「セーヌ川のトライアスロンで競技後に選手が嘔吐」

 それは衝撃的なニュースだったが、さもありなん、だった。セーヌ川は目視でも濁っている。雨の翌日はどうしようもない。

 テレビ中継でセーヌ川とエッフェル塔が入った絵を求めた結果であり、それはフランス人のエゴの集約だった。しかし、それがパリ五輪の熱狂も生み出したのである。

 8月9日、パリ南アリーナでの卓球男子団体3位決定戦だった。日本は地元フランスとの対戦で、張本智和を中心に健闘したが、会場では完全にアウェーだった。

「試合に集中し、歓声はあまり耳に入ってきませんでした」

 篠塚大登はそう語っていたが、フランスの選手を歓声があと押ししていたのは間違いない。フランスの選手は熱気のなかで勢いに乗れたし、失いそうなところで挽回できた。完全なホームアドバンテージだった。


大声援を受けて日本を破って喜ぶフランスの卓球男子団体の選手たちphoto by JMPA

 試合後の取材エリアでは、日本のコーチが涙に頬を濡らし、それを手で拭いながら、選手たちの健闘をたたえていた。大勢の記者を前に取材に答える一方、背後の会場では「おおおおおーイエーイ!」という大歓声が響いていた。フランス人たちの"メダル祭"だった。

 取材エリアのメインステージでは、喜色満面のフランス人選手が地元メディアのインタビューに答えていた。メガネをかけたフェリックスとアレクシスの「ルブラン兄弟」はキャラも立ち、テレビ出演に引っ張りだこ。一夜にして、スターになった。

 日本でも、日本人がメダルを取ったら同じような現象が起きる。ナショナリズムという難しい表現よりも、単純に同胞の活躍に胸が熱くなる。必然的に、報道も自国選手が中心になる。

 だが、フランスはその傾向が日本よりも強い。大会前は反対派が騒いでいたが、意外なほど人々は熱狂。その盛り上がりは、"ひとつの旗のもとに"というところがあった。

 8月10日、男子バレーボール決勝の会場も、興奮の坩堝(るつぼ)だった。地元フランスが、東京五輪からの連覇を懸けて挑んだポーランド戦。会場はトリコロール一色で、国歌「ラ・マルセイエーズ」を誰かが歌い出すと、いつのまにか大合唱になった。

【会場は異様な盛り上がりに】

「アレー・ル・ブルー」(行け、フランス)

 フランスの応援大合唱で選手を叱咤し、足を踏み鳴らしてスタンドは揺れ続け、会場は異様な空気になっていた。フランスは地力もあるが、実力以上のプレーを見せた。とにかく、サーブで攻めた。それによって、自慢のブロックも機能。主導権を握って1セット目をものにすると、2セット目も逆転勝利。1点が決まるごとの盛り上がりが違っており、勢いを得ていた。

 東京五輪のMVPであるイアルバン・ヌガペトは巨体だが、ステップは軽やかで下半身が強く、軌道を予知できるようだった。サーブはパワフルで際どく、スパイクサーブ、ジャンプローターのハイブリッドで幻惑。「そこにいる」というレシーブを見せた後、セッターのトスを打ち込んだ。破格の空間認識力で、郄橋藍のような背面ショットも決めた。サッカーのフランスの英雄、カリム・ベンゼマとも重なり、「世界」の匂いがする選手はジャンルを超えて美しい。

 フランスは3−0で勝ちきった。勝利の直前、会場は何かをこの世に生み出しそうなほど、熱を発していた。

 フランス人は「おフランス」と皮肉られ、スノッブな様子が嫌悪されることもしばしばである。ビストロの食事はお皿から盛り付けまでお洒落で、味も唸らせるが、ワインやデザートまでつけたらひとり1万2000円前後になり、日本のようにおいしくて安いものはない。ラテンの血か、騒ぐのは好きで、その感情が一体になる瞬間は、さすが革命を起こした国だった。

 多くの移民で成り立っているのは、その社会性のおかげもあるだろう。筆者はホテルで朝食をとるたび部屋番号を伝えていたが、数字をフランス語で伝えるだけで近しくなった。「ボンジュール」や「メルシー」や「アビエントー」(じゃあね)は、発音がへたでも、ことあるごとに使っていると、返してくれる人が多く、人と関わることが嫌いではない人たちなのだとわかる。さもなければ、多様な人種社会は作れない。

 そして彼らの「交流感」が伝わる球技では、特に熱気が反映された。男子バレーボールは金メダル、男女バスケットボール、男子サッカー、女子ハンドボールは銀メダル、男子卓球団体は銅メダルだ。

 確かにセーヌ川でのトライアスロンは、プレーヤーズファーストの精神が欠けていたが、「美しい自分たちの誇りを」というエゴも含めてのフランスだった。

 パリ五輪はあらゆるエモーションを含んで閉会しようとしている。そこにある光と影は残酷だったが、人生を投影していた。勝っても、負けても、そこで終わりではない。心が動く限り、物語は紡がれ続ける。