女性アスリートが抱える婦人科問題は認知が広がってきているものの、まだまだ正しい情報がすべての指導者に伝わっているわけではないという(写真:metamoworks/PIXTA)

月経中の腰痛や頭痛がつらい、月経前にイライラや体調不良が生じるなどの、いわゆる月経痛やPMS(月経前症候群)に苦しむ女性は少なくない。

トップアスリートの世界では近年、こうした婦人科問題がパフォーマンスに影響を与えることから適切なケアが行われるようになってきているようだ。

一方、「まだまだ正しい情報が選手や指導者に伝わっていないと感じることもある」と、ハイパフォーマンススポーツセンター 国立スポーツ科学センター(以下、JISS)婦人科医の能瀬さやか氏は言う。いったいどういうことなのだろうか。

「月経が来なくなって一人前」と言う指導者もいた

適度な運動は心身によい影響を与えるものだが、ハードなトレーニングを行う女性アスリートには、「女性アスリートの三主徴」と呼ばれる健康リスクがあることがわかっている。それは、「利用可能エネルギー不足」「無月経」「骨粗鬆症」という課題だ。一見、バラバラに見えるこの3つの症状は密接に関連している。

激しいトレーニングを続けているとエネルギー摂取量(食事量)をエネルギー消費量(運動量)が上回り、エネルギー不足に陥ることがある。この状態が続くと、低体重になるほか、脳(視床下部)からのホルモン分泌が抑制されて無月経となる。長期間の無月経によって女性ホルモン(エストロゲン)の分泌が低下すると、骨密度が下がってしまい、若年層でも骨粗鬆症につながることがある。


能瀬氏は、こうした三主徴の実態を明らかにしてきた。例えば、JISSで2011年から2012年にかけて女性トップ選手683名を対象にした調査では、約4割が無月経や月経不順を抱えていることがわかったという。


能瀬さやか(のせ・さやか)/ハイパフォーマンススポーツセンター 国立スポーツ科学センター スポーツ医学研究部門 婦人科、東京大学医学部附属病院女性診療科・産科 非常勤。日本産科婦人科学会専門医、日本産科婦人科学会指導医、日本生殖医学会生殖医療専門医、日本スポーツ協会公認スポーツドクター、日本パラスポーツ協会公認パラスポーツ医、日本女性医学学会女性ヘルスケア専門医、医学博士。日本オリンピック委員会アントラージュ専門部会部会員、日本パラリンピック委員会女性スポーツ委員会委員長、一般社団法人女性アスリート健康支援委員会理事など役職多数(写真:本人提供)

「無月経の原因はさまざまですが、アスリートで多く見られる原因として、運動量に対し食事量が不足している、あるいは食事量の制限によって身体がエネルギー不足の状態になることだと考えられます。無月経は骨粗鬆症や疲労骨折のリスクを高めるほか、将来的な妊娠・出産が難しくなる可能性も。しかし、当時は無月経のリスクがあまり理解されておらず、『月経が来なくなって一人前だ』と選手に言う指導者もいました」

無月経以上に多いのが、PMS(月経前症候群)や月経困難症(月経中の日常生活に支障をきたす症状)、過多月経といった月経随伴症状の悩みだという。

「以前はそうした悩みを抱える女性アスリートの多くが、低用量ピルで症状の改善が期待できることや、月経の時期を移動できると知りませんでした。説明しても、『ピルを使うと太るから使いたくない』『将来妊娠できなくなる薬でしょ?』という反応が多かったですね。また、『過去のオリンピックで月経が重なってしまったので次は何とかしたい』と言う選手もいました。専門家から情報を受ける機会がなかったため、選手の多くが古い知識を持ったままで情報の更新が止まっているという印象でした」

そこで能瀬氏は、ピルを使ってもパフォーマンスに影響がないことなどをデータで示し、無月経はケガのリスクがあることなども根気強く伝えていった。

10年で意識に変化、治療後に記録がよくなる選手も

この10年程で選手や指導者の意識はだいぶ変わり、ピルの使用を希望する女性アスリートも増えていったという。

「競技成績にはさまざまな要因が関連するため治療を行えば必ず成果につながるわけではないのですが、エネルギー不足を改善して月経が再開し、記録がよくなる選手もいます。最近では、エネルギー不足の場合は練習量を減らすなどの対応を取る実業団チームもあります。また、2015年の調査では審美系と持久系の競技に無月経が多かったのですが、近年では婦人科の講習会などを積極的に開催したりして、婦人科問題のケアに力を入れる競技団体もあります」

こうした女性アスリートの月経問題は、一部のトップ選手の問題ではない。競技レベルごとに調査してみると、どのレベルでも約4割の女性アスリートが無月経や月経不順だとわかったという。


