これから先、AIと人間は融合していくのか(写真:metamorworks/PIXTA)

生成AIの技術向上により、一般人でも理想のアバターを通じて「第2の個性」を演じられるようになりました。これにより、今後、AIを使った新ビジネスを生み出す「AI起業家」がたくさん出てくることが予想されます。堀江貴文氏の新刊『ホリエモンのニッポン改造論』より近未来の予測についてご紹介します。

近い将来、AIと人間は融合していく

人間が人間たるゆえん、人間と他の生物を分けるものは何なのか。

それは自然言語である。自然言語とは、人が生まれてから周囲の刺激を受けて日常的にしゃべっている言語のことだ。日本人は日本語、韓国人は韓国語、アメリカ人は英語などの自然言語を使っている。人間は、この自然言語を使って文明を発展させ、文化を築いてきたのだ。

人間は、いかにしてこの自然言語を獲得したのか。「学習する」という自覚がないまま、いつの間にか話せるようになっている。単語を覚え、文法を学び、発音を練習し……という外国語学習のような過程を辿ってはいない。

生まれてからずっと、何だかわからない音声を浴びせられ、それが脳に蓄積し、いつしか、その意味がわかるようになる。たどたどしいながらも言葉を発するようになり、徐々に語彙が増え、話せるようになる。そして、書いたり読んだりもできるようになる。文法は学校で、後付けで学ぶものなのである。

ChatGPTは、そんな人間の自然言語をデータとして大量に学習することで言語を獲得している。

2023年、琉球大学の卒業式で読まれた答辞が話題を呼んだ。見事な日本語で書かれた答辞を読んだ卒業生代表の一人は中国にルーツがある大学院生だったが、彼はものの数分で、その答辞を仕上げたという。もう想像がついていると思うが、彼はChatGPTを使って答辞を書いた。

では、ChatGPTが言語を学習するメカニズムとはどんなものか。

私たちが外国語を学ぶように、文法を知って単語を覚え、その2つを結び合わせるというプロセスではない。実は人間が自然言語を獲得していくプロセスと何ら変わらないのだ。

人間の赤ん坊と同じように、自然言語を大量に浴びせられて、その大量のデータをもとに、パターン認識で適当と思われるものを再構成している。

ここで1つの命題が浮かび上がってくる。人間を人間たらしめているものの1つが自然言語であるならば、同じプロセスで言語を獲得するGPTを前にして、私たち人間とは何なのだろうか。

生成AIは人間の叡智が生んだものである。だが多くの人は、その人間の叡智の産物に恐れを抱くだろう。将来、人間は、自ら産み落としたAIに侵食されてしまうのではないかという恐れである。

私には、そうした恐れはない。AIと人間は対立するものではなく、融合していくものだと考えているからである。

今のAI技術を見ていると、たしかに人間とAIの区別がどんどんつかなくなってきている。これは今後も加速度的に進んでいくだろう。

しかし、それはAIによる人間の侵食ではない。AIと人間の融合なのだ。

AIと人間の区別がどんどんつかなくなっているなか、多くは「もう、どうでもいいや」と頭を使うことをやめていくだろう。そういう人たちは映画「マトリックス」のエージェント・スミスみたいになっていくが、ネオみたいな意志の強い一部の人がクリエイティビティを発揮する一瞬があるはずだ。

人間は常にノイズ的な不要な情報を発している。AI新時代においては、それこそが人間たるゆえんとなっていくのかもしれない。

いわば「非合理性を兼ね備えた人間と、合理的なAIの融合」により、今までには生まれようもなかった、想像を超えた文明が切り開かれていくはずだ。人間もAIもさらなる高みを目指していけばいい。

「AIホリエモン」「AIあなた」という個性の爆誕

私は仕事の多くの部分をChatGPTに委ねている。誰かの新刊書に推薦文を書いてほしいと言われたときもそうだ。

ChatGPTにその本の概要を教えて、「この本の推薦文を書いてほしい」と指示すれば、たちどころに数種の推薦文を書いてくれる。その中から一番自分らしいものを選んで、さらに手直しすれば完成だ。自分で1冊を通して読む必要はない。

