併用軌道を走るライトライン(撮影:小川裕夫)

写真拡大

 2023年8月26日に栃木県宇都宮市と芳賀町で新型路面電車が開業してから、間もなく1年がたつ。年間の利用者は開業から一年を待たずして400万人を突破。これは、行政が事前に想定した需要予測を大幅に上回る数字だ。

【写真】宇都宮ライトレールの本社にかかった「400万人達成」の垂れ幕 ほか

 従来、公共交通などの需要予測は建設・開業したい自治体側の“願望”込みで作成される傾向が強い。時に現実離れした需要予測が出ることもあり、それは「議会で予算を通すために役人が鉛筆を舐めながら何とか理由をつけて捻り出した数字」とも揶揄される。

 これは公共交通に限った話ではなく、庁舎や音楽ホールといったハコモノ全般にも言える。要するに「建ててしまえば、後はどうとでもなる」という日本行政の悪しき慣習でもある。右肩上がりの経済成長を遂げていた高度経済成長期なら、それも許されただろう。失われた30年間で経済が停滞した日本において、それはハコモノ行政・土建政治という批判につながってきた。

併用軌道を走るライトライン(撮影:小川裕夫)

 宇都宮の新型路面電車に関しても、土建政治との批判がなかったわけではない。「時代遅れのチンチン電車を走らせてどうする!」「今後は自動車が増える趨勢にあり、路面電車を走らせたら車線が減って余計に渋滞が激化する」といった批判もあった。

 それでも、宇都宮市では日本にLRT(=Light Rail Transit)という概念が希薄だった1960年代後半から検討が始まり、批判を乗り越えて新型路面電車の開業に漕ぎ着けている。

“名称”で混乱も

 しかし、宇都宮の新型路面電車は文字通りゼロから線路を建設したこともあり、いくつか見切り発車した部分もあった。

 その一例が、開業直後に露呈した名称不統一の問題だ。宇都宮駅東口―芳賀・高根沢工業団地の約14.6キロメートルを結ぶ新型路面電車は、これまでに定着した路面電車の古臭いイメージを払拭する意味も含めて宇都宮LRTと喧伝することが多かった。そうした名称は、沿線でポスターや幟といった掲出物でも頻繁に使われている。

 また、会社名が宇都宮ライトレールであることから、宇都宮ライトレールと記載・呼称されることが珍しくなかった。

 そのほかにも、HPやパンフレット類、行政関係の書類などで芳賀・宇都宮LRTといった表記も見られた。車内のFree Wi-Fiのネットワーク名も「Haga_Utsunomiya_LRT」となっている。

 表記の不統一は利用者の混乱を招く一因になるが、それ以上に対外的なPR効果を薄めてしまうという弊害が発生する。栃木県・宇都宮市・芳賀町の3者は莫大な費用を投じ、気の遠くなるような年月をかけて新型路面電車を建設した。ようやく走り始めた新型路面電車を全国に誇示したいと考えるのは自然な話だろう。

 実際、新設された路面電車は国内で75年ぶりの登場で、開業時は全国ニュースでも取り上げられた。

 こうした話題性をきっかけに、市議会は新型路面電車の存在だけではなく宇都宮全体をPRしたいと考えていただろうが、名称が不統一のままだと市外の人たちに新型路面電車のことをうまく伝えられない。また、市内在住者でも沿線に住んでいなければ混同してしまう可能性も否定できない。

 そうした懸念があり、市議会では開業直後に新型路面電車の呼称をライトラインに統一することを決議した。

路面電車」の難しさ

 巨額な建設費を投じて新型路面電車を開業させた宇都宮にとって、新型路面電車は何が何でもPRする必要があった。その理由は、ライトラインは宇都宮駅の東口から延々と東へと走っているので、その恩恵は宇都宮市東郊の一部しか得られないことだった。

 多くの市民は新型路面電車が開業しても日常的に乗る機会はなく、事業に対する理解は深まらない。理解が深まらないならまだしも、わずかなエリアのためだけに、多額の税金を使うとはけしからん!という不満も出てくる。

 全市民を巻き込むには、ライトラインを宇都宮の新たなシンボルにする。それには、沿線外から来街者や観光客を呼び込むしかない。路面電車は一般的に市内交通を役割にし、乗客の多くは通勤・通学で利用する。通常なら、沿線外需要を多く創出できる交通インフラではない。

 沿線外需要を創出するには、沿線に集客施設や観光拠点を整備して誘客する必要がある。しかし、それには費用も時間もかかる。簡単にはできない。

 沿線住民を対象にした公共交通は、朝夕の通勤・退勤時間はそれなりに混雑する。しかし、昼間帯は買い物ぐらいの需要しかない。休日も同様で、地方都市だとその役割はマイカーで十分に務まる。