しかし、JISSはトップ選手しか受診できない。そこで能瀬氏は、どの競技レベルの女性アスリートでも受診できるようにと、2017年に東京大学医学部附属病院(以下:東大病院)に国立大学としては初の女性アスリート外来を開設した。

「JISSでも東大病院の女性アスリート外来でも、ホルモン値や体組成、エネルギーの消費量・摂取量などを調べます。不適切な糖質制限をしている選手は多く、そうしたエネルギー不足の場合は公認スポーツ栄養士による栄養指導を行い、月経随伴症状であれば低用量ピルやプロゲスチン製剤など薬の処方について情報提供を行います。薬の使用を決めるのは選手自身ですが、選択肢を示すことを大切にしながらコンディションの調整を行っています」

ここ10年で女性アスリートが抱える婦人科問題についての認知度は高まり、研究も進みデータが蓄積されつつある。そして今、東大病院の女性アスリート外来も新しいフェーズを迎え、今年10月から段階的に東京都千代田区の浜田病院に移行、2025年春には完全移行する予定だという。

「今後は、アスリートの人たちが気軽に通院しやすい環境作りを目指したいと思います。移行後は診察日を週3日に増やし、より多くの方が受診できるようにしていきます」

また能瀬氏は、2014年に一般社団法人女性アスリート健康支援委員会を設立し、産婦人科医の啓発も続けてきた。研修を受講した全国の産婦人科医は、同委員会ホームページで検索できるようになっている。

「10代の選手」が医療機関につながる仕組みがない

このように女性アスリートが医療機関で受診しやすい環境は整ってきたが、まだまだ課題はあるという。

例えば、2021年開催の東京オリンピック・パラリンピック競技大会における選手のピル使用率は3割と、2008年の北京大会から6倍に増えた。しかし、ピルを使っていない選手の中には、月経困難症で痛み止めを飲んでいる選手が24%、PMS(月経前症候群)の症状がある選手が67%おり、「今後も啓発が必要」だと能瀬氏は言う。

また、中高生の部活動などで運動を行う選手が医療機関につながる仕組みがない点を、能瀬氏は問題視している。思春期に利用可能エネルギー不足が続くと、月経をはじめ骨や代謝、免疫、発育・発達などにさまざまな影響が出る。中でも深刻なのが骨密度だ。骨量が最も増加する20歳頃までにしっかり骨量を獲得できていないと、疲労骨折のリスクは上がる。例えば、10代で骨密度が低いと4.5倍、疲労骨折のリスクが高いという。

「とくに身体が発育・発達過程にある10代で過度な減量はするべきではありません。引退後に月経が再開しても骨密度は低いままなので、骨折のリスクを生涯抱えながら生きていくことになります。私が診てきた中で、20代から骨粗鬆症の薬を飲んでいる選手が引退後、同年代女性の平均値に戻ったケースは一例もありません」

現状、婦人科医が学校に入っていく仕組みはないので、「学校でスクリーニングを行って月経や骨密度に問題がある子をすくい上げてほしい」と能瀬氏は話す。

例えば、紙やアンケートフォームなどの回答しやすい形で、「最後に月経がきたのはいつか」「生理痛の薬は飲んでいるか」「月経前や月経期間の体調不良はあるか」という3つの質問を定期的に行い、養護教諭や部活動の女性マネージャーなどの女性がチェックする。月経が3カ月きていないなら無月経が、強い生理痛があるなら将来の子宮内膜症のリスクが高い。早めに対策や予防が取れるよう医療機関につなげてほしいという。

「今後は部活動の地域移行により、委託された団体によっても婦人科問題への対応は差が出てくると思うので、スクリーニングは学校でやっていただきたいですね。とくに無月経の問題は、選手の子に限らず、ダイエットなどで骨密度が低くなっている子の健康を守る一助にもなります。10代では本人が月経異常に気づかないことも多いので、月経や栄養の正しい知識を小学校から系統立てて段階的に教える必要もあると感じています」

婦人科問題はアスリートだけの課題ではない

一部のトップ選手に限らず、中高生にも知ってほしい婦人科問題。しかし、これらはアスリートだけの問題ではないと能瀬氏は話す。

「現在、妊娠中や産後のトレーニング課題の研究や、パラアスリートのサポートにも力を入れていますが、こうした研究で得られた知見を地域にも展開していかなければと思っています。また、日本は20〜30代女性のスポーツ実施率が低いので、もっと女性がスポーツを楽しめるようなポジティブなエビデンスも示すことができたらと考えています」

アスリートに限らず、すべての女性が自身の心身のコンディションの変化を把握して運動に親しむことは、高齢化が進む中で長く健康でいるためにも欠かせない視点だ。

(吉田 渓 : フリーライター)