ドラマ『燕は戻ってこない』の主人公・リキ(石橋静河)は、手取り14万円の派遣社員だ(©️NHK)

「いつになったら女の人ばかりがつらい思いをする世の中が終わるのかしら」

NHKの連続テレビ小説『虎に翼』の主人公・寅子は嘆く。

残念ながらそんな世の中は1000年前も、100年前も、そして現在も終わっていないのだということに、NHKのドラマを見ていると気づかされる。

“女性がつらい思いをする世の中”を描くNHK

現在放送中の、紫式部を主人公に平安時代を描いた大河ドラマ『光る君へ』や、『虎に翼』が“女性の生きづらさ”を描いていると評判になっている。そして、同じく同局で4月末から放送を開始したドラマ10『燕は戻ってこない』では、日本では法的にはまだ認められていない“代理母”を探す夫婦と、それを受け入れる女性を描く。

東京で手取り14万円で暮らし、「腹の底から金と安心がほしい」と感じる主人公に、不妊に悩む夫婦、女性向け風俗のエピソードまで登場し、早くも話題作となっている。

なぜこんなにも同時多発的にNHKは“女性がつらい思いをする世の中”を描くのだろうか? そして、それらは確かに良作ぞろいではあるものの、「女性が共感!」といった言葉で簡単にまとめてしまってよいものなのだろうか?

『燕は戻ってこない』のプロデューサーで、大河ドラマ『青天を衝け』や連続テレビ小説『らんまん』をプロデュースしてきた板垣麻衣子さんに話を聞いた。

『燕は戻ってこない』は、吉川英治文学賞・毎日芸術賞をW受賞した桐野夏生の同名小説のドラマ化だ。

派遣社員として暮らす大石理紀(以下、リキ。石橋静河)は、職場の同僚から「卵子提供」をして金を稼ごうと誘われる。実際に生殖医療エージェントで面談を受けると、「卵子提供」ではなく、さらに報酬の高い「代理出産」を持ち掛けられ、悩む。

一方、元バレエダンサーの草桶基(稲垣吾郎)とその妻・悠子(内田有紀)は不妊治療をする夫婦。エージェントを経由してリキと出会い、高額の報酬と引き換えに2人の子を産んでもらうことになる。しかし、出産までの過程で、リキとの交流や基の母・千味子(黒木瞳)の思惑に触れ、夫婦に温度差が出てくる――。

「答えの出ない問題」を描く必要性

2022年の発売当時、原作を読んだ板垣さんはすぐにドラマ化に思い至ったという。


板垣麻衣子(いたがき・まいこ)/早稲田大学大学院国際情報通信研究科を卒業後、2010年にNHKに入局。連続テレビ小説『カーネーション』(2011年)、『ひよっこ』(2017年)等に演出部として参加し、その後『NHKスペシャル 未解決事件File.07 警察庁長官狙撃事件』(2018年)や『ストレンジャー〜上海の芥川龍之介〜』(2019年)、大河ドラマ『青天を衝け』(2021年)、連続テレビ小説『らんまん』(2023年)等のドラマでプロデューサーを務める

「原作の登場人物全員が魅力的で、とても面白く読みました。そのうえで、命というのは普遍的なテーマである一方、生殖医療の進歩と問題点というのはすごく今日的なテーマだな、と。

2022年には不妊治療の保険適用範囲が広がりましたし、注目度の高いテーマです。NHKでは『なぜ“今”これを放送するのか』ということが問われるのですが、その点でも、“今”放送するべき作品だと思いました」

代理母や卵子提供・不妊治療の話など、簡単には答えの出ない問題が題材となっている。

「簡単に答えが出てしまう問題よりも、考え続けないと答えが出ない問題こそ、人間が考えなきゃいけないと思うんです。最近の世の中は、簡単に白黒つけたがったり、すぐに悪者かどうかをジャッジして糾弾したりする傾向があると感じていて、それに怖さを感じていました。

