体操団体、挫折から這い上がった2人の選手が金メダルの立役者に。大怪我の功名、そして3年分の思いを込めたガッツポーズ
パリオリンピックで最大のライバル中国を下し、2大会ぶりに金メダルを掴んだ体操男子団体。
チームに勢いをもたらしたのは、今大会初出場の2人。20歳のオールラウンダー・岡慎之助と、25歳で代表を掴み取った杉野正尭だ。
8月4日に放送されたテレビ朝日のスポーツ番組『GET SPORTS』では、挫折から這い上がった2人のキーマンに迫った。
◆成長のきっかけは2年前の大怪我
2021年の東京オリンピック・体操男子団体決勝。リオに続く連覇を狙った体操ニッポンは、一歩及ばず銀メダル。その差わずか0.103点だった。
金メダル奪還へパリオリンピックに挑んだのは、東京の悔しさを知る橋本大輝、萱和磨、谷川航。そして、初出場の岡慎之助と杉野正尭。
岡は5月の最終選考会で優勝し、初のオリンピック代表に選ばれた。弱点の少ないオールラウンダーとして、団体だけでなく個人総合でもメダルが期待されていた20歳の新星だ。
4歳で体操を始めるとめきめき頭角を現し、15歳のときに出場した世界ジュニアでは、個人総合の金を含む4つのメダルを獲得。身長139cmと一際小柄だったことから、“小さな巨人”と称えられた。
「パリ五輪は絶対いきたいので、そこは絶対逃さずに後悔しないように、世界ジュニアが終わってからしっかり練習して、少しでも近づけられるように頑張っていこうと思う」
あどけない表情で夢を語っていた。
パリを目指すなか、転機となったのは2年前の全日本選手権。オリンピックへの試金石となった試合だ。
この試合で岡は跳馬で着地に失敗し、右ひざを負傷する。この試合に賭ける思いは強く、競技を続行したが、平行棒でも着地に失敗。競技続行を断念せざるを得なかった。
岡:「膝がもうグラって。『なんか脱臼した感じする』みたいな。『切れてるかも』と言われて、ここで終わるのかと思って…」
診断は右ひざ前十字靭帯断裂。全治8か月の大怪我だった。
パリオリンピックまでおよそ2年というタイミングで、長期間の離脱を余儀なくされた岡。
しかし、そんな絶望的な状況でも…。
岡:「終わってからは、もうパリ、パリ。全力で目指そうという考えになった。その目標があったから全然落ちることはなかったです」
怪我を逆手にとり、リハビリ期間をチャンスととらえた。怪我をした右足は使えないため、上半身を徹底的に鍛え抜く日々。
岡:「つり輪の強化でちゃんと目標があったので、ただ目標に向かってひたすらこなしていくだけ」
課題のつり輪を強化するには、うってつけの期間となった。
その成果は、パリオリンピックの代表選考会で表れる。怪我をする前の2022年と2024年の点数を比較すると、その差は一目瞭然。1点近く点数が上がっていた。
なぜ、ここまで得点が上がったのか?
岡:「2年前は本当に力技ができていなかった。この2年間で力技の数を増やして、秒数や姿勢を意識して、自分の得意な倒立と下り技もしっかり磨いてきました」
2022年と2024年の技の構成を比較してみると、2022年は技の数が9個だったのに対し、2024年は上限いっぱいの10個。
さらに、技の難度も2年前はBやCが多かったが、2024年はE難度が2つ入り、難しさを表すDスコアが1点も上がった。リハビリ期間中の上半身強化が、より高難度の技を実現可能としていたのだ。
所属チームの監督で、アテネオリンピック団体金メダリストの米田功氏も岡の成長に目を見張った。
米田氏:「怪我をしてリハビリをしている期間のなかで、つり輪に関しては膝関係なくトレーニングができるので、1年分技術的にも筋力的にもグレードが上がった」
迎えたオリンピック最終選考会。
多くの観客が詰めかけるなか、岡はここでもつり輪で高得点を出し、後続を引き離した。
そして、すべてが決まる最終種目の鉄棒で、2位に1点以上の差をつけ初優勝。全治8か月の大怪我から這い上がり、念願だったオリンピック代表の座を勝ち取った。
このとき、岡はこう話していた。
岡:「団体の金メダルは絶対獲らなきゃいけないので、それにふさわしい演技とみんなが安心して見られるような演技をここからの練習でやっていけたらなと思います」
