8月3日、パリ南アリーナ。パリオリンピック卓球女子シングルスで、早田ひなは感涙の銅メダルを勝ち取っている。

 戦況は圧倒的に不利だった。左前腕にはテーピング。準々決勝、ピョン・ソンギョン(北朝鮮)との激闘で痛めてしまった。コートに立てるかどうか、ぎりぎりのケガだったのだ。

「この舞台を4年後に経験できるか。そうとは限らないと思っています。だから、"自分が最後までやる"と決めたからには、できる限りやりたかったので。(3位決定戦は)どういった状態でコートに立てるかわからないですけど、最後まで悔いが残らないようにやりたいです」

 準決勝で優勝候補の孫穎莎(中国)に0−4とストレートで敗れた後、早田は決然と語っていた。なぜ、彼女は3位決定戦で逆境を覆し、メダルを獲得することができたのか?


3位決定戦でシン・ユビン(韓国)を破り、銅メダルを獲得した早田ひな photo by JMPA

 時計の針を巻き戻す。

 準決勝の早田は左腕に黒いテーピングを巻いていた。準々決勝は4−3でどうにか勝ち上がっていたが、かなり深刻なレベルで左腕を痛めてしまった。前日夜の試合から当日昼の試合にかけてのわずかな時間で、超音波を当てるなど、数時間に及ぶ治療を受けた。しかし前腕全体に痛みが出て、全快は見込めず、痛み止めを使ってコートに立った。

 どうにか形を作ろうとしたが、どんなボールにも対応してくる孫には劣勢を強いられた。可動域は限られ、100%の状態には程遠かった。特にバックハンドは力が入らず、回転もかけられない。身長167cmの長身から繰り出す、男子顔負けのフォアハンドは有効だったが、ハンデのある状況で勝てる相手ではなかった。

 準決勝後、取材エリアにやってきた早田は、目が赤く、泣き腫らしたようだった。鼻をすすり、声は掠れていた。左腕のテーピングは痛々しかった。

 3位決定戦に回るが、これで試合ができるのか。そう心配になるほどだった。

「(前日夜の準々決勝で)腕全体に違和感が出始めました」

 早田と二人三脚で戦ってきた石田大輔コーチは、事情をそう説明していた。

【「この状態でやるしかない」】

「ラリーが激しくなった後半、僕がベンチで気になり、タイムアウトをとった時は"どうかな"という感じだったんですが。"最後までやりきる"というのはできた。ただ終わったあとに痛みもあったからどうしようか、と。この舞台でできるのは幸せなこと。そこに立つにはどうするか、を決めて、1分1秒無駄にせず、いろんな方の力をお借りしました。おかげで痛みも治まり、"卓球ができそうだ"となりましたが......」

 孫には完敗したが、早田は果敢に打ち合っていた。髪をだんごでひとつに結び、垂らした前髪を揺らしながら、「加油」の大声援を受ける相手に一歩も引かなかった。その姿勢が地元フランスの人たちの心を動かしたのか、会場を真っ二つにした声援を浴びた。第3ゲームでは、2本を連取して7対7と同点に追いついている。

「あそこのゲームを取らないと、(他に)チャンスはないかな、って思っていました。(相手が)サーブに迷っていたのはあったんで、(石田)大輔先生と相談して。あそこで2本取って7オールになったと思うんですけど、冷静に戦えば点数を取れる、というのは見せられた」

 早田は涙ぐみながらも、毅然と言った。得意のフォアドライブが決まり、ペースをつかみかけたが、流れを断ちきられる。結局、第3ゲームは接戦を演じるも、8−11で取られてしまった。

「"100%か"と言われると、そうではないです。でも、やれることを最大限にやって、この結果になってしまったので、やりきったかなとも思います。100%を目指して自分ができなかっただけなので、それはしょうがないと言うか......。この状態でやるしかないし、勝つしかない。できることを最大限やって、後悔がないように」

 強い意志を感じさせる口調だった。

 そして3位決定戦、準々決勝で平野美宇を破っていたシン・ユビン(韓国)を逆転で4−2と下し、銅メダルをつかんでいる。東京五輪の伊藤美誠に続く、2大会連続のメダルだ。

「奇跡」

 石田コーチの言葉を借りれば、そうなる。ただ、準々決勝からの道のりを振り返ると、彼女は必然の物語を作ったのかもしれない。

「大舞台で自分(の戦い)がどう転ぶか」

 早田はコーチにそう言っていたという。

 負傷をして、いろいろな選択肢があっただろう。こんな状況で勝つ見込みは低く、コートに立つべきではない。ケガがひどくなったらどうするのか。4年後もあるし、無様な姿を晒すべきではない......。どれもひとつのロジックだ。

 しかし、彼女はどれも選ばず、コートに立っている。勝ち筋を見つけ、ほとばしる闘志で挑みかかった。逆境をひっくり返す。そこに彼女の矜持はあった。

「本当ならできるかわからない、というところでしたが、ひなが覚悟を決めました」

 石田コーチは言っていたが、奇跡を起こすには奇跡的な決断をするしかない。

 8月5日、もうひとつのメダルを争う団体戦。早田は治療ケアを受け続け、出場する見込みだという。