人間の命という重たいテーマを前に、『自分もこの人の立場だったらこう考えるかもしれない』と想像力を働かせるきっかけになればと思っています」

たしかに、何かを押し付けるようなドラマではない。視聴者としては、ドラマに限らず、公共放送であるNHKが何か新しい価値観を取り上げると、それが“正しい”と押し付けられてしまうのではと危惧してしまうところがある。

同作も、「生殖医療に関する新しい価値観を押し付けられるのか?」と構えて見始めたところ、それはすぐに杞憂だと気づいた。

「“社会派ドラマ”と言ってもらえることも多くて、もちろんその側面もあるんですが、私としてはエンターテインメントが根本の“人間ドラマ”を作っているつもりなんです。

特定の価値観の押し付けになっていないと言っていただけるのは、原作がそうなっていることはもちろん、NHKでは『公正・公平』を大事にしていて、私たちがそういう教育を受けてきたという影響もあるのかもしれません。

このドラマは、複雑な人間の心理描写をしているぶん、嬉しいシーンと悲しいシーンを簡単に区分けすることが難しく、どんな音楽をつけるかもとても悩みました。作曲家のEvan Callさんが色んな解釈ができる音楽を作ってくださり感謝しています」

そして、登場人物に想いを馳せても、各々の簡単には割り切れない想いが伝わってくるドラマになっている。

「さまざまな立場の人の色んな想いを、きちんと丁寧に描こうと思ってやっています。この人が絶対に正しくて、この人は完全な悪者、という簡単な見え方にはしたくない。そもそも人間ってひと色じゃないですよね。脚本家の長田育恵さんが、そのあたりを描くのがとてもお上手なんです。

前回ご一緒した『らんまん』でも、神木隆之介さん演じる主人公・槙野万太郎の素敵なところだけでなく、ダメな部分も容赦なく描きました。万太郎に立ちはだかる、要潤さん演じる田邊教授も、一見すると“敵役”ではあるんですが、悪い部分だけではなく、どんなことを考えているかまで描くことで、深みが出たと思っています。

人間の善いところも嫌なところも両方を表現できるのは、ドラマなどフィクションの強みだと思っています」

「私の代わりに言ってくれている」作品

近年、特にSNS上では「登場人物に共感できたかどうか」という観点でその作品の良し悪しを断じるような傾向もある。だが、『燕は戻ってこない』は、「100パーセント共感できる!」といったような簡単な人物造形にはなっていない。

「放送後の視聴者の方の感想も『基のここの部分は好き』『理紀のここは共感できる』といったものが多くて、自分の心の中で咀嚼し続けてくれているように感じます。私は、優れたフィクションというのは新しい自分を発見させてくれる側面があると思うんです。自分では気づいていない自分の感情や考えに気づかせてくれるものだと」

板垣さんは、この原作を読んだときにも、その感覚を得たという。基は自分の遺伝子を残すことを欲し、不育症と診断された妻をときに傷つける。基の母である千味子は、息子にできる限り“良質な”代理母をあてがおうとし、ときに「クーリングオフできないの?」と言い放つ。ともすれば優生思想にも繋がってしまう可能性をもつ感覚でもある。


代理出産で子を持つことを望む草桶基(写真左上)とその妻・悠子(左下)の依頼をリキ(右)は受けるが…(©️NHK)

「基や千味子は、仮に二分するなら、悪者にされがちな登場人物だと思います。でも、私はこの2人に触れながら『自分の遺伝子を残したいと願うことはそんなに悪いことなんだろうか?』とか『高額なお金を払うとなったら、私だって相手を選ぼうとしてしまうかもしれない』と感じたんです。そういう考えが自分の中にもあったことに気づいたのは、この作品に出会えたからこそのものですね」

自分の中にたしかに存在する感情に出会うということは、気づかなかった自分に出会い、自分を揺さぶられるということにも近い。とはいえ、同作は少なくとも“わかりやすい”作品ではない。視聴者には届いているのだろうか。

