甲子園初戦で桐光学園・松井裕樹の名は一躍全国区となった 1試合22奪三振の新記録
松井裕樹(現・パドレス)にとって、桐光学園の2年生エースとして出場した2012年夏の甲子園は「ご褒美」みたいなものだったという。
その理由について松井は、次のように語っていた。
「神奈川はレベルの高いチームが多いんで、『どうしても勝たないといけない』っていうプレッシャーがすごくあって。そこを勝ち抜いての甲子園だったんで、先輩たちと『せっかく来たんだし、楽しくやろうぜ!』みたいな雰囲気でしたね」
全国屈指の激戦区である神奈川大会で、桐光学園は準々決勝から横浜、平塚学園、桐蔭学園と対戦し勝利。松井にとっては神奈川を制した達成感のほうが大きかった。
2年夏に甲子園に出場し、4試合で68奪三振の好投を見せた桐光学園の松井裕樹 photo by Ohtomo Yoshiyuki
そして迎えた甲子園初戦、相手は愛媛代表の今治西。「ご褒美」と語った甲子園のマウンドで、松井が躍動する。
高校に入り「真っすぐとカーブだけでは通用しない」と習得した、切れ味抜群のスライダーが冴える。「初回からどんどん三振を狙っていく」と語っていた松井のボールに、相手のバットは空を切りつづけた。
5回表が終わった時点で11奪三振。甲子園が異様な空気に包まれ始めたその裏のプレーが、松井にとって最も思い出深いという。
「は? おまえが打つかよ!」
7番バッターとして打席に立った松井の打球がライトスタンドに入ると、先輩たちからいじり倒された。
「3年生から『先越された!』とか言われて。マウンドでは『自分のピッチングをしよう』って思って投げていただけなんで、ホームランを打った喜びのほうが大きかったですね。簡単に打てるものではないですけど、だいたい毎打席狙ってたんで(笑)」
自身の一発で5対0とリードを広げたことで「さらに余裕が持てた」と、松井のピッチングはより冴えを見せる。6回1アウトから圧巻の「10者連続三振」とまったく相手を寄せつけず、最後の打者も三振で仕留めた。
終わってみれば大会新記録となる22奪三振(現在も1試合での最多奪三振記録)。松井裕樹の名は一躍全国に知られることとなった。
【15三振を奪うも準々決勝で涙】松井は高校2年の自分について「まだまだ若かった」と、自己分析している。その一因として常にフルスロットルで投げるピッチングスタイルがあった。
2回戦の常総学院(茨城)戦は19奪三振を奪いながらも試合後半に5失点。一方で3回戦の浦添商(沖縄)戦では、省エネを心がけたことで7回まで6奪三振だったが、8回にホームランを浴びてからギアを上げ、そこからアウトすべてを三振で奪った。
だが、松井の疲労はピークに達する。
準々決勝の相手である光星学院(現・八戸学院光星/青森)は、2011年の夏から2季連続で甲子園準優勝を果たしており、中軸の田村龍弘(現・ロッテ)と北條史也(元阪神)がチームを牽引していた。
松井は7回まで13奪三振、無失点と好投していたが、8回に相手打線に捉えられる。「相当アップ、アップだった」と言うなか、ピンチで最も警戒するふたりにタイムリーを許し3失点。最終的に15個の三振を奪い意地を見せたものの、試合は0対3で敗れた。
「3年生はそんなに泣いている感じじゃなかったんですけど、自分が泣きすぎて......」
4試合36回を投げ68奪三振。驚愕の奪三振ショーを演じた2年生左腕は、笑顔の先輩に抱きかかえられながら甲子園を去った。
敗戦の翌日、松井は野呂雅之監督からこんな言葉をかけられたという。
「『ピークが2年生の夏だった』とみんなから言われないように、頑張っていこうな」
その後も世代最強左腕として注目を浴びたが、甲子園はこの夏のみ。それでも高校3年秋のドラフトでは、5球団競合の末に楽天に入団し、今年からメジャーのマウンドに立っている。
松井裕樹(まつい・ゆうき)/1995年10月30日、神奈川県生まれ。桐光学園2年時の2012年夏の甲子園に出場し、初戦の今治西戦で大会記録となる1試合22奪三振をマーク。13年のドラフト1位で楽天に入団。1年目から27試合に登板し、プロ初勝利を含む4勝を挙げた。15年は抑えに抜擢され、33セーブ、防御率0.87を記録し守護神としての地位を確立した。19年には38セーブで初のタイトルを獲得。さらに22年は32セーブ、23年は自己最多となる39セーブを挙げ、2年連セーブ王に輝いた。23年オフに海外FA権を行使し、パドレスと契約した