡邊は強い意志によって成長を続け、無理だと思われていたNBA入りを果たし、そして6年間、戦った。生死をかけたと言っても言い過ぎではあるまい。NBAという最高の峰に登ったはいいものの、崖からいつ転落しても不思議ではない。でも渡邊は、崖にぶらさがった状態でも絶対に手を離さずにしがみついた――。彼が6年間で経験してきた世界とは、いわばそのような場所だった。

 だが、そのようなことを続けているうちに、肉体よりも精神に限界が来た。気づけば、年齢は29歳になっていた。

「30代はまた楽しく、バスケットができたらなっていうのが一番にある」

 10月の誕生日をもってその30代に入る渡邊は、そう述べている。

【渡邊がもたらす波及効果】


ジェッツ入団の決め手は、熱量だったという(左からジェッツの田村社長、渡邊、池内GM) photo by 編集部

 千葉Jはこれまでもリーグ屈指の人気を誇り、リーグや天皇杯の優勝も複数回ある、日本を代表するチームだが、熱量を持って迎え入れた渡邊という大物の加入で、さらに際立った熱を放つ存在になるかもしれない。

 渡邊がジェッツのユニフォームを着ての初戦となる9月15日のららアリーナ東京ベイ(対サンロッカーズ渋谷)での試合は、プレシーズンゲームにも関わらずチケットは完売しているそうだ。田村社長によれば、ジェッツのファンクラブ会員数は前年と比べて「かなり増えて」おり、ユニフォームも前年の同時期に比べると「倍近い売上げ」になっているという。ららアリーナは新設で1万人以上収容可能と既存の大半の本拠地のおおよそ倍のキャパシティーを誇る会場ながら、渡邊加入効果でチケットは入手困難化することが予想される。

 昨シーズンはフェニックス・サンズに所属し、途中、メンフィス・グリズリーズへトレードされた渡邊の年俸は約235万ドル(現在のレートで約3億4000万円)だったとのことだから、千葉Jは相応の金額を彼に対して投じているはずだが、回収は難しくないのではないだろうか。

 そして、渡邊が及ぼす影響は千葉Jにおいてだけにとどまらないだろう。近年では沖縄アリーナ(琉球ゴールデンキングス)、SAGAアリーナ(佐賀バルーナーズ)などより収容数の大きな"箱"が建設されている。長らく千葉Jの顔として君臨してきた富樫勇樹に加えて、渡邊が加入したとなると、そういった千葉Jからすればアウェーの試合においても客席が埋めつくされる可能性は高そうだ。

 2016年に誕生したBリーグは、2026年からさらなる事業規模拡大を目的として最上位リーグを「Bプレミア」とするなど新たなフォーマットで次のフェーズへと突入する。見据える先はNBAに次ぐ世界第2位のバスケットボールリーグになることであると、壮大だ。

 日本のトップリーグでのプレー経験のない渡邊ではあるものの、自身がアメリカで奮闘する間に、Bリーグというものが発足して人気の面でも競技の面でも従前からは考えられないほどの成長をしてきたことに対して、畏敬の念を示す。自分はNBAでやってきたのだといった、上段からの物言いはしない。

「今回、僕がNBAからBリーグに入ることを、これだけの記者の方たちなどがいろんなところで取り上げていただいている理由のひとつとして、僕が(日本に)いない間もBリーグが盛り上がっていたから。今までBリーグを作り上げてくださっている方々や、そこでずっとプレーをしてBリーグというのもをすばらしいリーグにしてくれた選手の方々に感謝をしたいと思っています」

 会見で渡邊はそう語り、言葉を続ける。

「NBAに次ぐリーグを作りたいというのは、本当にすばらしい目標です。やるからには高い目標を持ってやっていくというのは、僕の選手としてのポリシーでもありますし、そういう部分も含めてBリーグを盛り上げていけたらなと思っています」

【自身の経験をプレーで還元】

 渡邊のBリーグ入りで、人々がもっとも注目するのは、やはりコート上でのプレーぶりだ。パリオリンピックが終わってから休養を取っていたこともあり、千葉Jでの練習にはまだ参加をし始めたばかり。しかも指揮官が新たにトレバー・グリーソン氏(NBAトロント・ラプターズのアシスタントコーチ時代は渡邊と一緒だった)になったことで、チームがどういうバスケットボールを展開し、そのなかでNBAでは3Pシュートとディフェンスが主な役割だった渡邊がどのようなプレーを求められるかは、現時点ではわからない。

 それでも、渡邊のBリーグ入りの影響が大きいものとなるであろうことは、間違いなさそうだ。日本代表の活動中、Bリーグチーム所属の選手たちは渡邊がNBAで行なっている取り組みを直接聞いたり、また彼の姿勢などを間近で見ることで刺激を受けている。同じようなことが千葉Jでも起こるだろうし、Bリーグが近年、選手移籍の激しいものとなっているだけに、渡邊のチームメートたちが他チームへ移っていくことなどで、影響は波及していくのではないか。

 このことは、日本代表の強化にもつながるものだ。昨年のFIBAワールドカップでの躍進から、パリオリンピックでは3連敗での敗退という失意の結果に終わった日本。両大会において渡邊ら限られた主力選手に出場時間が偏ったのは、チームの――つまりは日本バスケットボールの――層の薄さを示している。だが、NBAでプレーし、かつ長年日本代表の中心を担うなど、最高峰の舞台の経験を豊富に持つ渡邊の千葉J入りは、Bリーグ全体のスタンダードを引き上げる影響力がある。

 渡邊が言葉に少し力を込めて、言う。

「やっぱり僕は選手なので、プレーでリーグを盛り上げていけるようなことをしていかなきゃいけないなと思っています。自分がNBAで経験してきたこと、日本代表として世界と戦ってきたことをしっかりチームメートやリーグ全体に還元できるように、高いレベルのプレーをコート上で発揮していけたらなと思っています」

 渡邊は、言葉の人だ。態度の人だ。無茶だと周囲から言われたアメリカ挑戦を敢行し、苦難の日々だったNBA時代も、信念と固い意志で艱難辛苦(かんなんしんく)を耐え忍び、乗り越えてきた。だからこそ、見る者は彼に魅かれ、支持をする。

 206cmの立派な体躯は、それだけで人々の目を引き付ける。が、それよりも彼を魅力ある人物にするのは、険しい道のりを通ってきたからこそ培われた堂々たる言葉と態度だ。

 人々に畏敬の念を抱かせる「巨人」となって、渡邊雄太が母国・日本に帰ってきた。