◆0.1点に泣いた悔しい経験が原動力に
そして、団体金メダルのもうひとりのキーマンが、あん馬と鉄棒のスペシャリスト・杉野正尭。
杉野:「鉄棒は日本一でありたいし、世界一でありたいし、そういう思いは常に持って練習にも取り組んでますし、試合に向かうときも絶対成功させるという思いでやっています」
杉野が得意とする鉄棒は団体戦の最後に行われるため、金メダル獲得には重要な種目。水鳥強化本部長も杉野に期待を寄せていた。
水鳥氏:「杉野選手も世界チャンピオンの橋本選手もいるので、最後鉄棒で逆転するという、そんな流れがシナリオとしてはあるんじゃないかな」
そんな杉野は2021年、東京オリンピックの代表を決める最終選考会で悔しい経験をしていた。
初のオリンピック出場を目指し、挑んだ鉄棒の演技。代表入りには自己ベストを超える15.1点が必要だった。
難度の高い技を入れ込んだ攻めの構成で挑み、ノーミスの演技を披露したが、得点は無情にも0.1点足りず。代表落選していた。
わずかな差に泣いた杉野が、ここからパリオリンピックに向けて取り組んだのが…。
杉野:「今のままじゃダメだ、現状維持だと絶対届かない。鉄棒が自分の武器となるように、 “ぺガン”の練習に取り組みました」
これまで日本人で成功者はいなかった「ペガン」。F難度の大技だ。
鉄棒の技の多くは前向きで回るが、ペガンは後ろ向きで回り、空中で前向きに戻る数少ない技のひとつ。
東京オリンピックに足りなかった0.1点を埋めるため、杉野は高難度の技に挑戦することを決めた。
杉野:「ペガンをやっている選手も少なかったし、できている人からのヒントもなかった。どんどんアイディアを出さないといけなかったので、そこも安定させるためには大変でした」
パリオリンピックに向けて、唯一無二の大技を磨いていった。
迎えた今年4月の全日本選手権で、大技・ペガンを見事成功させ、3年前は届かなかった15.1という得点を叩き出す。
確かな手応えを掴むと、最終選考会でも高得点を連発し、オリンピック代表に内定。
鉄棒の演技を終えた後、杉野は力強いガッツポーズを見せた。それは、挫折から這い上がった3年分の想いを込めたガッツポーズだった。
杉野:「この3年間経験したことも絶対世界で通用すると思うので、本当に日本チームの着火剤となり、勢いをつける存在となり、団体の金メダルを必ず掴み取る思いで頑張っていきたいなと思います」
◆諦めない心で掴んだ逆転の金メダル
そして迎えたパリオリンピック。挫折を乗り越えた2人は躍動した。
予選を2位通過し、迎えた決勝。
1種目目の床では、キャプテン萱、エース橋本がミスのない演技を見せると、初出場の岡も橋本に並ぶ高得点を叩き出し、日本は1種目2位の好スタートを切った。
続くあん馬には、杉野が登場。難度の高い技を次々に決め、全体2位の高得点をマークした。橋本の痛恨の落下というアクシデントがありながらも、チーム全員で声を掛け合った。
3種目目は、岡が磨いてきた吊り輪。リハビリ中に鍛えた上半身を使い、ピタリと静止。
しかし、吊り輪を得意とするライバル中国が立て続けに高得点をマークし、最終種目を前に3.267点もの差が開く。
金メダル獲得は絶望的ともいえたが、誰一人諦めていなかった。
鉄棒1番手は杉野。3年前、わずかな差に泣いた男が、F難度の大技をこの大舞台で決めてみせる。さらに岡も、プレッシャーのなかしっかりまとめ、初出場の2人がエースにバトンを繋いだ。
対する中国は、2度の落下で大きく減点。日本リードで、その差は0.699となる。
日本チームはそれぞれの思いを乗せ、橋本を送り出した。
バトンを託された橋本はエースの意地を見せつけ、最後の着地も無事成功。日本が2大会ぶりの金メダルを獲得した。
諦めない心で掴んだ逆転の金メダル。この激闘に、初出場の2人も確かな足跡を残していた。
杉野:「東京オリンピックのときの悔しさをバネにここまでやってきて本当によかったなという思いがすごくあります。この5人で戦えて、スタッフのみんな、応援してくれる人、感謝でいっぱいです」
岡:「1年間苦しいトレーニングを重ねてきて、本当にきつい1年間耐えてきてよかったと思いました」