 そうした事情から、線路や架線といった専用の施設を必要とする路面電車は非効率との認識が強く、ゆえに公共交通を新たに整備する場合は線路などの諸施設を整備しなくてもいいバスが選ばれていた。

予測を大きく上回った需要

 宇都宮はこれまでの常識を覆し、当初の需要予測を大きく上回った。なぜ、ライトラインは成功したのか? その最大の要因は、平日の昼間帯や土日などの利用者が想定以上に多かったことだ。これは沿線外需要を生み出したことを意味するが、ライトラインの沿線には観光地らしい観光地はない。

 沿線には栃木県グリーンスタジアムがあるぐらいで、ここは栃木サッカークラブがホームスタジアムにしているものの毎週のように試合が開催されているわけではない。集客力は大きくなかった。

 また、飛山城跡という史跡もある。これも市外から観光客を呼び込めるほどの強い訴求力はない。

 それにも関わらず、ライトラインは沿線外需要を想定以上に生み出した。これは自治体・民間事業者・ライトライン・市内のバス事業者がきっちりと連携したことで、鉄道とバスがシームレスで移動できるようになり、沿線住民にその利便性を実感してもらえたことが大きいだろう。

 沿線住民は通勤・通学だけではなく、休日にもライトラインで外出する機運を高めた。

沿線訪問で見えてきた課題

 自治体と鉄道・バスの事業者による連携は、都市開発でも目に見える効果を発揮した。宇都宮駅の東側は東北新幹線が開業する1982年までは手つかずで、それまでは茫洋とした荒野のような大地が広がっていた。ライトラインの開業に合わせて宇都宮駅東口に複合商業施設などが整備され、沿線にあったニュータウンも再造成された。

 筆者はライトラインの開業前の2023年7月に宇都宮を訪れて、全線を自転車で走破した。工事が完了した区間や試運転の様子を見て回り、さらには開業後にも定期的に現地へと足を運んで、沿線風景や利用者の変化を観察している。

 宇都宮の新型路面電車が成功していることは数字にもはっきりと表れているが、何度も沿線を訪問していると課題も見えてきた。

 少し専門的な話になるが、簡単に説明しておきたい。

 一般的にJRや大手私鉄などの鉄道事業者は、鉄道事業法と呼ばれる法律に基づいて運行している。対して、路面電車と呼ばれる鉄道は軌道法と呼ばれる法律に準拠して運行している。

 鉄道事業法と軌道法では、さまざまな違いがある。特に軌道法は、「原則的に道路に線路を敷設しなければならない」という制約がある。この制約によって、路面電車は自動車と道路を共用して走っている。鉄道用語で、こういった区間を併用軌道と呼ぶ。

 ライトラインは全区間が軌道法に準拠して建設された正真正銘の路面電車だが、一部には電車だけが走行する専用軌道区間もある。

 道路に線路を敷設することはあくまでも原則だから、ライトラインに専用軌道区間があっても問題はない。ただ、通常は線路と道路が交差する地点には踏切を設置しなければならない。これが厄介な問題として横たわっている。

 国土交通省は原則的に踏切の新設を認めていない。つまり、線路を新しく敷設する際は、立体交差にすることが求められている。これは路面電車にも適用される。

開業当初は事故も

 この点が曖昧なままライトラインは建設されたので、建前として線路と道路が交差する地点に踏切を新設していない。本来なら専用軌道とする区間も併用軌道という扱いになっている。そのため、道路と線路が交差している場所には警報器や遮断機がないという“危険地帯”が出現した。

 ライトラインでは、そういった危険地帯に警報ランプを取り付けて電車の接近を知らせている。電車の接近を知らせることで、事故を防止するように努めているが、警報器と遮断機が装備された正式な踏切と比較すれば、その安全性は段違いと言わざるを得ない。

 宇都宮市は、過去に路面電車が走っていたことがない。電車と自動車が混在する併用軌道に不慣れなドライバーが多く、ゆえに開業当初は自動車ドライバーが線路内に誤進入や接触する事故も起きている。

 路面電車が開業したという目新しさもあり、また今後の啓発的な意味も含めてライトラインと自動車の事故は地元ニュースで大きく扱われた。そして踏切の安全対策は、開業当初のままで、いまだ手つかずになっている。

 ライトラインの成功を受けて、新型路面電車の導入を検討する自治体は増えていくだろう。しかし、そこでも専用軌道・併用軌道や踏切の新設といった問題が出てくるだろう。

 宇都宮で見えた課題は、軌道法や道路交通法といった法律が関係している。それは宇都宮だけで解決できる問題ではない。

 政府が動かなければ、宇都宮のようにイチから路面電車を新設する都市は出てこないだろう。宇都宮が成功したことによって、国を動かすことはできるのか?

小川裕夫/フリーランスライター

デイリー新潮編集部