「桐野さんの作品が好きな理由のひとつは、読んでいて『私の代わりに言ってくれている』と思えたり、『私はひとりじゃないんだ』と安心できるところなんです。ドラマを通じて、そう感じてくれている人もいるように思います。

私は、代理母になったこともなければ、不妊治療の経験もありません。でもこの作品を通じて、『きっと、こうなんだろうな』と想像することはできる。視聴者の方にも、それを“共感”と呼ぶかはわからないけど、“理解”はしてもらえている実感はあります」

多様性が採用される“NHKの土壌”

『燕は戻ってこない』に限らず、現在放送中のNHKのドラマは女性とそれを取り巻く社会を描く作品が目立っている。これは偶然なのか。

「今そういったドラマが目立っているので、くくって評していただいている実感はありますが、特に何か号令があって、女性を描いた作品が増えているわけではありません。私が入局した頃に比べると、ドラマを作るコアなメンバーの中に女性が増えてきているのは事実で、その影響もあるかもしれません。

この10年で作り手の感覚も変わってきているし、それを受け入れる土壌もでき始めている実感があります。2021年からNHKは、BBCが始めた『50:50(フィフティー・フィフティー)The Equality Project』という、出演者のジェンダーバランスを意識しようというプロジェクトに参加していて、それは制作側の意識にも影響があります。

ただ、最近特に目立っているだけで、これまでも朝ドラでは基本的にずっと“社会の中の女性”を描いてきましたし、突然生まれた価値観でもないように思います」

長年にわたって醸成されてきたドラマの作り手の意識が、より表出しやすい状況に、現在のNHKはあるということだろう。そしてその問題意識はジェンダーにのみ向いているわけでもなさそうだ。

じつはこの4月と5月に放送されたNHKのドラマは、中年の男性が仮想空間で初めて恋をする『VRおじさんの初恋』や、障害のある俳優を起用するドラマの現場を描く『%(パーセント)』、高齢者を主人公にした『老害の人』など、“体制や社会情勢の恩恵を受けていない側”を描く作品が重なって放送されている。

「多様性というのが、NHKの制作の大きなキーワードのひとつにはなっています。挙げていただいたドラマやそれに類似する企画が提案されたとしても、考えるべき問題として捉えてもらえるようになったというか、突拍子もない意見・急進的な意見とされることはなくなってきました。

私はいまや中堅と言われる年次ですが、『VRおじさんの初恋』や『%(パーセント)』は私より若い局員の提案が通った例でもあります。昔以上に、色んな人たちの意見を吸い上げてドラマを作ろうという気運が高まっていることを感じます」

何かを糾弾しようとして作っているわけではない

そして、その変化を受け入れる土壌は、局内だけではなく視聴者の中にも醸成されつつあるのかもしれない。


「ドラマで描く貧困や不妊だけでなく、思うようにならないことはたくさんある。何かしんどいな、と思う人に共感してもらえるのでは」と板垣プロデューサーは語る(編集部撮影)

「『燕は戻ってこない』は、テレビドラマとしては正直、好き嫌いが割れるかもしれないと思っていたんですが、好意的な意見をたくさんいただいていて、嬉しく思っています。

登場人物を限定的にでも肯定する声が多く、物語が他人事じゃなくなっているというか、この人たちの行く末を見届けたいという感覚になってくれているんだと思います。

『虎に翼』もチャレンジングな朝ドラですが、かなり肯定的な意見が多いですよね。もちろん、想いが強ければ、そこに反論も生まれることもあるとは思います。

ただ、少なくとも私はそうですし、他のNHKのドラマスタッフも同じだと思いますが、決して何かを糾弾しようとしてドラマを作っているわけではない。ただ、そこに問題意識があるから、ドラマとして結実しているんだと思います」

その問題意識は視聴者にも伝播し、“簡単には答えの出ない問題”を考え続けるきっかけを与えてくれている。

(霜田 明寛 : ライター/「チェリー」編集長)