人づきあいで自分を“盛る”のは、かえって自分を苦しめることになります。「ありのままの自分」でいることで、自身の未熟さを自覚し、成長できるのです(写真:zon/PIXTA)

「早く、早く」「負けるな、負けるな」──。

時間に追われ、人に急かされて、いつも頑張ってしまっている自分。しんどいのに、人を蹴落としてでも「私が、私が」と前に出ていかなければ、まわりから取り残されそうでこわい。ぎすぎすした世の中に、生きづらさを感じている人が増えています。

「思い切って、ゆずってみるとうまくいきますよ」と言うのは、禅僧の枡野俊明氏です。人を蹴落とすのではなく、人にゆずることで人生は好転する──。いったいどういうことか、氏の新刊『迷ったら、ゆずってみるとうまくいく』をもとに3回にわたり解説します。

「よく思われたい」と思わない

人からよく見られたい、いい人だと思われたい、という気持ちは誰にでもあります。そして、好意を寄せている人から好かれたいという、プライベートな感情もあると思います。

禅の教えには、このようにしたら人から好かれるという、具体的な“モテる秘訣”はありません。しかし私は、禅が教えてくれる生活習慣や所作を身につければ、必然的に人から愛されるようになると思っています。

禅は、ただひたすら無心に取り組む姿ほど美しいものはない、と教えています。たとえば、春の到来を告げるウグイスの「ホーホケキョ」のさえずりを聴けば、私たちは「あぁ、ウグイスの声はなんて美しいのだろう」と感じます。

しかし、ウグイスはただただ無心にさえずっているだけで、私たちを楽しませようと思っているわけではありません。私たち人間が勝手に、無心にさえずるウグイスの声が清らかで美しいと感じるのです。

無心に取り組む姿勢は魅力的

あるいは高校球児を見て、彼らを清々しく感じるのも、彼らが損得勘定ではなく、ひたむきにプレーしているからこそ、私たちは心を惹きつけられるのです。

つまり、人からよく見られたい、好かれたいなどというはからいの心を一切もたずに、無心に何かにとり組む姿は魅力的であり、人を惹きつけるのです。

「歩歩是道場」(ほほこれどうじょう)という禅語があります。いつでもどこにいても、そこが道場であり、何をしていても修行なのです。その心がまえで、一瞬一瞬を一所懸命に努めなさい、という意味です。

一途に一所懸命取り組んでいる人の姿に、好感を持たない人はいませんね。

ありのままの自分で接する

人からよく見られたいという思いが強くなり、ちょっと欲張って自分を“盛る”ことは、「自我」のあらわれです。自分自身の存在や考え方に執着する心を「自我」といいます。

不特定多数の人たちに向けたSNSであれば、多少盛ってもわからないでしょう。一時の自己満足になるかもしれません。

しかし、リアルの人づきあいで自分を“盛る”のは、かえって自分を苦しめることになります。なぜなら、「ありのままの自分」がいつまでも成長できないからです。

人は、自身の未熟さを自覚し、それを改めようと努力することで成長するのです。自分を飾らずに、ダメな部分もさらけ出して、ありのままの自分で人と接するようにしたいものです。

「明歴々露堂々」(めいれきれきろどうどう)という禅語があります。真理は探すものでも求めるものでもありません。すべてが、明らかに堂々とあらわれていることに気づきなさい、という意味です。

多少自分を盛って人と接していても、あなたをよくわかっている人は、あなたのほんとうの姿をお見通しなのです。

これから深くつきあっていきたい相手なら、なおさら自分をさらけ出してください。自分を盛って人と接していると、いつまでも素の自分が出せず、よそよそしい関係になってしまうでしょう。

ありのままの自分をさらけ出している人は親しみやすく、好感がもてると私は思います。自分が自分らしく生きることが「明歴々露堂々」です。また、それが生きる自信につながります。

あれも、これもと欲張らない

一秒たりとも時間を無駄に使いたくない──。

時間に追われる毎日を過ごす現代人の多くがそう思っているでしょう。とくに、新社会人のZ世代から共働きファミリーは動画を倍速で視聴し、ニュースをまとめサイトで読むなど「タイパ」を重視しています。

「タイパ」とは、タイムパフォーマンスの略語で、「時間対効果」を意味しています。辞書を編む人が選ぶ「今年の新語2022」の新語大賞に選ばれ、メディアでもよく取り上げられています。

だれしも、1日が30時間、40時間あれば、もっといろいろなことに挑戦できるのにと思っても、それは不可能です。

タイパは今にかぎらず、複数の作業を同時にこなす「マルチタスク」という仕事の進め方が話題になったことがあります。

たとえば、会議に参加しながらメールをチェックする、電話対応しながら資料を作成する、日常生活においては、スマホを観ながら食事をする、テレビを観ながら勉強するなどです。

ビジネスでは、さまざまな作業を停滞させずに進めることができれば効率的であり、複数の関係部署とコミュニケーションをとりやすくなるかもしれません。しかし、それがほんとうの意味で効率的といえるでしょうか。

できる人は“ながら仕事”をしない

私がおつき合いさせていただいているビジネスパーソンの多くは、マルチタスク派ではなく、1つひとつの仕事を集中して進めていくシングルタスク派です。

長いスパンの仕事を平行して進める場合も、午前中はAの仕事、午後はBの仕事に専念し、Aの仕事をやりながらBの仕事を考えるなどということは、一切しません。

実際、仕事をしているその瞬間は1つの仕事しかできません。だから、1つの仕事に集中するのが最も効率がよいのです。

マルチタスクのデメリットは、仕事ごとに頭を切り替える必要があり、ロスが生じることです。集中して仕事をしているとき、他の用事で一時中断したら、元のペースに戻るのに苦労したという経験はないでしょうか。マルチタスクはそんな切り替えロスを何度も繰り返すことになります。

“できる人”は、それをよく知っています。

一度にできることは1つきり

「喫茶喫飯」(きっさきっぱん)という禅語があります。お茶を飲むときは飲むことに集中し、ご飯のときは食べることだけに集中しなさい、という意味です。

「今」に集中することが禅の教えの原点です。


一度にできることは1つきりなのですから、それに無我夢中で取り組むのです。

たとえば、集中して仕事をしなければならないときに、「週末の友人との食事はどこへ行こうか」、「何の映画を観ようか」と考えてしまえば、肝心の仕事がおろそかになります。

仕事でミスを犯してしまうかもしれません。あげくに、スマホでグルメ情報の検索を始めてしまうようでは、ビジネスパーソン失格です。

あるいは、週末に趣味を楽しんでいるとき、「月曜の会議が憂うつだなぁ」などと考えれば、まったく楽しめません。

仕事でも遊びでも、没頭すれば充実感が増します。仕事の時間は「仕事人になりきる」、遊ぶ時間は「遊び人になりきる」──これがタイパのよい時間の使い方です。

(枡野 俊明 : 「禅の庭」庭園デザイナー、僧侶)