パリオリンピック100mハードル・田中佑美、準決勝敗退も「3本走れてラッキー」 大舞台で掴んだ手応えと見えた課題
準決勝を終えた田中佑美は、3レースを通じて貴重な経験を積んだ photo by JMPA
パリ五輪100mハードルの出場枠40名のうち、ワールドランキング(ポイント制)39番目で出場権を獲得した田中佑美(富士通)。昨年、世界選手権に初めてシニアで出場した25歳は、本番ではノビノビした走りを見せ、準決勝進出を果たした。
「昨年の世界選手権はスタートからまったくついていけなかった反省を踏まえ、今回のレース目標は、『攻めに、攻めに、攻める』でした。ウォーミングアップを始める前は緊張で体が硬くなる感じも一瞬あったけど、スタートのピストルが鳴ってからは『攻め続けるぞ』というのを考え続けながら、集中したレースができたと思います」
準決勝では12秒91、組7着で終わったが、予選、そして今大会から導入された敗者復活ラウンド含めた3レースは、田中にとって大きな財産となった。
【敗者復活ラウンドをプラスに捉えて】8月7日に行なわれた女子100mハードルの予選は5組あり、準決勝進出が決まるのは各組3着以内と、4着以下の記録上位3名まで。そのほかの完走者は翌日の敗者復活ラウンドに回って準決勝出場権を争う形になる。そのなかで東京五輪優勝のジャスミン・カマチョ・クイン(プエルトリコ)と同組の2組だった田中は、1台目のハードルを3番手で跳ぶ好スタートを見せ、8台目までその順位を維持。健闘するレース内容だった。
「今回はかなり反発の強いタータン(走路の素材)で、自分的にも本当に気持ちよく加速して走ることができました。自分のいる位置もわかり、『みんな並んでいるな』と思って、そのままグングン進んで『3着や』と思った瞬間にハードルにぶつけて準決勝へ直通過ができなかったけど、レースに対する姿勢......攻めたことと、しっかりスピードが出たことには一定の評価をしたいと思います」
ハードルに足を当てた8台目から減速して12秒90の組5着。昨年の世界選手権までのように全5組で「各組4着以内+全組5着以下の上位記録4名」が通過条件ならプラス2番目の記録で準決勝進出だったが、今回は翌日午前に組まれた敗者復活ラウンドに臨むことになった。
翌日の敗者復活ラウンドは全3組で各組2着までが準決勝に進出できる条件。レース前、スタート練習をする田中は、ライバルになりそうな選手たちと比べても動きは軽快で、キレがあった。
「昨日はこれまでの敗者復活レースがないシステムなら直で通過だったかなということを考えながら寝たけど、もしこれで準決勝に進めたら、これまでの世界大会は決勝まで3ラウンド制だったから、オリンピックで3本走ることは逆に考えればラッキーだなと思って気持ちを切り替えました。
体の状態は悪くないのはわかっていたし、予選のあとでコーチと話して、予選でハードルにぶつかった原因は、5台目までかなりスピードが出ている状態だったうえ、そこでもう一歩無理に頑張ろうとして体が追いつかなかったこと。だから、5台目以降は落ち着いて10台ではなく12台のハードルを練習で跳ぶような形でいこうと言われました」
田中はその言葉どおり、安定したハードリングで3台目から順位を2番手に上げると、12秒65の自己ベストを持つロッタ・ハララ(フィンランド)を追いかけて12秒89で2着になり、準決勝進出を決めた。
「実際に左側の選手と競り合ったけど、『落ち着いて、落ち着いて』と自分に言い聞かせながら走っていました」
オリンピックは世界選手権より緊張すると思っていた田中だが、昨年から海外遠征にも行くようになり、特に敗者復活ラウンドの同組の選手のほとんどが一緒に走ったことのある知った顔。それゆえに落ち着いてレースに臨めたと言う。
【トップレベルのリズムは見えた】
予選も悪くない走りで及第点の走りを見せた photo by JMPA
だが、8月9日の準決勝は、世界のトップレベルを真の意味で感じる、厳しいレースになった。
一番外側の田中の隣のレーンは、12秒37の自己ベストを持つピア・スクジショフスカ(ポーランド)。敗者復活ラウンドより若干速い入りはしたが、12秒55で組4着になったスクジショフスカには2台目を越えてからスッと差を広げられ、12秒91の組7着での準決勝敗退という結果になった。
それでも田中の表情には満足感があった。オリンピックでしか経験し得ない、トップ選手との違いを肌で感じることができたからだ。
「隣の選手に最初から訳がわからないほど離されるのではなく、ほどよいポジションでレースができました。彼女のテンポに合わせれば(自分もついて)いけるとわかっているのに、それができない歯がゆさもすごく感じたけど、12秒55の選手の横で走ってリズムが見えました。合わせることができなかったのは、私が記録を伸ばすうえで壁になっているリズムの違いみたいなものだと感じました。
また、トップの選手もみんな緊張していると思いました。自分が敵わないような選手たちもそれぞれの葛藤や緊張があって極限状態のなかでやっている。私ひとりではなく、みんな大変なんだと思ったら、逆に気持ちが軽くなりました。
準決勝まで3本走れたのは本当にラッキーだと思います。そのなかで、体も心もすり減って疲れたという気持ちと、『疲れたと言ってる場合じゃないだろう。一生に一度かもしれないんだから』という気持ちが心のなかで押したり引いたりしながら、最後は緊張するという......。準決勝のレース前も本当に緊張したけど、自分に正直な気持ちで走ろうと、周りがすごくうるさくて何も聞こえないなか、日本語で『緊張する!』って大声で叫んでいました」
昨年の世界選手権で自分の力をまったく発揮できなかったことが、トラウマになる恐れも心のなかにはあった。だがこの大舞台で3日間、1日1本ずつレースを走る経験をして、殻を打ち破れた気持ちになれた。同時に自分自身の現在地もはっきりと見えてきた。
「これまでずっとあった(自己ベストの)13秒の壁のように、自分のなかにある12秒7台、6台、5台という記録の壁を、一気にジャンプアップするにはまだ(力が)足りなかったなという感じはします」
来年の世界陸上東京、そしてその先へ。田中は今後に向け、確かな手応えを得るパリ五輪となった。