パリオリンピック卓球女子団体で銀 早田ひなは何を思いながら仲間の戦いを見ていたのか
8月10日、パリ南アリーナ。パリオリンピック卓球女子団体決勝に、早田ひな、平野美宇、張本美和の3人で挑んだ日本は、"卓球王国"中国に0−3で敗れている。しかし、栄えある銀メダルだ。
「本気で楽しめた決勝戦で、負けたのは悔しい気持ちもありますが、最後までやりきれたって思います。金メダルを取るまで、私は燃え尽きることはないので、"燃え尽きないために金メダルを取らせてくれなかった"と、スーパーポジティブな性格で考えています」
日本のエースと言える早田は、そう言って口角を上げた。彼女にとっては、シングルスの銅メダルに続く、ふたつ目のオリンピックメダルになった。卓球界のエースの面目躍如だ。
卓球女子団体で銀メダルを獲得した(左から)平野美宇、早田ひな、張本美和 photo by Kyodo news
今年2月、韓国の釜山で行なわれた世界卓球選手権決勝で、日本は中国に2−3と、勝利にあと一歩まで迫っていた。今回も、当時と同じ3人だ。ただ、早田は甘く考えていなかった。
「2−3でギリギリ負けたからと言って、次も競れるとか、勝てるとかいうわけではない。0−3で負けることもありうる」
そう覚悟して臨んでいた。
第1試合のダブルスは早田と張本のペアになった。今大会は左でパワーのある早田、右で安定感のある平野のペアで戦ってきたが、張本の意外性にかけて変更。第2試合のシングルスに平野を回した。
この策は当たったように映る。
第1ゲームを11−9で取ると、第2ゲームは落とすも、第3ゲームを11−6で奪った。第4ゲームを落とし、第5ゲームは9−5までリードした。
「張本選手とは3時間ほど練習しただけ、ほとんどぶっつけ本番で......。それでも適応できるので、ポテンシャルが高いと思いました」
早田は言う。左腕のケガは、8〜9割まで回復。この日は、強烈なフォアドライブだけでなく、バックハンドでも打ち返していた。
「中国とのダブルスは、自分たちの戦術はできていて、うまくついていけたからこそ、9−5まで行けました。そこは今後も自信にしてやっていけたらいいんですが......昨日の男子の決勝(中国対スウェーデン)もそうでしたけど、ほとんどの高いレベルの勝負は3−2になります。だから5ゲーム目をとれるか。そこで力の差が出て......」
結局、日本は10−12と大逆転に遭い、このダブルスを落とした。
【「決勝を経験したからこそ、わかることも」】そして第2試合、平野はシングルス世界1位に君臨する孫穎莎との対戦だったが、昨年のザグレブでの大会で勝利しており、勝算はあった。実際、第1ゲームは一時、7−1でリードした。ただ、そこから王者の底力を見せつけられて逆転され、11−13で敗れた。その後は流れを失い、6−11、6−11と落とし、第2試合も取れなかった。
第3試合の張本も「天才少女」の片鱗を見せ、接戦を演じた。第1ゲームを14−12で取り、第2ゲームも10−10のデュースに持ち込むも、そこで競り負けたあとは、7−11、6−11と落としている。
「平野も張本も、勝てる可能性もありました。しかし悔しいですが、相手は最後に集中力で上回って、簡単に失点しなくなって。こっちが焦ってしまいました」
渡辺武弘監督はそう明かしていた。
第4試合、早田の出番までは回ってこなかった。
「基本練習のところはありますし、中国人選手の層の厚さですかね。そのなかで毎日練習しているので......」
早田はそう言って、中国との差を説明していた。
「私たちのレベルも上がっているんですが、ずば抜けて能力が高いと感じました。ただ、通用するところもあったし、課題も見つかったので、自分と向き合ってやりきれるか。決勝という舞台を経験したからこそ、わかることもあります。自分としては、オリンピックの大舞台でも、いつもと変わらずにプレーし続けられたのはよかったなと」
早田は競技者としての図太さを感じさせた。ケガというアクシデントに折れなかった。周りの協力を得ながら、関係者が驚くほどストイックに治療、回復に努めていた。そうした真摯な卓球への取り組みこそ、彼女の強さの源なのかもしれない。
そこで、ひとつ質問を投げた。
――団体の戦いを通じ、コートサイドで味方選手を見守る様子が、とても真剣な眼差しで、ともに戦っているように見えました。
彼女は、しっかりと目を見てこう答えている。
「(試合をしていた選手がコートサイドに)帰ってきた時に何を伝えればいいのか、いつも考えながら見ています。東京五輪のリザーブで(試合を見守る)いい経験をさせてもらったので。この人にとって何が必要なのか、何を言ったら変われそうか。真剣に考えながら、試合を見ている感じで。だから試合している選手と、私もうしろで戦っている感覚で見ていました」
実際、彼女は他の誰よりも試合に没入していた。得点が決まると、右腕を突き上げ、膝をバンバンと叩いた。集中して卓球を見ることは、自分のプレーにも跳ね返るのだろう。試合を戦ったに近い。その経験は積み重ねると膨大になる。
彼女は卓球を心から楽しんでいる。それゆえ、集中力も尋常ではない。"好き"の総量が破格なのだ。
「(東京五輪後の)3年間、日本代表のなかで一番努力していた、と言いきれるくらい、自分を追い込んでやってきました。おかげで銅メダルをつかめて、3人で銀メダルも取ることができて、間違いじゃなかったと思います。でも、自分よりも努力した人が銀、金を取っているので、今度は金メダルを持ち帰れるように、さらに自分を追い込んで」
そして早田は、最後にこう続けている。
「好きな卓球ができるのは、当たり前じゃない、と思っています。そこを感謝し、4年後のロス(五輪)に向け、突っ走っていきたいです。このタイミングで腕をケガするとは思わなかったですけど、これがあったから人の暖かさや思いを感じました。自分ではなく、誰かのために戦いたい、と再確認できて、人として成長させてくれたオリンピックだったなって思います」