どこに潜んでいるかわからないリスクが、世界中の人々の生活に大きな影響を与えています(写真:azusa lifes/PIXTA)

新型コロナ・パンデミックに市場が揺れる2020年3月。投資顧問会社ユニバーサ・インベストメンツは4000%を超えるリターンを叩き出した。多くの投資家が匙を投げ、多額の損失を被るなか、なぜユニバーサは莫大な利益を生み出すことができたのか。このほど上梓された『カオスの帝王:惨事から巨万の利益を生み出すウォール街の覇者たち』では、『ウォール・ストリート・ジャーナル』紙記者の著者スコット・パタースンが、ユニバーサの最高投資責任者マーク・スピッツナーゲルと、ベストセラー本『ブラック・スワン』の著者ナシーム・タレブが確立した投資戦略とその哲学に迫っている。本稿では、訳者の月谷真紀氏が本書の魅力を読み解く。

どこに潜んでいるかわからないリスク

新型コロナ禍によりサプライチェーンが滞ったことは記憶に新しいが、2023年からイエメンの武装組織フーシ派による船舶攻撃が相次ぎ、再びサプライチェーンが脅かされているという。


どこに潜んでいるかわからないリスクが、世界中の人々の生活に大きな影響を与える。

『カオスの帝王』のテーマは「リスクとどうつきあうか」である。

著者スコット・パタースンがまず目を付けたのは金融の世界。金融市場は世界情勢によって大きく動く。市場のリスク要因にいち早く気づいて行動を起こした者が勝者となる。

新型コロナ禍では、当初ウォール街の誰もが中国で発生した感染症を遠い世界の出来事としか思っていなかった。

しかし、ヘッジファンドマネージャーのビル・アックマンは感染者数の指数関数的な増加傾向から、新型コロナが世界的パンデミックに発展すると予測する。彼は債券が暴落した場合に支払いが発生する保険契約を購入し、巨額の利益を上げた。アックマンの行動は大成功した。

しかし、これをリスク管理と呼ぶのかといえば著者は否定的だ。これは投機的行動であり、再現性がないという。

著者が注目したのはもう一つのヘッジファンド会社、ユニバーサだった。創業者のマーク・スピッツナーゲルは商品先物取引所のトレーダーを経て、オプション取引を専門とするヘッジファンド会社を経営している。同じくトレーダー出身で現在は『ブラック・スワン』著者として有名なナシーム・タレブと共同経営したエンピリカから、その後立ち上げたユニバーサにいたるまで、彼の投資戦略は一貫している。

それは、通常は損を出し続け、金融市場が大暴落したときにだけ巨額の利益を上げるオプションをひたすら買い続ける、という戦略だ。スピッツナーゲルは予測を立てない。何が暴落のリスクになるか、そのリスクがいつ実現するかは誰にも予測できないとして、いつかはわからない暴落時にだけ利益を上げる設計のファンドを組んだ。ちなみに予測不能で世界中が影響を受けるような重大リスクを、タレブはブラック・スワンと呼んでいる。

「静観せず、早い段階でパニックを起こせ!」

本書にはシカゴ商品先物取引所(CBOT)をモノポリーゲーム盤にたとえるくだりがある。CBOTのトレーダーだったスピッツナーゲルは投資の師匠から伝授された戦略を忠実に守り、底辺から頂点めざして着実にステータスを上げていく。

経験と勘で山を張り、当てれば大きいが大損もするトレーダーたちと彼の違いは、リスク管理をしているかどうかだった。損が出ればすぐに売るルールを地道に貫く。「静観せず、早い段階でパニックを起こせ!」。この言葉に象徴されるリスク管理が投資成功の極意だ。

しかし彼は頂点を目前にしてCBOTを去り、オプション取引というゲーム盤に乗り換えた。コンピュータ取引が台頭し、立会場に未来はないと見切りをつけたからだった。オプション取引の世界でも、リスク管理が他のトレーダーたちとスピッツナーゲルの明暗を分けた。

スピッツナーゲルがヘッジファンドの覇者への道を邁進する一方、ナシーム・タレブは投資リスクを超えて人類の存亡リスクに関心を広げた。パンデミック、遺伝子組み換え生物、気候変動。投資とは異なり、地球というゲーム盤は乗り換えることができない。人類や地球全体に害が及ぶシステミック・リスクはどう管理すべきか。タレブは「予防原則」という概念にたどりつく。

予測できないシステミック・リスク(ブラック・スワン)が存在する、というタレブに対し、ある程度は予測し管理できる(ドラゴンキング)と信じる経済物理学者ディディエ・ソネット。

ゴールドマン・サックスのリスク管理部門長を務めた後に気候変動問題の世界に転身し、気候変動リスクに価格をつけるという金融のアプローチから問題の解決をはかろうとするロバート・リッターマン。

ブロックチェーンを利用してシステミック・リスク保険という新しい分野を切り拓こうとしているマルクス・シュマールバハ。

本書は個性的な人物たちを登場させながら、リスクに対するさまざまな角度からの向き合い方を紹介している。

リスクとどうつきあうか

2024年は梅雨明け前から気温40度に迫る猛暑日が続いた。世界ではインドなど50度に達する地域もある。気象が激甚化しているという話はすでに耳新しいものではなくなった。

本書の後半は、金融市場から地球全体のリスクへと視点のスケールが広がる。太陽ジオエンジニアリングやNASAのDARTプログラム(地球を小惑星の衝突から守る実験)まで出てくる本書は、問題を一刀両断する解決策を示してくれるわけではない。

しかし、膨大な取材をもとに読ませるエピソードをたたみかけながら、「リスクとどうつきあうか」を考えさせてくれる本である。

(月谷 真紀 : 翻訳家)