取材を受けたときも、ChatGPTを使う。

たとえば「日本経済についてどう思いますか」「環境問題について何かひと言」など、テーマが大きすぎて答えづらい質問を投げかけられたら、そのままChatGPTに流して回答リストを生成してもらう。その中から、私の思いに一致するものを選べばいい。

ただし、この段階でのChatGPTの最大の欠陥は「個性」がないことだ。どこかで聞いたような、どこかで読んだような既視感がつきまとう。生成AIは学習済みの膨大なデータから答えを生成しているわけだから、真新しいものは出てこなくて当然である。

個性がないこと、これこそAIが抱える最大かつ克服しがたい難点であり、人間とAIの差が出る点である。

そこで問題になるのは、AIの価値と「私」という人間の価値をどう融合させていくか、である。私に代わるものとして生成AIに活躍してもらうためには、まんべんなく膨大なデータを学習している生成AIでは足りない。生成AIに「私になってもらう」、つまり「私」という人間の個性をもつ生成AIを作り上げる必要がある。

そんなことが、はたして可能なのか。

最新のChatGPTでは、個々のアカウントでGPTにデータ学習をさせることができるようになっている。

たとえば、私がこれまで自分の個性を発揮して世に出してきた書籍、メルマガ、インタビュー記事、SNS発信を学習させる。そうすれば、まんべんなく学習した膨大なデータからの生成物ではなく、「堀江貴文が書きそうなこと」を生成するChatGPTになる。

すなわち「AIホリエモン」の誕生である。

私という個性が生み出したものを学習させればさせるほど、「AIホリエモン」は、本物の私に近づく。私という個性は生身の私だけのものではなくなり、それに限りなく近い個性をもったものがもう1つ生まれるわけだ。

もちろん、これは、あなたにもできることだ。たとえば、あなたが今までに作成してきたメール文面や企画書、商品のリリース文などをChatGPTに学習させれば、あなたらしいメール文面や企画書、リリース文を書いてくれる「AIあなた」が出来上がる。

そうなれば、あなたはChatGPTに指示を与え、その生成物に若干の手直しを加えるだけだ。肝心の中身の大半はChatGPTが作ってくれるから、あなたは、ほとんど手を動かす必要はない。

ある企業の経営者の言動を学習させれば、それはすなわち「AI社長」だ。
知人の会社経営者は、「コロナで会社に行けなくなったけど、結局、行く必要はないという結論になった。これからはゴルフ三昧で過ごそうかと思う」と言っていた。

なるほど、業績が良好ならば、社長が出勤して指示などを出す必要はない。むしろ社長など会社にいないほうが、社員はのびのびと働けるかもしれない。ならば、折に触れて、その社長が言いそうなことを言う「AI社長」で十分だろう。

新ビジネスを生み出す「AI起業家」が出てくる

現時点では、まだChatGPTの学習能力には限りがある。だが、すでに技術的に可能になっているものを増強するのは、それほど大変ではないはずだ。そのうち飛躍的に伸びるだろう。


初期の段階では、生成AIの使い勝手に精通し、プロンプト・エンジニアリング、つまり生成AIへの指示出しに長けた一部の層だけが生成AIを使っていた。それが、より一般にも普及すると、いよいよ生成AIが民主化する。

これは、インターネットが普及した様とよく似ている。ITに詳しい一部の人間は、ホームページ作成で稼いだ。そこへブログサービスなどが誕生すると、インターネットは民主化され、多くのIT起業家が生まれた。

生成AIも、すでに民主化のフェーズに入っている。かつてIT起業家が多く誕生したように、今後、AIを使った新ビジネスを生み出す「AI起業家」がたくさん出てくるだろう。

私もまた、50億〜100億円規模のAIビジネスならば、いくらでも思いつく。「AIホリエモン」に講演をさせたり、私の本の読み上げサービスをさせたりといったことのほか、特に可能性を感じるのはコミュニケーション分野とAIのかけ合わせだ。

(堀江 貴文 : 実業家)